前向きに歩むことこそ真理 10
尻痛い。腰痛い。肩痛い……って全部痛いよ。
痛いっていうか関節固まった。うわぉ。肩回したら「ばきべきごき」ってヤバげな音が鳴りました。骨が、骨が太くなる……!
そう、思いっきし肩回せるんだよ。腰も背中もぐぃーんと後ろに反らして伸ばせるんだよ。
だってもう地に足ついちゃったもんね。もう乗らなくてもいいんだもんね!
グッバイ荷馬車。さらば荷馬車。
もう会う事はないだろう、むしろもう出会いたくないです。お世話になっときながらすいません、特にお馬さん、あと御者のおっちゃん。
というわけで町に着いたんです。
やっぱイギリスだー、なんてひとりごとレベルの音量で呟いてみました。ただし郊外っぽい、の注釈つき。
べつにイギリスってわけじゃないと思うけどね。私、海外=イギリス。他知らない。
そこしか行ったことない、ってかなまじ行ったことがあって自分の目で見てきちゃった分、そういうイメージ刷り込まれちゃったんだと思うんだ。行ったことあるのがフランスだったらフランスっぽいって言ってた、絶対。
つまり中世ヨーロッパ風。
飛行機に乗った覚えもないのにこんな景色が目の前に広がってるなんて、ちょっと前までは夢にも思わなんだよ。
あう。現実逃避。
でも現実逃避してる自覚あるってことは、これが現実だって一応認めてるんだね私ー……。順応? 順応してきちゃってる?!
ぶるっと頭を振って、頭の中で輪になって踊りはじめた現実逃避論をはじき出す。これ今必要な思考じゃないっ。
えーと、今必要な思考は、情報は……と。
私たちはこの町にあるゲートという場所に向かっている。そこで手続きして首都に飛ぶらしい。
どうやって、ってもちろん訊いたさ。
飛ぶってなに飛ぶって。言葉通り? 空港なんてあるわけないだろ。
『転移魔法陣から、転移で飛ぶの』
しれっと衝撃発言。
RPG! 某国民的ゲームで、ナンバーによってはレベル一ケタ台で習得できるアレですか!
訊くとアレほどは便利じゃないらしく、魔法陣から魔法陣へしか転移できないそうです。空港だね、ある意味。
でも魔法使いの中には、アレっぽいのを使える人もいるって情報をゲット。お、お目にかかりたい!
異世界すごい。魔法すごい。
今の段階では到底実現不可能と思われる、例にすれば22世紀地球がもたらすかもしれない青い丸い物体の境地に、一足早く辿りついてるなんて。
交通事情が田舎だなんて心の中で罵倒して、すみませんでした。
荷馬車移動中の終盤は、そんな衝撃と謝罪で閉幕したんだよね。
……ぅおっといけない。そんなこと考えてる場合じゃない。
ミルクティー色の髪とふわふわ風に遊ぶ――ファッションとしてはちょっと可愛いかも、なんて思い始めたケープを見失わないようにするので精いっぱいなのだよ。実は。
だって見失ったら迷子の危機。
似たような服着て杖持った人、他にもいるんだもん。周り。
最初はこの光景に軽い目眩に襲われた。
今は、私の価値観で考えちゃダメ、比較の対象としちゃダメ、ってひたすら自分をごまかして耐えている状況です。
あれ、これも立派な現実逃避。でも順応はできてないし、したくない。できたら現代地球人としてのなにかを失う気がするんだ!
「ユイ、こっち来て」
悶々としてたらちょっと離れたとこから呼ばれました。銀行の書類書き込み用っぽい机から。あ、ここ目的地?
やば。着いてなかったら見失ってたかも。
背中に冷や汗流しながら早足でロベルトに駆け寄りました。私は金魚のフンか。もしくは散歩中の犬なのか……。
これ書いて、と紙を前にされてペンを渡されたはいいけど。
うん、見た。一応それなりに努力はした。
でも無理。
読めねぇ。
なんか書く書類なのはわかる。そりゃわかるさペン渡されたし。
でも肝心の、なにを書き込むのかを説明しているらしいものが、私にゃ未知の文様にしか見えない。
これを判読しろというのかよロー。異世界スキルが底辺の私に。そりゃあんた、いくらなんでも無茶ってもんでしょう。話せるノットイコール書けるなんだよ!
「なにを?」
ああはい、あんたがそういう「は?」って顔が得意なのはわかったから。
でもすぐに事情を納得したロベルトは自分でペンを持った。すみませんねお手数掛けて。だからその舌打ちやめてってば!
「年齢は」
「24」
……なぜそこで固まるのか。
凝視するのやめて! でもって上から下に視線をスライドさせるのやめて、しかも往復!
わかってる、わかってるよ、日本人が幼く見えるのは。自分も童顔の枠組みにしっかり入ってるのだってわかってるんだよ。
これはモンゴリアンの骨格的な特徴なの、受容してくれ!
「ちなみに、いくつくらいとお思いで」
「上で16、7かと。下で」
「お願い言わないで聞きたくないそれ以上は」
き、訊くんじゃなかった!
まだなにか言いたそうだったけど、時間の無駄って思ったんだろう。そうに違いない。
私しか持ってない必要情報は年齢だけだったらしい。他の欄にも記入してしまうと、ロベルトはそれを持って受付らしき窓口に行ってしまう。
……これは、「待て」に甘んじているべきだろうか。
うわ、じとっとした視線を感じるし。
わかりましたよ金魚のフンでいればいいんですね!
「証明印の中途施術申請ですね。確かに受理いたしました。審査終了まで本日より一月かかりますので、それまでお待ちいだたくことになりますが」
待って受付のお姉さん。
なんの申請なんだかわかんないけど、とりあえず待って。
一月ってなんですか。流れ的に、この一月かかる審査に通らないとゲートとやらを使えない気がするのは気のせい? 気のせいじゃないよね。
「その必要はない。これを」
ロベルトが出したよれよれの紙、印が押された証書みたいなのを手に取った受付のお姉さんの目がまん丸になった。
「しょ、少々お待ち下さい……」
お姉さん奥に引っ込んじゃったし。え、なに。
「ロー、なに渡したの」
「王印勅令証書。あれで審査はパスできる」
あ、開いた口が塞がりませんのですが。
とりあえず、王様印の超重要証書を折り目つけてよれよれにしてんじゃないよおまえはぁーっ!
その後、私は慌てて戻ってきたお姉さんが連れてきた、杖持った人と一緒に別室に入れられた。
身分証明印とやらを魔法で体にくっつけるらしいんだけど、私がなんの説明もされてないのを知った魔法使いのオジさんは、ロべルトと違って丁寧に説明してくれた。「ロベルトとは違って」これ重要。
簡単に言えば、個人の戸籍情報のわかる魔法を、やっぱり魔法で体に植えつけるんだそうだ。
マイクロチップを想像しました。
しかも喉のあたりって言われて躊躇した。するよ普通! でも証明印がないとゲートを使えないって言うし、痛くないって言うし。やったよ。やってもらいましたよ。
痛くなかったし変な感じもしなかったけど。
うー……釈然としない。状況に流されてる、私。
別室から出てきた私は、あれは機密だからと中に入ってこなかったロべルトに連れられ、今度こそゲートという場所に立った。
ロベルトが操作盤みたいなものをいじくっている間、することもない私は、仄かな光を発し始めた床の模様にしげしげと眺めて――肩で息をひとつ吐いた。
やっぱり釈然としない。
ロベルトは私の意思に関係なく強引に事を進めている。それが仕事なんだろう。でも私にとってはやっぱり理不尽なんだよ。
首都に行けば良くも悪くも状況は変わるはず。この説明してくれない人以外に事情のわかる人がいるはず。
今は流れに任せるさ。
前向きっちゃあ前向きだけど、これって思考の放棄? 放棄もしたいよ。逃避できるならとことんしたいよ。
だからって放棄したところで、事態はなにも変わらない。
なすすべなく、わけもわからず一人で放り出されたよりはましなんだろうね。きっと。
少なくとも私以外に私のことを考える人がいる。それが良いものなのか悪いものなのか、今の私にはまだ情報が少なすぎてわからない。
でも、だれも私のことを考えない状況よりは遥かにいい。
それに、私はロベルトのことをまだなにも知らない。
私の事情を中心に動いていることには違いないこの男は、確かに私がこの世界で出会った初めての人間で、一番傍にいる人間。
私は今、この人しか頼る人を知らない。
この人がいなければ、私は途端にこの世界でひとりぼっちになってしまう。
(だから大人しく流されるよ。今は)
ロベルトも自分の意思に反して流されてるだけなのかもしれない。
そんな思考を連れたまま、視界は白く塗りつぶされた。
本から目を上げ、たった今使用されたばかりのゲートに視線をやる。
当然、使用者の姿はもうそこにはない。
「あれって絶対そーだよね、そーだよなー……多分」
「なにぶつぶつ言ってる。手続き。終わったぞ」
「お、ちょーどいいとこに」
本を閉じる。
最近見つけて手に入れたばかりの、蓮華に似た花のしおりを挿むのは忘れない。
いいタイミングで戻ってきてくれた。
欲を言ったらもちょっと早く……まぁそこまで望んじゃバチが当たるってもんだ。オレ無宗教な気するけど。
「あのゲートどこ行き?」
「は? ……あぁ、あれは首都だな」
メルギスの、と小声でつけ足したのは周囲への配慮かね。
べっつに今さら。オレたちどう見ても旅行者とかそのへんでしょ。気ぃ回しすぎなんだよねこいつ。前々から思ってたけど若ハゲするタイプだ。
「それがどうかしたか?」
もうあるかも、と疑いの目を頭部に向けてみる。見つからない。
……今度寝込みを襲って探してみよう。
「あのさオレ、もちょっとこの国残るわ」
停止。
11、12、13……動かない。あ、眉間に皺よってきた。動き出すかな。
「――……は、あぁっっ?!」
すっとんきょう、かつ盛大、かつ……もういいや、面倒。
とにかく、たっぷりの間に心中いろいろごっちゃになったらしい変顔を披露してくれた。いやしかし、こいつってどこまでも予想を裏切らないよホント。
「おっ……まえ、……っ! 僕が散々苦労して証明審査すり抜けたそばから……飽きたから帰るって、そろそろ研究に協力してやるって、あれはいったいなんだったんだ! 戯言か?! どっちが!」
「悪い悪い。ついさっき気が変わったの」
「悪いと思ってないなら謝るなっ、腹立つから!」
「あ、うん。じゃあ悪くない悪くない」
「だからって口に出すなよけい腹立つわ!」
「わがままだな」
「どっちが!」
強いて言えば、どっちも?
ま、そんなことはどうでもいいさ。
よしくらえ、必殺キラキラ光線っ。
無邪気でなーんの他意もありませんよー、オレ心からおまえのコト頼ってるよお願いしてるよーってカオ。
ぶっちゃけものすごくうさんくさい自覚ある。
でもされたら無視はできない。そんな自覚もしっかりある。タチ悪いな。
「何とかしてくれるよなー? なんたってマウリッツはぁ、オレの『騎士様』だもんなー。オレのこと守らなきゃいけないんだもんなー?」
こいつ相手なら20秒くらいキラキラ光線を放射してれば――ほら折れた。ちょろいね。
「っく、ぉの…………くそガキぐわぁ……っ!!」
ん、ちょっと待て。これって折れたっていうのかな?
むしろ切れた?
あーあーマウリッツったら、そんな般若みたいな……般若は女の面だったっけ。じゃあナマハゲみたいなオーラ背負っちゃって。
その全身の力を集結してそうな拳、頼むからこっち向けてこないでな。
自分の騎士様に撲殺されたなんてシャレになんないじゃん? マジに。