その転機に前触れはなく05
「ねぇあんた、どんだけあり得ないの」
ええわかってます。言われなくてもわかってます。
そんなブリザードみたいな低温の目で見なくたって、わかってますよ。むしろ私もびっくりだよ。どんだけ緊張感ないんだ私。
話を始めた時にもう一度淹れてもらった紅茶はすっかり冷めきっていた。もったいなくて半分しか手をつけていなかったのに。
爽やか兄さんの紅茶は、ロベルトの淹れた紅茶が馬鹿みたいに思えるほど美味しかった。お茶は淹れ方ひとつで味が変わるものだっていうのは知っていたけど、まさかあそこまでとは。ロベルトのはティーバック製、爽やか兄さんのはプロの淹れた高級茶葉の特殊製。そのくらいの差があった。……プロの淹れた高級茶なんて飲んだことないけどさ。ものの例えだ。
で。
最後に見た記憶ではほかほかだったはずの紅茶が、なぜに冷めきっているのかって話だよ。
なぜに、気づいたらロベルトのカップにだけ湯気が立っているのかって話なんだよ、うん。
ああ、ロベルトのじとっとした目が痛いです。
主に私の良心とか良識に。
あぁ、それなのに脳が酸素を求めて。
「――くぁ……」
特大級のあくびが! しかも涙付き。
……うん。
居眠りぶっこいてました。
だ、だって睡魔に囁かれたんだもん!
うううう……それにしたって何たる失態。説明しろと迫ってようやくその機会にこぎつけたっていうのに、肝心なその時になって夢の住人になるなんて!
でも、眠ったことでわかったことがひとつある。
これ夢じゃない。
い、今さらとか言わないで。
……。ちょっとだけ、期待してたんだー……。
ところで、「せっかく」をわざわざ強調してくれたけどロベルト。
元はといえば、最初からちゃんと説明してくれなかったあんたが悪いんだからね。
だいたいね、眠さMAXの状態で、あんな調子で説明されたら普通寝るよ。寝ない方がおかしいよ。
だって彷彿とさせられた。ちょっと残念な感じにお年を召された大学教授の、何言ってんだかよくわかんない「聴力検査? 集中力の限界への挑戦?!」とか疑いたくなる講義。あとお経。
……寝ろって命令されたのと同じだと思うよあれ。
「私どんだけ寝てました……?」
「半日」
「……はっ?……んに、ち?!」
居眠りどころの話じゃなかった。マジ寝! どうりで体と頭がすっきりしてるわけだ。
そりゃジト目で見られても無理はないかもー……。肩が竦みます。あの、兄さんや。その目やめませんかー。
「お、起こしてくれても」
「ああうん。それどうでもいい」
「――はい?」
ロベルトがゆるゆると頭を振った。
ん? なんか、面倒っていうよりも呆れたっていうような雰囲気……。マジ寝ぶっこいた以外で、私なんかあり得ないって言われるようなことした……? まったく身に覚えがないんですけど。
「あんたが寝たのは当たり前なの。クルセイド様がそれに魔法をかけたんだから」
それ、と言って顎で示されたのは、すっかり冷めきった私のカップ。
え、なに。魔法?? もしかして一服盛られた? 爽やか兄さんめ、涼しい顔してなんということを。って姿が見えないけどどこいった兄さん。
「睡眠導入と体力活性、あとは鎮静の混合魔法式。あの方は治癒系が専門だから。体軽くなったんじゃない?」
「……言われてみれば」
お、おぉ? すっきりしてたのは魔法の効能だったのか。
悪かった、何を疑ったわけでもないけど疑って悪かった爽やか兄さん。なんかいい感じの魔法をかけてくれたようで。よくわからないけどお礼をしたい気分。
「クルセイド様なら帰った。言っておくけどユファリス。あの方はここには来ていなかった、だからあんたはあの方には会ってない」
「そういうことにしとけ、ってこと?」
「そういうこと」
「……なんで」
「………………あー……」
ロベルトが視線をすいっと流して、遠い目になった。……この後の言葉、容易に想像できるんですけど。なんというか、ニュアンスを。
「なんででも」
はい想像通りー。
絶対この人、今、説明するのが面倒臭いって思った! だんだんこの人を掴めてきたぞ。
この人、研究者気質なんだ。
なんていうのかな……こういうことを言って、自分が予測してた以外の答えが返ってこないと会話意欲が削がれるというか、それ以外の答えを返されて、自分の思い通りに会話が進まないと気に入らないというか……。うん、なんていうか……一方通行なんだよね。
プレゼンとか講義は得意だけど、くるくる話題や論点が変わるキャッチボール形式のコミュニケーションは苦手。
話が脱線して自分のペースが乱されるのが気に入らないから、意図しない話になると面倒くさがるんだよ。
そうだ、出てきた言葉。――理路整然。
これはこうで、あれはああで、だからこうなって。
そういう論理的な思考回路してる人。それだけならいいんだけど、この人、相手にもそれを求める人だ。
つまり、かなりのマイペース人間。
論理的な人がマイペースって決めつけるわけじゃないけど、この人はマイペース。
人付き合いとか苦手だね、たぶん。で、あんまりコミュニケーションに価値を置かない人間。爽やか兄さんには割と丁寧だったから上下関係はそれなりにしてるんだろうけど。
寝てすっきりして、多少は落ち着いて頭回るようになったら、そのことがわかった。いや、わかったからってこの人が円滑な社会性に少々問題アリってことは変わらないんだけど。
「ねぇ。ところで……あり得ないって、何が?」
そういうことなら、こっちから最初の話に戻してやることにしよう。無理にこっちの我を通そうとすれば、この人絶対へそ曲げる。機嫌を損ねられでもしたら、また説明の機会を逃してしまうかもしれないし。
ここは大人にならなければ。いやいや私大人だし。最初から。
「ん――あぁ。そう、本気であり得ないよねあんた」
お。乗ってきた。転がし方がわかると以外にわかりやすいなこの人。でもあり得ないって言葉、さりげに傷つく! だから何がありえないんだっつぅの。早く言えこんちくしょう。……な、何があり得ないと仰るのでしょうかロベルトさん。早く教えてくださいませ。
……いかんいかん。言葉の乱れは心の乱れ! 平常心平常心。寛大になれ、私。頭に血が上ったら、理解できるものも理解できん。
「記録には、異世界人は最終的にさえ二つ持った事例はないって記述あったし」
ロベルトはミルクティー色の片方だけ長い横髪をいじりながら、ちょっと思案にふけるような目になった。……しっかしキレーな緑色だなー……ものすごい淡いペールグリーン。つか肌白い。羨ましい!色素薄いのかな。全体的に薄いし。
「……」
て、考え込むのもいいけど、私置いてきぼりです。お願い、言葉にしてくれ。んで話進めて!
「あ、あのー。だから?」
「あのさ。ユファリス・スノーベル」
「はい」
あの、ものすっごい怪訝な顔で言われたから、またつい返事しちゃったけど。……本気で改名を受け入れなきゃならないんだろうか。呼ばれる度になんかぞわぞわする、その名前。
「なんで属性二つも持ってるわけ」
いやいやいや、なんでって聞かれても!
それ以前に属性なんてファンタジーな要素を持った覚えはありません!