前向きに歩むことこそ真理 09






 がたがたがたがた。

 べつに震えてるわけじゃない。
 単なる効果音、BGM、ダイレクト振動。リピート効果つき。

 ここに牛乳瓶があったら、なにもしなくてもバターが作れるんじゃないだろうかなんて野望が浮かんだ。浮かんだはいいが、その前にこの世界に牛はいるのか。検証するにはそこからか。

 尻が痛いのはもちろんだけど、いつ着くんだかわかんないっていうエンドレス気分の多大なる貢献のもと、私はうんざりしています。
 ぶっちゃけ目的地がどこなのかすら教えてもらってないんですよ、にいさんや。
 いや最終目的地はわかる。メルギスってお国の偉いお人のところなんでしょうねぇ……。

 気を重くしたところで、意識はまた尻の痛さに向く。
 そこでふっと思い出す。
 高校生のとき学校帰りにいたなぁ、「田舎電車は遅くてうるさい」って電車の中でわめいてた赤ら顔のおっさん――って。

 おいおい一杯ひっかけてのお帰りにしちゃあまだ早いんじゃないのかい、なんて思ったのは……はい、今です。さすがにあの頃はまだ純真だった。たぶん。き、きっと……。うぅ、だんだん自信なくなってきた。

 とにかく。
 いい大人が言ってもなんの益にもならないことを公共の場でわめくっていう迷惑行為を差し引けば、差し引いたらほとんど何も残んない気もするけど……あのおっさんの言い分はまぁある意味正しい。


 だって、のろいんだよ。


 ここ、交通事情はある意味田舎。
 荷馬車どこまでのろいんだ。これなら一度乗ったことのある人力車の方がはるかに快適かつ速かったぞ。

 お馬さーん、サラブレッドになれとまでは言わない。そこまでの努力とか血統は望まない。

 だからせめて、……走らないかい? それがダメなら早歩かないかーい?

 ……なんて視線をお馬さんの首後ろに送ってみる。
 ちっ。にわか念力じゃ通じないか。

 諦めて、じーっと……ぼーっと、ミルクティーの髪に視線を固定。


「……聞きたいことあるなら訊けば?」


 していたら、紙束をぱらりとめくって顔も上げずに言ってくださった。

 態度軟化のきざしあり?!
 ついつい、以っ外ーっていうかもう、なにこの天変地異の前触れみたいな表情になってしまったじゃないか。どんな風の吹きまわしだとか。
 って、私も大概失礼なやつだな。このにいさんと会ってまだ3日しか経ってないよ。でも私間違ってないと思う。うん、きっと。んでもって口に出さないだけましだ絶対。

「答えてくれるなら訊きます」

 ええ、そりゃもういくらでも。わんさかと。
 たぶん訊きたいことがなくなることなんてないです。情報不足にすぎるからね、今の私!

「答えられることならね」

 ……それ、面倒だったら答えたくない=答えられないってニュアンス含む? ねぇ、含んじゃう? いいけどね?!

「年、いくつ?」

 こう訊いてやったときのにいさんの反応は……はい、予想通りです。そろそろ悲しくなってきました。こんな予想的中嬉しかないやい。

 しらーー……って音が聞こえたかと思った。
 そのくらい白い目。あの、だから、その視線……精神衛生によろしくないって…………。

「……知ってどうすんのさ」
「も、もちろん情報のひとつとしてインプットしますよ」

 疑わしい目をもらいました。でも、ぼそっと26だけどっていう答えももらえました。

 やっぱり年上かー。
 年下だったらそれはそれですっごい怖い、てか痛い。上でよかったー。

「じゃあ家族は?」
「いるけど」
「……構成を訊いてるんですよ」
「…………両親と、きょうだいが5人」
「多いですね」
「そうでもない」
「何番目ですか、一番下?」
「下に一人いる」
「職業は? やっぱり魔法使い?」
「大学の院生。今は、まだ」
「大学あるんだ。どんな研究してるんですか?」
「防護魔法の開発」

 一問一答。
 そこからの会話への発展なし。一切なし。

 せめて言おうよ、そっちは? くらい!


「あのですね、もっと、こう……円滑な人間関係を築きましょうよ。せめて会話しませんか」


 言った!
 ようやく言えたよ私。偉いよ私!
 言いたくて言いたくてたまらなくて、でも言えなかった心の叫びをようやく解き放つことができたよー!

 っていう内心の喜びも束の間。


「だったら人の名前くらい呼べば?」


 えっと……鼻で笑われた、んだけど。え? 名前?

「は?」
「俺の名前。ユイ、あんた自分の名前はあーだこーだと言う割にはさ、俺の名前は呼ばないよね」

 ぐ……っ、い、痛いところを突いてくれやがってこの男!

「俺は『お願い』された通り、ユイって呼んでる。それなのにユイは名前だけじゃなくて、代名詞でさえも俺を呼ばない。それはなかなかに礼を欠いてると思うんだけど?」

 た、確かに言われてみれば……それは頷ける、私に落ち度がある。
 でもちょっと待って、お願いだから待って。

「間違ったこと、言ってる?」
「いや言ってない……言ってないですけど」
「けど、何」

 ――失礼って、それあんただけには言われたくないんだよ。

 そんなこと言えない……口が裂けても言えないよ…………そんなん言ったら私の方から人間関係悪化させる。そしてもう十分悪い気もひしひしとしてる。

「……な、なんて呼んでいいのかわかんないんですよ」

 ごまかした。ちょっと繋がり悪いかもしんない……でもホントそうなんだよ、わかんないんだよ本気で。

 一度は呼び捨ててやるーって意気込んだんだけどね? だんだんと心の中でさえ兄ちゃんとか、にいさんとしか呼ばなくなっていったのさ。
 声に出したのだって最初の一回と、迷子札つけられたみたいな契約のときだけだ。

 私は、知りあって間もない人を呼び捨てで呼べる気安さを持った人間じゃない。
 そういう気安さを持てる人を羨ましいとは思うけれど、軽すぎるとも思う。だから私は本当に気を許した少数しか名前を呼び捨てない。
 堅いって言われたこともある。でもこれは、私のポリシーというか……染みついてしまった性質なんだろうね。ここが異世界だろうがどこだろうがそれは変わらない。

 ……でもね、だからってね、『ロベルトさん』だなんて私は死んでも言いたかないんだよ。こんっな失礼男に『さん』なんて敬称つけて呼びたかないんだよ。敬語使ってやってるだけありがたいと思え!
 どうやら愛称らしいロディも却下。そんな可愛い名前でだれが呼ぶか。

 そういうわけで、私はこのにいさんの呼び名を行方不明にさせていたわけですよ。

 今まではべつに問題なかった。私が話しかける相手といったらこの人しかいないし。
 これからもそれで済むなんて思うほど、私はおばかじゃない。でも、なんと呼べばいいものかって深く考えなかったのも事実なんだよねぇ……。本当イッタイとこ突かれたな。

「なにその子どもじみた理由」

 ええ、ごもっともですとも。
 恥を忍んでぶっちゃけた私への視線は相変わらず寒々しいね。大寒波だね。

「それともユイの世界では本当に子どもだったりする?」
「……わかった。わかりましたよ呼べばいいんでしょ名前」

 なんか、ちょっと……また切れちゃったかもしんない。

 ――私は一応おとなだっつの!

 さすがに叫ぶまではいかない。それに叫んだら逆効果、絶対。
 今までこの男に関して我慢してた、うっぷんとかそういうものを溜めてた勘忍袋とか言う名前の袋の縫い目がぷちっと切れて中身はみ出した……。

 こんなやつには、こんな呼び名で十分だ。
 だれがなんて言われようとこれでいく。いってやる。




「ロー」




 頭文字のばしただけっていう。他意もあるけど。

 命名の瞬間の顔は――あれ、予想外に見ものだった……?

 なんていうか……さぁっと顔色が変わって、青ざめたというか。え、これ、なんか悪い呼び方だった? こっちの言葉で変な意味持ってたりした? もしそうだったらさすがに撤回して、……って意志が弱いな早々に!

「…………好きに、すれば」

 がくりとそっぽを向いて項垂れたロベルトの口から飛び出したのは、奇しくも私の呼び名をユイって認めさせたときの言葉だった。

 ん? これっていいんだよね。許可だよね。おっしゃあっ。







 そのあと私はロべルト知識から外れて異世界豆知識を――というかもうコレ子どもの質問かって感じの一問一答を繰り返し。

「牛って動物いる? 牛乳出すやつ」
「…………飲みたいの?」

 とりあえず、バター作りon荷馬車計画の第一難関は突破できた。




   2010.3.10