盾なりし知識、枷なりき特質 13
つ、疲れた……。たったあれだけのことなのに疲れた。
精神疲労を舐めちゃあいけない。子どもの精神攻撃の恐ろしさを身をもって痛感……。
客間? らしい部屋に通されて、っていうかわけもわからずついて行ったらそこにいたっていう方が正解。
ぐいっと引かれて、とすんとソファに座らされ。うわなにこれ体が沈むーなんて思ってたら、当たり前に入ってきたメイドさんが手早くお茶の支度をしていかれ、当たり前に去って行かれました。どうもお構いなくなんて口挟む心の余裕は皆無。どうぞと言われて会釈するのでせいいっぱいでした。
「まったく災難だったわね。えぇと……ごめんなさい。まだ名前を名乗ってもいないし訊いてもいなかったわね。私はレクサーヌ・ルーフよ。こいつの一つ上の姉」
「あ、私はし……えぇっと」
口ごもったのはお姉さんの美しさに見惚れていたからなんかではありませんよ。
清水結花と口走りかけて、それはまずいのかもしれないという自制心が働き、でもユファリス・スノーベルですなんて名乗る覚悟ってか勇気がまだできてなかったからですよー。
ん?
紛れもない本名を名乗るのをまずいかもなんて思うのって……おかしくないかい。もしかして私、洗脳されかけてる?!
「……ユイと申します」
「ユファリス・スノーベル、だ」
おまっ、ロベルトそんなあっさりと! 私の苦慮を返せ!
そりゃフルネームで名乗られてフルネーム返さないのは失礼だけど。そこは認めるけど。
「あんたには訊いてない。だいたいどうしてここにいるのよ。私はこの子と、話がしたかったの」
「用意された茶を無駄にするつもり?」
これ見よがしに三つあるうちのティーカップのひとつを持ちあげるって。厭味ったらしいな!
「……飲み終わったら出て行きなさいよね」
だ、だからレク姉さん、じゃなかったレクサーヌさん、半眼がコワいですってば。美人さんの不機嫌は迫力があってもう。
しかししかし、うんざり顔の似合う男No.1は怯みませんでした。
さすが弟。つき合い方を心得てる。目には目を、ど直球にはど直球をって感じです。ただ単に遺伝的な性格の相似ってだけか?
「勘違いをこれ以上進めないためにも言っておく。レク姉、ユイは数日前に国内に現出した、異世界人だから」
レクサーヌさん、ロベルトを見たまま沈黙。
沈黙。ひたすらに沈黙。
あ、あの、そろそろ発言を求めてもよいでしょうか。居たたまれない……。
石化がとけた、と思ったらなんでもない顔でお茶すすった! え、動じてない? レクサーヌさんの心臓は鋼鉄製でございましょうか?!
「ロー。冗談は顔と態度と存在だけにしてほしいわ」
それってけっこう全部じゃ。
しかしちょっと安心。
だって、異世界から来る人なんてほいほいいるわけないでしょ、って言わんばかりの対応だもん。
そうだよね、普通そうだよね。私まだここに来てまともに話したことある人ほとんどいないけど、ロベルトもマイナスイオンのにいちゃんも、そろって異世界の存在を普通に許容しちゃってた。そっちがおかしいってことでいいんだよね?!
「異世界人が来たなんて話、聞いてないもの」
あ、あれ、方向性が私の期待と微妙に違ってたり……? あれー?
「私、昨日バル兄様と会ったけどそんなこと言ってなかったわ。バル兄様が知らないわけないでしょ」
「言うわけないだろ。まだ正式には認知されてない機密。国王への目通りも明日」
「…………本気話?」
あ、信じる方向性に揺れた。
「えぇっと……少なくとも、私から見る限りではここは私のいた世界ではありませんのでして、つまりあなたたちから見たら、私は異世界の人間ということになるのではと」
名づけて、宇宙人から見たら地球人だって宇宙人だよ理論。
それがまさか自分を説明する理論になるとは思わなんだ。
今度こそレクサーヌさんは口をぽかっと空けて私を凝視。
さっきの彼女審査眼とはまた違った、パンダ観賞のような視線でございます。おおパンダ。今ならおまえたちと気持ちを分かち合える気がする。今ならパンダ保護団体に寄付金よせてやってもいいぞ。
「うん……言われなかったら気づかないわね。それにしても……はぁ。つまんないわ」
ソファの背もたれに首を預けたレクサーヌさんがぽつりと。え、なにが。面白がられるのは心外だけど、つまんないってなにが。
「せぇっかくローに彼女ができたかと。あわよくばお姉様って呼んでもらえると思ったのに」
またしても話がそこにいくのですか!
好きですね恋バナ!
私もね、恋バナは嫌いってわけじゃないよ。率先して話しだすことはないけど、興味はあるよ。女の話題ってだいたいそれになること多いし。
でも、自分をネタにされるのは勘弁です。それにかこつけてのろけたりするキャラじゃないし、楽しませることのできるネタも持ってないし、弁も立たない。恥ずかしがってぼそぼそ話しだすっていう初々しさを求めてもらえる年でもない。年の問題じゃないかもだけど。
とにかく苦手なんですよ。
仲のいい友達だったらまだしも、茶化すスキルも持っていませんでして!
って、……お?
そういえばさっきからレクサーヌさん、ロベルトのこと……。
「相変わらずばかばかしいことを」
「そうねぇーホントばかばかしかったわ。あんたには勿体なさすぎるわね。ユイ、今度もう一人弟を紹介してあげるわね。そっちの方が年も近いし性格マシだから」
あ。お姉さん、いい笑顔ですね。
迫力とか威圧とか、そんなものを感じさせて弟さんを押しつぶしそうな笑顔ですね!
そしてですねレクサーヌさん。
私、すでにロベルトと十分に年近いんですよ。あなた方の基準で見られたら、紹介された弟さんとの実年齢との開きが恐ろしいことになりそうなんですが。どうしよう、連れてこられた弟さんが10代前半とかだったら。軽く犯罪!
「いえ、あのそれは遠慮……」
「そうだユイ、教えてあげる。こいつがどうしてローって呼ばれるのを嫌がってるか。情けなくって笑えるわよー」
レクサーヌさんは顔にこぼれかかったミルクティー色の髪を耳にかけながら、それはそれは綺麗に微笑みをくださいました。
おぅ……綺麗にスルーされた。でもそれは聞きたいですー!
「今はこんなだけれど、成人するくらいまではこいつは私に頭が上がらなくてねぇ。もちろん今も完全に上げさせてるつもりはないけれど」
「そんな感じですね」
「小さい頃は、お姉様って呼ばないとお手洗いのドアを魔法で外から閉じたり、命令に逆らったらその日のおやつを横取りしたり、池につき落したり。一日に一回は必ず泣かせてたかな。今考えたらちょっとやりすぎたかなぁと思わなくもないわね」
「へ、へぇ……」
ちょっとなんですかそれ。容赦ありませんね!
私にも弟いるけど、そこまではせんかったよ。せいぜいお菓子作りを覚えた頃の毒見役に抜擢したりとか、その程度。あ、あと帰省したときに茶を入れろとか、地元友達との飲み会帰りのお迎え要請とか。
……弟って便利だよね!
「そんなことしてたら、ローって呼びかけるだけで震えあがるようになっちゃってね。私だけがこいつのことローって呼んでたのよ」
「なるほどー」
なんだ。嫌なら嫌って言えばよかったのに。
……それが弱みだと思われるのが嫌だったとか? あり得る。
「あなたはどうしてそう呼んでいるの? こいつから言い出したわけはないでしょう?」
「……正直に言っていいですか?」
「どうぞどうぞ言ってちょうだい」
今、私は一人じゃない。レクサーヌさんは味方! 味方認定! だったら言ってやろうじゃないのさ。
「恥ずかしながら、ロベルトという発音は私の国では普段あまり使わないもので、発音しづらかったんです。それで他の呼び方をしようと思ったら」
「思ったら?」
「前に、祖母の家で飼っていた犬がローという名前だったのを思いだしまして」
レクサーヌさん、噴き出した。
「ちょうど毛の色もこんな感じだったので、なんとなく」
私はもちろんロベルトの方を見てなんかいませんよ? そっちの方見ない努力しています。必死。
だって気配が。
『犬』って言葉を発した時点で負のオーラが噴き出し始めた気配がひしひしと。
対照的に、レクサーヌさんは腹抱えて笑ってくださってるけどね! 涙滲んでるし。
「あー、もう最っ高! いいわ犬! いっそのこと私、これからローのことは犬って呼ぼうかしら」
「…………レク姉……!」
「あんたまだいたの。お茶はもう空なんだから、さっさと出て行きなさいよね。私はこれからユイと二人っきりでお話しするんだから」
すごすごと立ちあがったロベルトの背に、哀愁とかそういう名前のものを感じたのは――きっと、気のせいじゃないと思う。
ごめんロベルト。
今のは私が悪かった。今のは。