笑顔の条件
「ちょっと待って……ここら辺にありそうな感じなんだけど……あ。よしよし、あったあった」
雑草をかき分けて、ようやく親指ほどの薄いピンクの花を探し当てた。
背の低い薬草を根元から引っこ抜いて、後ろから興味深そうにのぞきこんでいる連れを振り返り、示してみせる。
「これがセルシア。さっきのパルセレインと同じで、根の部分には気分を落ち着かせる鎮静作用がある」
リィンはいつもと大して変わらない感情の乏しい――しかし実は真剣な表情で説明を聞いていた。
前回同じようなフィールドワークに出た時、草むらに引っかけまくったのに懲りたんだろう。長い金色の髪を珍しくひとまとめにしている。
つい最近、旅の道づれとなった友。
今と同じように薬草採集に出た際、この世のものとは思えない美しい声をたどって見つけた、これまた見たこともない美しい女だった。
なんだかあまりの危うさに思わず有無を言わさず連れてきてしまったのだが、今後の予定を聞いてみてますます放っておけなくなった。
『今はまだ帰る気はない。特に行くところもない』
そんなこと言われて「じゃ、気をつけて」なんて放り出せるほど薄情者ではないつもりだ。
それに、長いこと一人旅を続けていたので連れができたことは嬉しい。元来、喋ることは好きなのだ。
話しかけて返ってくる答えがそっけないものだとしても、独りごとに一人つっこみしていたこれまでと比べたら、反応があるだけで雲泥の差だ。
そればかりか、こんな風に自分の話を真剣に聞いて知識を飲みこんでくれようとしている。師匠について回っていた10年程前の自分の姿と重なって、どこかくすぐったく懐かしい。
「花の薬効はちょっと違って催眠作用なんだ。俺は軽い睡眠薬を作るのによくこれ使うな。ただし注意が必要だから気をつけること」
もう一度草むらをかき分け、さっき引っこ抜いた株の隣に咲くセルシアの、しかし赤い花を摘み取った。可愛らしい薄ピンクの花と違い、鮮やかな血のような毒々しさを放つ花だ。
「開花から時間が経ってこんな感じに赤くなった花の効果は反転して、覚醒作用になる。変色途中は効果の見極めが難しいから手を出さないのが鉄則な」
「蕾のうちは」
「うん、いい質問。効果は薄ピンクの花と同じなんだけど、開いてるものと比べて催眠成分が強いんだ。使うのは問題ない。でも量の調整が難しいから、慣れないうちはやっぱり手を出さないのが無難かな」
リィンは俺が薬師だと知って、その知識を欲した。
……欲した、というのとは少し違うか。
俺が薬師だと話したときの反応は希薄そのもので、ちょっと拍子抜けだった。
普通、みんな驚くか下手な態度に変わるかする。
それは都市から離れれば離れるほど顕著だ。それだけで見る目を変えられるってのは正直気に食わない。でもあんまり無反応なのも悲しい。
薬師は特に小さな集落の生活に欠かせない。
一人いるだけでその町や村のステータスだし、旅の薬師なんてものも、普通の旅人に比べたら格段に歓迎される。
それは怪我や病気にかかったとき、遠くの町を訪ねて医者にかかるよりは手軽――って言ったら聞こえが悪いな――に、手の届きやすい方法で治療することができるから。
もっとも当たり外れが大きいって注釈もつくけど、それは何だって同じだろう。
もうひとつ魔術師に頼るという選択肢もある。
魔術師は医者以上にお目にかかる機会が少ない。
しかも魔術による治療は病気や怪我が大きいほど生命力が失われるなんておっかない副作用があると聞いた。だから一刻を争う状態でない限り俺はお勧めしない。
おお、なんか脱線した。
話を戻そう。
とにかく、無反応の理由を訊いてみた。
そしたらなんと『薬師とは何?』という仰天発言が飛び出してきたのだ。
俺は必至こいて説明したよ。なんで知らないのとかいう質問は、ひとまず置いといて。
その結果リィンの口から出てきたのが、
『私に薬の知識を教えてほしい』
という言葉だった。
それは彼女が純粋に言葉通りの思いを持っていたのと、これからも俺と共にいるという選択をしたのだと考えた。だって一緒にいたくないやつに教えを請うたりはしないだろうし。
そんな選択の理由を、俺は知らない。
訊く必要はないと思ったし、訊いても話してはくれなかっただろうから。彼女はけっこういろいろ秘密主義だ。
とりあえず今話せるだけの講義は終わったので、セルシアを採集することにした。
雑談を交えて。
「なぁ。なんでリィンは笑わないの」
「……今、どこかに笑いどころがあった?」
「うわ、冷たい視線。って、笑いどころを作ってもリィンは笑わないじゃないか」
……いつか、雑談を交わせる仲になれることを信じる。信じたいです。
「笑った方がいいもの?」
「そりゃそうでしょ。その方が俺の目に嬉しいし、リィンの精神衛生上いいと思うけど」
「笑ったこと、ないから。笑い方がわからない」
「……あー……」
さて。
どうしたもんかね、これ。
思わず言葉を失っちゃったよ。
さらりと言ってくれたが、またしても人としてなかなかに問題のある発言だ。
何にって、主に家庭環境とかが。
自分も平均と比較してそんなに恵まれた家庭環境にあったわけじゃないが、ちょっとこれは異常だと思う。
笑い方知らないってどんだけだ。
てか、それは知識の問題なのか。
奴隷とかそういう階級の人間なのかと考えたが、それはきっと違うだろう。
逃げ出した奴隷だったら『まだ帰る気はしない』なんて言い回しはしない。何より彼女が醸し出す空気はどこか高貴な近寄りがたさを覚えるものだ。そこに気後れせずもの言える自分はなかなかに図太いと思うが、それはまた別の話。
どうしたもんだ、とセルシアを片手に固まった俺の頭に、何かが降りた。
力ずく。
悪戯心。
そういう名前の。
「そーだなー……そんじゃ、手っ取り早く笑ってみる?」
「……だから、その方法が」
「うん。だから教えてあげるから。ちょっと目閉じてて」
ものすっごく怪訝な顔して、それでもリィンは紫色の目を閉じた。素直なんだか疑り深いんだかよくわからないね、この子は。
「それじゃ遠慮なく」
にやりと笑う。
俺は両手をわきわきと動かして。
「ちょっ、やめっ、待っ……っ…………ぁ、」
「あ、あはっ、あははははははははははっ」
脇腹を思いっきりくすぐり上げた。
こんな悪戯、子どもの頃以来だ。
笑うのに方法なんてあったものか。
理屈なんて必要ない。
必要なのはきっかけと、体の記憶。
人として大切なものが欠如している、と思う。
それは決してリィンが悪いわけじゃないんだ。教えられてこなかったことが悪い。
さて、それじゃこれから教えていくとしようか。
笑い方だけじゃない。
大切なものを、大切なことを。俺が教えられることなんてたかが知れているけれど。
「……キ、キースぅ………………っ!!」
ぜいぜいと息を乱すリィンの視線が痛い。
俺はそんなことには躊躇わず、実にすがすがしい気分で――爆笑した。
「それでその後どーしたんですかー?」
「あんまりにもむかついたから、蹴り飛ばしてやった」
「わー。その頃から足癖悪かったんだぁ。筋金入ってますねぇ」
「木にぶつけたもんだから後頭部にたんこぶ、背中に打撲傷できちゃってね。実技研修だって湿布作らされたわ」
「(よく死ななかったなー……)それが初めて作った薬だったんですねぇ」
「ええ。調合量多く間違えて余計に悪化させたけど」
「……それ、怒られませんでしたー……?」
「ううん? 初めてだから仕方ないって笑いながら自分で調合し直してた」
「(ひそひそ)……ねぇファルくん。やっぱりキースさまって」
「(小声)天然たらし、だ」
「あらふたりとも。そんなに空飛んでみたかったの?」