盾なりし知識、枷なりき特質 11
首都に着いたのは夜だった。
もともと、ゲートのある町に着いたのが夕方だったからね。なんかいろいろ手続きしてるうちに夜になってたのだよ。
時間の感覚がわからん……。どうして私は腕時計を外してロッカーに置きっぱなしにしてきたのか。ああ口惜しい。持って帰ると今度はつけてくの忘れるからっていう理由なのが、また悲しい。
今から謁見するわけにはいかないってことで、私はロベルトのお家で一泊することになった。
謁見……て。
謁見て!
そんな予感はしてたけど、やっぱそうなの。そうくるの。
……現実逃避で、こいつの家に泊まるのかよというもうひとつの問題に思考を逸らしてみました。
そういうニュアンスじゃないけどさ。欠片も感じられないけどさ。やっぱり……ねぇ? けっこうな問題でしょ。
でも、お断りして自力でお宿を探そうにも、先立つものを持ってない。
財布の中身、野口さんが一枚。あと硬貨がちょっぴり。諭吉さんがいないのが……切ないところです、はい。
トイレから出たら、ついでに下ろしてこうと思ってたんだ。でも、もし諭吉さん10枚持ってたところでここでの実用性がどれだけあると。ないよ! まさに紙きれ! え、もしかしなくても私って、無一文……? うん、忘れよう。
兄弟が5人て言ってたから、もう使ってない部屋が余ってんのかな、なんて思いはお家を見て、綺麗さっぱり吹っ飛びやがりました。
……家、でかっ!
訂正。
お屋敷でかい!
あんたこんな邸宅にお住まいのお方だったのか!
そりゃあ部屋も余ってるだろうね。もう使ってないどころか、普段から使ってなさそうなお部屋がありそうですね!
お父さん、お母さん。
なんか、私が24年かけて培ってきた常識が本当に通用しません。一般ぴーぷるのお家って、なんなんでしょう……。
うあぁあぁぁ……今、無性にこたつにもぐってみかんむいて、緑茶をすすりたい。それが私の一般常識、一般家庭のあるべき姿だ!
そして、ものすごく不審者へ対しての目で見られてる気がひしひしとするけど、気にしない!
お、門の前に人がいる。
アッシュブラウンの髪のお姉さんが、こっちを向いて手を振って……、見目麗しい!
眼福、眼福。可愛い女の子と綺麗なお姉さんは大好きさ、なんて言ったら誤解を生むだろうか。大丈夫。目に優しい景色としての認識しかしてません。イコール緑色の風景的な認識。
……緑色?
そう、淡ーいペールグリーンの瞳をお持ちのお姉さんで…………って、え?
思わず同道者の顔をのぞきこんでしまったじゃないか。
そうそう、ちょうどこんな色。
はいもう一回お姉さんを見てみよう。
うん。たぶん私、間違ってない。
門の脇に置かれた海外旅行級のスーツケースを一瞥したロベルトが、美人さんに遠い……なんだか焦燥感の漂う目を向けて。
「また喧嘩」
すっげー嫌そうに言いやがった。
でも私は見たよ、気づいちゃったよ。こいつの腰が引けてることに。杖握る手に力こもったことに。
「ちっがうわよ、失礼ね。あの人ったら、私がせっかく作ってあげたプリンのこと、『鳥にも食べ物になれなかった哀れな卵のなれの果て』なんて言ったのよ?! だから」
「世間はそれを夫婦喧嘩っていう」
代弁ありがとう。
さらに言うなら痴話喧嘩に相当しそうなレベルだな!
失敗料理に対してのコメントとしてはひと捻りしたね旦那さん。ばっさり「酷い」とか「失敗だろ」とかじゃないあたりに愛を感じます。
この姉さんの手にかかった卵のなれの果て? はどんな終焉を迎えたのか。き、気になる……怖いもの見たさで気になる……。そしてこの世界にもプリンはあるのか。食べたいなプリン。こう、ぷっちんとするやつは望めそうにないけど、とろとろのやつなら希望が見える気がする。
そして、実家に帰らせていただきますってやつだねお姉さん。家出してきちゃったんだね。しかもうんざりと『また』って言われるくらいに頻繁なのか。
「さっさと帰れば。どうせ迎えに来させるだけが目的なんだから」
「なぁによ偉そうにぃ。研究室に泊まり込んでばっかりでほとんど家に帰ってない自由人くせに、人の家庭に口ださないでちょうだい」
「実家に迷惑をかけるのはいいわけ」
「私がいつ迷惑をかけたっていうのよ。いつ。だいたいあんた、数か月ぶりに会った姉に対してその態度はなによ。辛気臭い。そりゃいつも湿気っぽいけど」
「……悪かったね」
あのさ。ずいっとお姉さんが一歩踏み出すたびに、ロベルトが一歩下がるんだよねー……。
隣にいたはずのロベルトより、お姉さんのが私と近くなってるってどういうことだ。力関係わかりやすすぎて呆けるしかできないんだけど。
「あら?」
おうっ。
お姉さんの視線が私にロックオンされたっ。そんな、あらあなたいたの、ってカオしないでくださいって。存在感を消してるつもりはなかったのですよー!
「……へぇー」
み、見定められてる……。
どうしよう。ここは初めましてと言うべきなんだろうか。いや言うべきだよね。でも私、なんて言って自己紹介すりゃいいの。ユファリス・スノーベルといいます、弟さんに強制連行されて、今日はあなたの実家にお泊まりさせていただくことになりました、とでも?
……冗談をお言いでないよ。
絶対ヘンな方向に解釈される! すでにそういう方向で見られてるのを助長してどうするのか。
「研究一筋で甲斐性の欠片もない朴念仁だとばかり思ってたけど、へぇー……うん、なかなか可愛いじゃない。あんたってこういう子が好みだったのね」
ほらやっぱりー!
でもお姉さん、ありがとうっ。
社交辞令のニュアンス強そうだけど、そういうこと言ってくれるだけでありがとう! 現金だな私。
あぁ……こんなフランクな会話をする人がローのお姉さんだなんて思えない。表情くるくる変わるし。いやホント、めまぐるしく。こっちがついていけないくらい。
でも訂正させて。彼女じゃないです、盛大な勘違いです。
「いえ、あの」
「レク姉には関係ないので」
こ、こいつ……っ!
人がせっかく訂正しようとしたところに言葉を被せるんじゃないっ!
「なに言ってるの。姉が遅咲いた弟の恋路の行方を楽しむのは義務よ、義務。さぁ吐きなさい。どこで引っかけたの、朴念仁のあんたがどうやって進展させたの。それとも押されまくったの?!」
お姉さん楽しそう! 目がそれはもうきらっきらと輝いてる!
あ、ロべルトがまた一歩引いた。あれは引くよね、うん。私でも引く。
「勘違いだからレク姉」
「なに今さらとぼけてるの。彼女の前であーんなこーんな恥ずかしいこと、洗いざらい暴露されたいのかしらー?」
はいはいはいはいっ!
彼女じゃないけど聞きたいです!
むしろ金払ってでもいいから聞きたいです、こいつの弱みをつかみたいです! さぁどうぞお姉さん、声を大にしてぶっちゃけて。あ、ロベルトがなにを知られたのかわからないよう、ひっそり耳打ちもいいな。その方がダメージ効果が大きそう。
これだけでもう、味方認定。
敵の敵は味方!
だからこそってわけじゃないけど否定だけはしておかねば。
「いえあの、私、ローとは……いえっ、ロべル、トとはそういう関係ではまったくありませんのでして」
しどろもどろな口調がやばい。だからこれじゃ余計に勘ぐられるってば、自分で墓穴を深めてどうするー!
「あんた……この子にローって呼ばせてるの?」
ロベルト無言。そしてなぜに視線を逸らす。
ねぇ、だからローって呼び方に、それとも言葉になにかあるのか?! レク姉さんとやら、「ふぅーん」とか勝手に納得しながら含み笑いするのはどうしてですっ! ああ、でもそんな悪いお顔もお美しいっ。
ほあっ! い、いつの間にそんな至近距離まで間合いを詰めて……痛い、痛いですお姉さん。そんなイイ笑顔で、がしっと肩を掴まれても困るー!
「あなた、名前は?」
「ゆ、ユイと、お呼びください、です?」
笑顔が……コワいんですけど……。
「そう。じゃ、ユイ。あいつの話じゃ埒が明かないから、ゆっくり聞かせてもらうわね? あなたに」
お姉さんの肩ごしに、ロベルトがふっかーーいため息をついてるのが見えた。
それ私もつきたいわー…………。