その転機に前触れはなく03
兄ちゃんよ……魔法って、魔法って……簡単に言ってくれたけど…………。
早速自分がその魔法のお世話になるとは思いもしなかったぜ、こんちくしょう。
ヤツは「信じない、魔法なんてあるわけない絶対信じない」ってそれこそ呪文みたいに呟く私の口を見事に封じて見せやがった。
彼、全身濡れネズミの私を、ドライヤーも使わず乾かしてくれました。
思わず「ちょっと便利」とか思っちゃったのは内緒だ。
目の前で、しかも自分を披験体にされたとあっちゃあ、信じないわけにいかないじゃない……。
でも確かに納得したよ。
うん。
ここは地球じゃない。
私がついさっきまでいたはずの世界じゃない。
だって魔法なんてもの、地球じゃ空想の産物だ。いくらゲームや漫画や小説で大活躍していても、所詮は現実では決してあり得ない。
兄ちゃんはそれを使えて当然、みたいな言い方をした。もし兄ちゃんが地球にいるかもしれない黒魔術とかを信じてる人たちだったら、こんな言い方はしないだろう。
なんで私がコンビニのトイレのドアから違う世界に来たのかは知らんけど、私は今「異世界」なんて場所にいる。
非現実的だけど、それが私の現実だ。
……しかしトイレのドアからって…………もう少し、こう……雰囲気とか、そういうものが、何とかならなかったものでしょうかね………………。
私は兄ちゃんに乾燥機の魔法(?)をかけられて乾かされた後、なんか話があるからって家に連れて行かれた。
って言うと聞こえが悪いって兄ちゃんに怒られそうだから訂正。
一軒の家に連れてかれた。
……あんまり変わらないけど、まぁ、彼の家ではないっていうニュアンスだけ伝えたかったんだよ、うん。
ずいぶん歩いてそこまで行ったわけだけど、なんでこんな遠くまで行くのかって聞いたら「町の端まで行く必要があんの」っていう変な答えが返ってきた。……話くらい別にその辺ですればいいじゃんて思ったけど、どうやら私に選択権とか発言権はないらしい。むっとしながらついて行った。
それにしても、天気のいい日中だっていうのに人が一人もいなかったのが気になる。まぁついて行けばその理由もわかるだろうって楽観的な思考が走った。本当、楽観的だ私。
それってきっと、この時はまだ実感なかったからなんだろうけどね。
それで家に着いた私は、やっぱり緊張感なく出された紅茶(らしきもの)を飲んでついついほっこりしてしまった。
しかもついでに眠くなってきたよ。
だって、私もう24時間以上起きてる……。
昨日ゆっくり朝の10時に起きて、夕方からほとんど座りもせずに仕事して、病院出たのもかなり遅めの9時半過ぎだったから確実に丸一日起きてる。
……うっわ。意識したら余計に眠くなってきたー。
この茶髪……っていうよりミルクティー色って言った方が正しいくらい薄ーい茶色の髪の兄ちゃん、名をロべルトって言うらしい。
どうやらかなりの面倒くさがりらしい彼もセオリー通り……いえいえ、人としての礼儀通りにちゃんと自己紹介をしてくれた。
それに対して、うわ外国人さんの名前だよ、って一瞬引いちゃった私の方こそ礼儀がなっちゃいない。
兄ちゃんの名前、自分の中でロべルト、と唱えてみた時はよかったんだけど。
「ロべ、るト」
「……なんだそれ」
噛んだ。
特に「ベ」のとこ。
だ、だって発音しにくいもん! 「ロ」の後に続く「ベ」って、ラ行とバ行の組み合わせの中で特に鬼門だと思うんだ! 日本人は巻き舌苦手なんだよぅ!
なんか可哀想なものでも見る目で見られたから悔しくなって何度かリベンジしたんだけどさ、こういうのって一度ハマると抜け出せないんだよね。早口言葉と同じで。
あまりに何度も噛むもんだから、兄ちゃんは見かねたのか。
「ロディでいいよロディで。もう」
って妥協してくれた。
ん? これ妥協っていうのかな?
まあいいか。
でも今度は私が名乗ろうとしたら、こいつなんて言ったと思う!
「あ、いいから。あんたの今の名前知っても意味ないしさ」
……………………はぁ?!
あんたのもの言いこそ「なんだそれ」だってぇのっ!
名乗ろうとした人間に対して、意味ない、とかどんだけ失礼なわけ?!
開いた口がふさがらないって言うのは正にこのことだと実体験しちゃったよ。あまりのことに、声が喉の奥に引っ込んだみたいに出てこない。なんて言ったらいいのかすら言葉が見つからない。
「わっ、私は清水結花って親から貰った立派な名前があるのっ! それを、い、意味ないとか言うとか……信じらんないっ!」
「あ、そう。でも悪いけど、その名前ホントに意味なくなるかんね」
やっと出てきたそんな叫びみたいな言葉すら、低温テンションでしらっとさらっと流しやがったこいつ!
なにこいつ。
なにこいつ!
誰かこいつに礼儀ってものを教えてやってほしい!!
「あー……とりあえずこれだけは聞いてな。怒りながらでもいいから」
怒ってるって分かってるならせめて謝罪の一言でも口にしとけ……っ! それだけで許されると思われるのも癪だけど、せめて一言謝っとけ!
「あんたはね、帰れないから」
「……は?」
どこに。
どこに帰れないって?
「今あんたのいるこの世界――レニヴェースから、あんたが元いた世界には帰れねぇの」
ロべルト兄ちゃんは言ってくれた。
面倒そうにテーブルに頬杖ついて、どっか眠そうな顔で。
帰れないって。
待って待って待って。
え、ちょっと、帰れないって。
「そんなあんたには国王陛下から名前のプレゼント。ありがたく受け取るんだね」
「こ、国王っ? 名前って…………はぁっ??」
なにその会話展開。飛躍しすぎだし。
待って待って、だから待ってってば、頭がついて行かないってば。
「シミズユイカとやら。あんたはたった今からユファリス・スノーベル。あ、いっとくけど拒否権ないから。いろいろと」
「とりあえずその言葉に拒否権欲しいんだけど!」
いろいろ言葉が出てこないけど、これに対するつっこみだけは思わず出てきちゃったじゃないか。
ユファ……なんだって? 一度じゃ覚えきれない……それ以前になんでそんな名前ありがたく貰わにゃならんのだ! 説明! 事実だけ言うんじゃなくて説明してって!
「ないって言ったばっかっしょ。んで、あんたには異世界人保護法って法律が適応されるんだけど」
「ちょ、まっ……なにそれ……ってかそんな矢継ぎ早に……」
「その手続きがあるんでこれから当分俺についてきてもらうから。これにも拒否権ないんでよろしく」
「あの、だから私に少しは……」
「なに。断ったらあんたが困るだけって問題でもないから、できれば大人しくついてきてもらいたいんだけど?」
ぷつん。
切れた。
私の中で、何かが。
「少しは考える時間くらい寄こせってぇのーーーーっ!!」
長い尾を引く叫びを終えた後、肺が酸素を求めて激しい息切れに襲われたけどそんなの少しも問題じゃない。
突然の大音量にロべルトはちょっと面食らったような顔をした。
……けど、一瞬後には視線を逸らして、相手にするのがものすごく疲れる、とでも言いたそうに深ーい溜息なんかつきやがった!
こ、こいつ、どんだけデリカシーのない男だ……っ!
溜息つきたいのも疲れてんのも私の方だぁっっ!