金色しっぽ、その理由
「……じゃま…………」
ぼそりと呟きながらふるふる振られた頭の動きで、腰まである長い髪もふわりと揺れる。
なんの手も加えられていない、ただ下ろされただけの髪。
それは普段の活動的(すぎると言えなくもない)な服装とは対極に位置する質素な服装と合わせ、リィンが薬師として人前に出る時の記号のようなものだ。
この薬師の恰好、なかなかの便利ツール。
商売を始める時、反則な笑顔を併用すれば住民に受け入れられやすいのがひとつ。
そして、薬師以外の行動をする時の変装にもなる。あまりに雰囲気が違うので、他人の空似、もしくは親戚設定を貫くことができるのだ。まぁ、特にそこまでする必要はないといえばないのだが……。
髪形も変えるのは、シルエットを変えた方がより効果的とのこと。
とにかく。
彼女が薬師でいるときには、専用の服と下ろした髪が必要ということだ。
ところでこの頃、常にお付きのセレンとファルは、なぜ主が「じゃまだじゃまだ」とぼやきながらも髪を下ろしているのかは知らなかった。
邪魔なら違う形に結えばいいのに。
そう思いながらも、何かこだわりでもあるんだろう、そう考えて特に聞くことはなかったのだ。
そのときまでは。
「ポニーテール以外の髪形にしちゃえばいいんじゃないですかぁ? もっと動きやすそうなかんじの」
焼きたてアップルパイを切り分けながらのセレンの提案に、紅茶を口に運ぼうとしていたリィンの手がぴたりと止まる。
だれの手製かは推して量るべし。テーブルの反対側につき、昨日片づけきれなかったチーズケーキを仏頂面で、無言で食しているファルでないことだけは確かだ。彼は片づけ専門。作るだけ作っておいて、一切の台所の片づけをしたことのないパティシエの。仏頂面で黙々と皿や鍋を洗う後ろ姿は、相棒の尻拭い専門家としての哀愁を感じさせる。そして似合わない。
「……どうして?」
「え、だっていっつも『じゃま』だって言ってるじゃないですか。薬師やってるとき。だったら、ただ下ろすんじゃなくて違う髪形にしちゃえばいいんじゃないかなーって」
「いいでしょう? 下ろしていても」
声が心なし、硬い。常に貼りついている笑顔もなんとなくぎこちない。
なんか地雷踏んだかなーと思いつつも、いやでもこの話題で何の地雷? と持ち直し、セレンは続ける。続けてしまう。
「なにかこだわりでもあるんですー?」
「別にないけれど」
「だったら変えてもいいじゃないですかー。あ、なんならぼくがやりましょうかぁ? そーゆーの得意ですよ。たぶん」
リィンは長い息をついて、止まっていた手をようやく動かし、紅茶を一口。
「それは、だめ」
ゆっくりきっぱり断固として。
「えー。なんでー」
「だめったらだめ。そういえばファルが処理しているアレ。あのチーズケーキだけど。どうすればあんなに自己主張の激しい物体が完成するの」
普段、セレン手製の甘味を食するのはもっぱらリィンのみ。チーズケーキ1ホールくらい、一日もあれば綺麗に消える。そして眼前のアップルパイも同じ末路をたどる。
セレンは自分で作ったものでもほとんど食べない。
そしてファルも、甘いものに手を出さない。あの顔で、あの風体で「甘いものが大好きです」という嗜好だったらちょっと怖い。よけいに怖い。
その彼が、黙々とチーズケーキを食らっている。
仏頂面――というより、おもいっきり顔をしかめながら。
それもそのはず。このチーズケーキ、とんでもない代物だった。
昨日。
魔術式の組み立てが煮詰まったリィンは小屋中に充満するチーズの匂いに誘われ、どうやらできたてらしいチーズケーキをつまんでみたところ。
『…………っ!』
息を詰まらせ、置いてあった水差しからグラスに水を注ぎ、一気に呷った。
その間、3秒。
『セ……セレン……っ、ちょっとここ来なさいっ!』
『はいー?』
語尾の震える声に、台所からエプロン姿のセレンがひょこりと顔を出した。エプロンが似合いすぎて逆に怖い。
『これ。なに』
『え、チーズケーキですけど』
『うん、私もそう思って、チーズケーキだと疑いもなく。自分の視覚と嗅覚を信じて食べたんだけれど。チーズの匂いはするのに、味がまっったく感じられないのだけれど……っ!』
このチーズケーキ、辛かった。
しょっぱすぎて辛かった。
チーズの味なんて欠片もしやしない、もはや塩の塊。
見た目が味を裏切って、味が見た目を裏切りすぎて。そんなシロモノ。
食べられたもんじゃない、でも捨てるのは勿体ない。
そこでセレンはファルに全てを押し付けた。
文句のひとつも言わず、自分に出されたものは絶対に完食するファルに。
「まさか砂糖と塩を間違えたとか、そんなお約束なことをするわけがないわよね」
「間違えるわけないじゃないですかぁ。砂糖と塩とじゃあ、見た目も掬った感じも全然違いますもんー」
「じゃあこの惨劇はなに」
「えー。このまえ町に行ったときー、お菓子に塩を入れるのが流行ってるって聞いたんですよぅ。だから入れてみたら」
「いやどう考えても入れすぎでしょうアレは。入れるって、アクセント的なものでしょう……」
その間も、苦虫噛み潰してでもいるような顔でゆっくりと、しかし確実に処理を進めていくファル。
一気にいくのはさすがに体に悪いから。そう言って少しずつ、ただし痛まないうちに食べることを促したのは製作者。投入した塩の総量を知りつつ、味見すらしていないセレンである。
体に悪いと思うなら手伝え。
そんな声にならない相棒の叫びは無視。完全無視。
もちろんリィンにも手伝う気はない。捨てた方がいいじゃないの、という助言はあったが。一応。本当にささやかに。
「て、話逸らしても無駄ですからね。突きつめますからね」
いっそ清々しいほどに逸らされた会話が、一気に戻された。小さな舌打ちが聞こえたような気がするが気のせいだろう。きっと。
「だからだめなの。髪いじろうとしたら怒るわよ本気で。前と同じで一か月、口きかないからね」
「う……それはもうご免ですー……」
「あれは、自業自得」
もそもそと口を動かしながらぼそ、と呟かれた低音には、恨みがもろもろ込められていた。
「でもそれぼくの提案を却下する理由じゃないですー! リィンさまが自分で髪形変えればいい話ですもん」
どこまでも食い下がらないセレンに、とうとうリィンが負けた。
片手で顔を覆い、長ーく息を吐き出し。
ぼそっと。
「…………できない、の」
「はい?」
「だから、できないんだってば」
なにを? だからどういう理由で?
セレンだけでなくファルまでもが「どうにもわからない」と疑問符を浮かべた。
片手の下に滅多に見せない弱り切った表情を隠し、リィンはがくりと肩を落とす。できれば察して話題を逸らしたままにしてほしかった、そんな望みを捨てて。
「だーかーらー……この、ポニーテール以外の髪形、私つくれないのっ」
「……………………え……えええぇ?!」
「唯一できるのがコレなんだから、ほかの髪形なんてできるわけがないでしょう」
ついに開き直った。
「え、い、いやぁ。でも……ほらっ。ポニーテールができるなら、ツインテールとか」
「……それ私に似合うと思って言ってる?」
まったく笑っていない目に加え、完全棒読みの台詞がセレンに突き刺さる。
――と。
少し離れたところから、咳払い。
リィンとセレンの目が、まったく同時にもうひとりの同席者に向けられた。
「…………俺は、別に。なにも」
何事もなかったかのように半分にまで減った塩(しか味がない)チーズケーキ処分に戻ろうとするファルはだが、口元が若干ひきつっていた。声も微妙に震えている。
「ファルー」
フォークを手にしたリィンは、眼前のアップルパイに視線を落とし。
だすっ!!
――沈黙。
テーブルには、深々と刺さったフォークが一本。
「忘れなさい?」
「……………………はい」
笑顔の脅しに遭った彼がどんなものを想像していたのかは、闇の中。