その転機に前触れはなく02






 ちょっと待ってちょっと待って。落ち着け自分。いや落ち着いてる。だから落ち着いて自分の過去の行動を振り返ってみるんだ。
 そしてどこに落ち度があったか反省して活路を見出すんだ!




 私は今日、相性最悪な相方と、とんでもないハプニング続きの夜勤を乗り越えた。

 ……人生史上最悪な夜だったね。夕飯の食いっぱぐれはまだしも、朝飯まで食べる余裕ないとか半端なかった。どんだけ忙しかったかなんて思い出したくもない、てか最早思い出せない。申し送りの時点で忘れたよ。記憶の彼方に飛んでったよ。

 そんで、どっかネジが緩んで外れたんじゃないかと思われるようなテンションで申し送りを終えて。全然働かない、過去にも未来にも進んでくれない記憶を掘り起こして記録をパソコンに打ち込んで。
 あんまりにも眠すぎて、眠いんだか眠くないんだかもわかんない頭で帰り道辿って。
 駅に向かう途中でちょっとトイレを我慢できなくなり、コンビニに駆け込んでトイレを借りて。それだけで出てくのは悪いからおにぎりでも買ってくか、なんて考えながらドアを開けて。


 そう、ここだ。ここだよ問題は。


 開けたんだよ。開けたの。ドアを。
 トイレからコンビニの店内に続くドアを。







 開けたら噴水に嵌ったんです。







 …………………………いやいやいやいや、物理的におかしいでしょ! こういうの物理的っていうのかは知らないけど。
 普通に考えておかしいってば。おかしいってこの展開!


「って、振り返ったところで活路が開けるかーっ!」


 全然落ち着いてなかった! 落ち着こう自分!
 ……おお、なんか「落ち着く」の活用形の回答みたくなってきた、なんて馬鹿な思考が頭を通過した。それは今必要な知識と違うんだ、違うんだよ……。主に中学校の国語のテストで発揮されていたかった知識なんだよ。自粛しろ、「落ち着く」。




「おーーい。頭だいじょぶかーい?」




 頭上から声が降った。
 心配そうな、呆れ混じりの、それでいて変な人の様子に引いてるんだけど声をかけずにはいられない、そんないろんな感情がごちゃ混ぜになったような声。


 あの……なんていうか、ね。
 人がいることに初めて気づいた今! しかもけっこう近いとこにいた。3メートルも離れてない。この人が近づいて来てたにしろ、ずっとそこにいたにしろ、全然まったく気づかなかった私ってどんだけ不注意! 観察眼がない!

 ――と。
 なんか違和感。
 いやいや、風景と人物の兼ね合いに違和感はないんだ。異国カントリー調の背景と実にマッチした薄ーい茶髪のひょろ長い色白イケメン兄ちゃんが、こっちをのぞき込んで――。


 …………………………ん?!


 思わずガン見。

 外国人さん…………に、しては、流暢に日本語喋ってらっしゃるし……在日外国人さん? いや、そこも重要っちゃあ重要だけど、重要なのはそこじゃない。

 今、私の目を奪って止まないのは――その。


 なんか先っちょにキレーな装飾の施された棒。


 ちょいとお兄さんよ、あなたがそのつっかえ棒にして重心をかけていらっしゃる、RPGとかで「杖」とか「ロッド」とかいう名前がつけられてそうなシロモノに酷似したソレは。なんですか。

 なにそれ、日常生活に必要なモノ?
 おじいちゃんとかおばあちゃんが日常的に使用するのと同じ用途なら文句は言わない、言いませんとも。代わりにちょっとした同情の視線をプレゼントしてあげよう。

 でもそういう種類の用途にしては――そんな飾り、いらなくない? てか、長すぎない?

「とりあえずそっから出てきたらどうよ。そろそろ。野郎ならまだしも女の子にずぶ濡れのまんまでいられたら、さすがに俺の良心も痛むって」

 ……文面だけなら女の子に対する配慮があるって分かるけど、耳で聞くと、ついでに表情と態度見るとまったくそんなの欠片も感じられないんですけど。
 だってすっごい面倒くさそうなんだもん。これでもかっていうほど全身で「面倒くさい」をアピールしてる! 普段もそうだったら絶対もてないよ、あんた。

 ついでに訂正、やっぱり違和感。
 こんな、いかにも外国人って感じの人の流暢な若者言葉はめちゃくちゃ違和感!

「あっれぇ、もしかして言葉通じてなかったりすんの? ……ピアス、適当な魔法式編みやがったな……」
「あ、いえいえ。上手ですよ日本語は」

 なんとなく、困ったな、という感じで舌打ちした兄ちゃんに罪悪感が芽生えたわけじゃないけど、兄ちゃんの言葉に言葉で反応しなかった――以前に態度ですら反応しなかったのは事実。これに関して兄ちゃんに落ち度はない。

 …………て、ちょっと待って。

 今。
 兄ちゃんの言葉の中に、ものすごく聞き捨てならない単語が混ざってた気がする。

「なんだ。通じてんなら早く言ってくれってぇの。で、あんたいつまで噴水と仲良くしてるつもり」
「……ちょいと、お尋ね申します……」
「あー、はいはい。そっから出てきてくれたら聞くから」

 やっぱりこの上なく面倒そうにあしらわれたけど、これは、これだけは流せない。流したらなんか、一般地球人として駄目な気がする。


 肩に掛けていたバッグを持ち直し、のろのろーっと立ち上がる。バッグの中身は大半がご臨終の気がする。特に携帯とか手帳とか。でも今はそんなこと気にしてる場合じゃない。

 割と薄着の秋服とはいえ水を吸った服は存外重い。しかも、膝までしかないくせに水の中を歩くのは一苦労だ。
 噴水の縁を乗り越えた途端、私はべしゃっと座り込んでしまった。

「おいおい、だいじょぶ?」

 今度こそは気遣わしげな声色で兄ちゃんが傍に寄った気配を感じたけれど、正直、そんなのどうでもいい。


 動悸が収まってくれない。
 頭が、心が、「そんなの嘘だ、聞き間違いだ」と笑い飛ばしているのに、私の中のなにかが否定する。


「魔法式、って…………なに」


 うつむいたまま、口にする。
 視界の半分以上は顔に張りつく髪で邪魔されている。それは今の私には好都合だった。
 だって見なくて済むから。

 ついさっきまで自分がいたはずの現代日本を感じさせない風景を。


 お願いだ。
 頼むから兄ちゃんよ。冗談だと言ってくれ。言ってくれたら絶対もてないって思ったの撤回するから。




「なに、って。魔法式は魔法式だろ? 魔力をいろんな力として発現させるための方程式。あ、もしかしてあんたがいたの、魔法のない世界だったん?」




 そりゃあ難儀な世界にいたもんだね。







 おいおいおいおい神様よ。

 なぜにあなたはここ1週間、夜勤明けの2連休だけを楽しみに生きてきた子羊にこんなプレゼントを寄こしやがりましたか。
 嬉しすぎて涙も出やしない。

 ……私、神様なんか信じない無宗教の人間だってこと、ことわっておこう。




   2009.12.6