その転機に前触れはなく06
この世界――レニヴェースには、たびたび異世界からの闖入者が訪れる。
前回は3年前、若い男が隣の大陸にやってきた。
特に周期があるわけでもなく不定期に、しかしかなりの数の異世界人が過去に記録されているということ。
彼らの意思はともかく、彼らによって持ちこまれた知識は数多の戦や災いをレニヴェースにもたらしたこと。
そこで制定されたのが「異世界人保護法」で、ロベルトはこの法律によって私にこういう説明をしている――しなければならないこと。
魔法は、誰にでも使える身近な力。世界を動かす中心。
子どもの頃から扱う術を学ぶのだということ。
私があの時間、あの場所に現れるのがわかったのも、魔法の力によるものらしい。そして、この世界の言葉を知るはずのない、知っていても使えるはずのない私が問題なくロベルトと会話できているのも。
そして属性。
基本は火・水・風・土・光・闇……というなんともRPG的にオーソドックスなものだった。
他にもないわけではないみたいだけど、とんでもないレアモノらしい。ま、考えなくてもいいってことだ。
属性は全ての人がどれかを持っていて、普通はひとつ、多くてもふたつ。
しかしこれまでレニヴェースにやってきた異世界人はひとつの属性しか持たず、しかも魔法を使えた者はひとりもいなかったらしい。記録では。
あの後「まあいいよ。あんたはよくわからない規格外ってことで理解しとく。今は」っていう、最後の『今は』になんだか不安材料を植えつけてくれたロベルトによれば、私は「水」と「地」を持ってるらしい。
……言われても、はぁ、って返すしかなかった。
私がとりあえずロベルトから手に入れたのは、そんな情報。
たぶん結構な確率でかいつまんで……というか、細かい説明して質問されるのが面倒だからっていう理由で、適当に流して説明された個所もあると思うんだけど。いや思うじゃなくて絶対ある。あることを信じて疑わない。
でも正直、その方がありがたかった。
これだけの情報でも、一気に提示されただけで既に許容量に達してる。この兄さんの手抜きに感謝する日がこようとは。まだ会ったばっかりに等しいけどね!
いや、ね。許容はしてるよ? どうやら許容しないとならない雰囲気だし。
でも「今の状況を受け入れる」っていう受容の段階から、「自分の今置かれてる状況に対応する」っていう理解のステップへと進む階段は、実はなかなか急傾斜でね。
保守的な組織に組み込まれ、柔軟さをいくらか失いつつある24歳社会人、なかなかそこまで辿りつけないのですよ。え、柔軟の息切れを起こし始めるのが早い? ……それだけ社会への順応が早かったってことにしといてください。それって嬉しいんだか悲しいんだか。今となっては足を引っ張る要因にしかならないね!
これらの情報を一気に頭の中で整理できた……んだったら、これまでの人生で試験にあっぷあっぷしてた過去はなんだったんだって話ですよ。
……はい。
白状します。しますとも。
今度こそ問答無用で講義方式の「説明」に入ろうとしたロベルトを、「待ったあッ!」の一喝で奇跡的に押しとどめ。
バックの中から取りいだしたるは3色ボールペン。
あと皺がよってヨレた感じの手帳。
あ、そういえば濡れたんだもんね。乾かしてもらったけど、さすがに元に戻るまでは効果のうちに入らないのね、とちょっぴりがっかりしたのは内緒内緒。
やっぱりーというべきか、ぼそぼそぼそぼそ一本調子で説明を始めてくれやがったロベルトの言葉、鬼のようにメモりましたとも。ええ! 学生時代にその熱意が発揮されてればよかったのにねって自分で思うくらい、鬼のように。
一言一句洩らさなかった自信ある。
いえすいません言いすぎでした。最後の方ちょっと精魂尽き果てて、洩らしたかもしんない……。
それはともかく。
私は水に濡れても復活した文明の利器「ボールペン」に感謝をせねばなるまい。
……もうひとつの文明の利器「携帯電話」は、確かめるのがちょいと怖くて開けないんだけどね……。私の携帯に水の耐性なんてないよ。そんな今までの私には必要なかった、でも実は必要だった機能なんて付加させてなかったよ。
私は今、やっと一人にさせてもらえている。
情報を整理して考えをまとめたい、そうしないと、どうするのがよくて何をしたら悪いのかの判断がつかない――強く言ったら、ロベルトは呆気ないくらい簡単に「そう。じゃそうして」と言った。あんまりにも呆気なかったから、こっちが「え、いいの」って聞いてしまったくらいだ。
「ユファリス。あんたは思ったよりは頭悪くないみたいだな。短時間での理解力が低いことを理解できてる」
――夕方には戻る。
彼はそう言い残すと、ケープをふわっと気流になびかせて戸外に出て行ってしまった。その手にしっかりと、あのやけに長い杖を握って。
……思ったよりはって。何さソレ。それにだから、私は結花ですってば。
でもなんか心の中ですら、それ以上の反応する気力がない。薄い。
たった一日であの兄さんの、デリカシーの在り処が感じられない暴言に慣れてしまった自分に気づいて、あぁ、こういう順応は早いんだな……と認識。こういうのには順応できる。だって実社会でも想定できる範囲内。
ようやく自分だけの空間を確保できた私は、とりあえず「うあぁあぁぁぁぁ……」なんて奇声を発しながら机に突っ伏した。
うん、だってなんかそんな気分。
他人に見せたくない怪しい行動を十分に堪能してから、メモにちらりと目を走らせた。
一際目を引く、赤い色でぐるぐると丸く囲われた見出し文字。
いろいろと確認したかったことはあったけど、その中でも特に考えをまとめなければと必要に迫られた、それは。
「異世界人保護法――ねぇ……」
まず、字面がそのまますぎてある意味笑える。
そんな第一印象は果てしなくどうでもいい。
身の安全を保障するかわりに、持っている知識や技術をこの世界で使うな――つまりはそういうギブアンドテイクの法律、らしい。
で、私がありがたく頂かなければならないらしいユファリスなんて名前も、この法律の一環なんだそうだ。身の安全の部分で。
異世界人保護法は、最初ロベルトが矢継ぎ早に説明しようとしたときにも出てきた言葉でもある。
そのときは聞く姿勢になかったから何とも思わなかったけど、ヤツはなかなか大事なことをさらっと流して説明しようとしてくれたわけだよ、こんちくしょう。
『その手続きがあるんでこれから当分俺についてきてもらうから。これにも拒否権ないんでよろしく』
そして確かにロベルトはこう言った。それは確かに覚えてる。偉いぞ私。
拒否権がないってことは、本当に拒否できる権利がないんだろう。
王様からいただいた名前ってことは、確実に王様なんて雲の上の人が私の存在を知っているということ。
もし私が有名人で、総理大臣に会うように言われたら拒否できないのと似たような理由だ。拒否しちゃおうものなら社会的にまずいっていう。
で、その上でロベルトは異世界人保護法に私を適応させるために私と接触した。迎えによこされた。
つまりこの法律のことでロベルトに文句を言っても、それはお門違いってわけだ。彼はきっと「行ってこい」と義務で派遣された、しがない下っ端なんだろうから。
「ああー……、国家的問題……?」
つまり私はこれから、この異世界人保護法とやらに関わらざるを得ないわけだ。
下っ端に私をどうするかなんていう決定権を渡すわけはないから、彼の国の役所か――もしかしたら王様のところなんかまで連れてかれるのかもしれない。
な、なんかそれ、すっごくヤダなぁ……。
王様って、響きはロイヤルでキラキラしてそうだけど、なんかドロドロもしてそうで……え、これファンタジー小説の読みすぎ?
だって、なんか怪しい。
そんな「過去に戦や災いをもたらした」なんていう実に危険な、でももしかしてうまく使えばとんでもないジョーカーになるかもしれない人間を放っておくものなんだろうか。
私はそんなジョーカーな手札持ってないけどね。
うん。清々しいくらい持ってない。
でも私が手札を持ってるか持ってないかなんて、関係ないかもしれないんだ。
『持ってるかもしれない』
この『かもしれない』の勘違いは、時としてとんでもない事態に発展するから。
ちょっと本気でいろいろ対策考えないとまずいかも……そんな思いでメモに必死にとったメモに食いついた私は、そのとき初めて気づいたんだ。
手帳のメモ欄に書き込んだ文字もじモジ。ちょっと待て、後で判読できない個所あるかもコレ……ではなくて。
「なにコレ」
何ページ分か破り取られたページがあることに。
誓って、こんな扱いをした記憶はない。
いや何に誓うんだって聞かれたら困るけどね。そんな私は無宗教。実際は仏教のなんかの宗派には入ってるんだろうけど、そんな自覚がまったくなかったから、宗派名行方不明。いいよ別に。これから知ることも知る必要もないさ。だって帰れないんでしょ、へっ。
いやいやそんなコト今はどうでもいいんだよ。
今はってか、今じゃなくても結構どうでもいいんだよ。私にとっては。
「誰かが破った――はないな」
自慢じゃないがこの手帳、あんまり有効活用されていたとは言えない。今回のメモ書きが今までで最高の手帳の有効活用だったと自負してます。
スケジュール欄なんて自分の勤務表を「日勤」「夜勤」「休み」のマークでつけているだけだし、それ以外の予定なんてそうそうない。悲しいね!
日記(のためだと思ってる)欄も、ぽつりぽつりと一ページにひとつ記述があればいい方だ。三日坊主は自覚して10年以上が経過していますが、何か。
しかも現在――この世界にやってくる直前は10月。
新しい年の手帳が出回り始める時期だ。言わば手帳の初旬。手帳市場の黄金時代!
毎年買ってはほぼ使わなかったことに後悔する私だけど、それでも必要ではあるから例にもれず……買い換えたばっかりだったんだよね。
そんな「今年こそは有効活用しよう!」という決して叶わない抱負を抱いて使い始めた手帳。
きれーーなもんです。
まぁ社会人に似合わないピンクのうさぎ模様がまぶしくて……。
そんな使われない手帳の使われるはずのなかったメモページ、どんな理由で破るというのか。
……はぁぃ、もひとつ発見。覚えのないもの。
でもそれを見つけた瞬間、なんだろう。私の中でなにかが浮かんで――そしてそれがなんだったのか消化できないまま、ふつりと消えた。
「だいじょうぶ、なんだ」
そんなふうに何の疑問もなく、ただ納得する自分がいる。
無条件に安心する自分がいる。
それは破られたページとは別のページの端っこの、見覚えのない走り書き。
『空はだいじょうぶ。心配ない』
汚いけれど、確かにそれは私の字。
私が私に伝えたかった、大事な伝言。
書いた記憶のない自分の筆跡はいくらかの疑念を抱かせたけれど、それは確かに私に安堵をもたらした。