盾なりし知識、枷なりし特質20
1日目。
人様の家にお世話になっておきながらさすがにどうかと思ったけども、寝倒しました。
真っ暗な中のそりと起き上がってテーブルの上に置かれたお夕飯を見つけた時には……ごっと音立てて、突っ伏した。
2日目。
早起きしたよ!
若奥さんに、ちっちゃい子どもたちに謝って、とにかく会う人にことごとく謝っといた。え、なに? みたいな顔をした人もいたけど、あれは昨日の私の事情を知らない人だな。すみません意味わからない謝罪して。
……あれ? おかしいな。謝ったことしか記憶にないぞ?
3日目。
口だけの謝罪じゃなんとも申し訳なさが残ったので、形に表してみようと台所をお借りしました。
必要食材の相互理解から始めなければなりませんでした!
くそぅ、手っ取り早くクッキーにしておくんだった。あれなら卵とバターと小麦粉だけでできたのに……。あ、でもオーブンの使い方きかなきゃだったからあんま変わんないかも。だって温度設定機能ない。タイマーもついてない。200℃ってどのくらいの熱さかわかんないもんよ!
……なにを数えた日数かって?
ロベルトの馬鹿が戻ってこなかった日数です!
迎えがきてるって言われた私は、あぁまたあの仏頂面とご対面せにゃならんのかとため息をついたのです。
で、そんなテンション下降見たまんま的な私の目の前に現れたのは、実は近衛隊長さんなんてとっても立派な肩書きを持たれていた案内のにいさん、スヴェンさん。
……なんの疑いも持たずに迎えとロベルトをイコールで結んでしまってた自分が憎らしい。
現時点ではまだあいつを頼りにせざるを得ない、っていう自分を認めてしまってるってことだよねぇこれぇっ!
まぁそれはともかくスヴェンさんはとっても紳士でございますね!
勝手に無口なイメージ持ってたんだけど、そうでもなかった。穏やかな営業スマイルが素敵でした。あぁ、その辺にも同じ匂いを感じる……って、それ以外にもホント親近感なんですよこの人。
だってスヴェンさん、色がない。……色がないって言い方は変か。モノクロ。カラフルで目が回りそうな色の中でモノクロ。貴重。
うん、髪の色の話ね。
私、ちょっと前は髪染めてたけど、今は黒に戻してある。理由は聞かないでほしい。プリンになった髪をリタッチするのが面倒だったからなんて理由……っ!
目の色は惜しいことにちょっとばかり赤っぽいんだけどね。スヴェンさん。
それでも送られた先は案の定、ロベルトのお家もとい邸宅でした。やっぱりか。
当たり前だけどね。少ないけど荷物置いてあるしね。
ロベルトの……というよりも、より正確に言うとヤツのお兄さん、バルクレフさん一家のお家なんだそうです。つまり、バルクレフさんがあの遠慮という言葉をまだ知らないおこさまたちのお父さんなんだね。……ちゃんと子どもの教育してくださいよお父さん。まだ間に合う。
もうご両親とも亡くなられてるんだって。
で、長男のバルクレフさんが家を継いで当主やってるんだそうだ。
当主って言葉が出てくる時点で上流階級ですね。でもってそんな言葉をするっと普通に言っちゃうあなたもそうなんですね!
……なんてことをスヴェンさんが話してくれました。この人いい人だ。
ところどころでバルクレフさんのことを「あいつ」とか言ってたし、そう口にするときの表情も悪いものじゃなかったから、きっと友人同士なんだなー、とか思う。
いいな、友達。
私はもう……会えないんだろうな。
「甘くない」
「私は甘すぎるの嫌いなんです」
悪かったね。若奥さんやおこさまたちには好評だったからいいの!
甘いのが好きならジャムでもつけて食べてくれ。実はそれが正しい食べ方だ。てかあんた甘党か。顔に似合わん。そういえば紅茶に砂糖山盛りで入れてたな。……似合わんっ!
「……いつの間に帰ってきてんです?!」」
びっくりだよ!
3日間帰ってこないでいきなりひょいっと現れた人が、私分に残しといたビスケット普通につまんでるんだもん。私の了承もとらずに! 勝手に食っといて文句たれるな! てか第一声が文句か!
「今。……これ、ユイが作ったの?」
「そうですけど」
「へぇ。これなに」
「ヨーグルトビスケット……って、聞きたいことあるのは私の方……!」
その「こんなの作れたんだ。以外ー」って顔やめてくれませんかね失礼なやつだなやっぱり!
「次は砂糖増量して」
だから文句垂れるなら食うな……って、次?
……気に入ったなら気に入ったと素直に言っとけ! 待って、ホント待ってそれ以上食うな私の分がなくなるー!
「ちょ……っ、勝手に食べ……」
「材料費の出どころは」
言い返せない!
あぁ、かなり大量に作って自分の分も確保しといたのにー……
「出かけるから一緒に来て」
やつがそんなことをほざいたのは、ビスケットの山が半分以上消えた後でした。くそぅ。
「……今から?」
「今」
いやいやいやいやちょっと待とうよ兄ちゃんよ。
私はいいよ? べつにいいけど。
……あんたの方がよくないと思うんですけどね?
「せめてちょっと寝てからにしといたらどうですか」
いや、だって、明らかに寝不足ーって顔してるから。
それに加えてやつれてるっていうか……憔悴? うん、そんな感じ。病んでる感じ。
「必要ない。慣れてるから」
「いや慣れてる慣れてないの問題じゃなく。一応心配してやってるこっちの意図を汲んでやろうって気には」
「ならない」
「……じゃ私行きませんよ」
「引きずって連れて行けば済むことなんだけど」
……………………てめぇ。
先に断っておく。私は顔色悪い人に厳しいひっどい人間なわけじゃない。むしろこれは優しさだと思うよ! 方法はともかくとして。
足を肩幅に開いて基底面よーし。
腰を落として重心もよーし。
対象の位置、確認。
うん。準備完了。
「うらぁっ!」
20代のお嬢さんとしてはいただけない掛け声だってのはわかってるよ、わかってるんだ。でも物事には気合いってもんが必要な時もあるのだよ。うむ。
ほっそいとはいえ大の男をソファに突き飛ばすには。
……さてここで問題です。
全力込めて肩から体当たりをかまし、なおかつ足元を危うくした場合、それを行った人間はどうなるでしょうか。はい聞くまでもないですね。
重心失って、自分も一緒にダイブします。
あれ? なんだか顔が近いぞ?
「おっ、おまっ、突然なにすっ……」
おぉ。
なんだろうこの構図。OK、落ち着いて考えてみよう。客観的にこの構図を見つめてみよう。
男に飢えた寂しい女がお疲れモードのインテリ男を力にまかせて押し倒してるの図。
…………い、いやいやいや! 飢えてませんよ! 枯れてることは認めるけど飢えちゃぁいませんよっ!
それに押し倒したつもりはない。体当たりはしたけども。ただ勢い余っただけだ! 不可抗力!
「……もうしわけござりません」
なぜに敬語か、自分。ひらがな発音なのもなぜなのか。……不明だよ!
ここで私は自分で招いた事態でありながら混乱の極みに……あるわけじゃ、なかったりする。実は。
や、本当本当。嘘じゃないよ、本当。ものっすごく冷静。心頭滅却するまでもなく冷静。
ただね、相手にその気になられでもしたら大慌てになれる自信はあるんだよ。ほら、一応女の子ですから。いくら相手がもやしだからって……ねぇ?
しかしありがたいことに、そんな気配は微塵も欠片もないんだな。
だってロベルト、今まさに大慌て。
いや、体現しちゃってるような大慌てではないんだけどね。たぶん脳内大慌て。顔引きつらせたままフリーズしてるもん。
私の頭に冷静さをもたらしたのは正しくそれなんですよ。二人して慌ててもどうすんのって冷めた意識が働いたんだろうね。たぶん。私の可愛げとか恥じらいは、どうやら行方をくらましてしまったようです。
うーん、それにしても意外だ。
もっとこう……しらっと対応してくると思ったんだけどなぁ。こっちが悪いことしたみたいな気になってくるじゃないか。いや私が悪いんだけどね。
ていうか、私もさっさとどいてやれよって話だよね! もうしわけないとか言っときながら! 今どきます……って、あ、ごめん。今、腹に思いっきり肘立てちゃった。
「…………なに。今の」
「や、気にせず。単なる力加減のはかり間違いが生んだアクシデント。とりあえず私が言いたかったのはですね」
ここでにーっこりと営業スマイル。
うん、この世界で使うのは初めてだ。でもこれは、私の盾。盾であって、武器。
「寝、な、さいっ」
このときのロベルトの顔、見ものだったね。
いつも眉間にしわ寄せてる難しそうな顔が、すっとんきょうに引きつってた。押し倒し……じゃなかった、体当たりかました直後より、ずっと。
「――〜〜っ」
で、……そこでなぜ笑うのか。
うっとうしいミルクティー色の前髪をかきあげて、こみ上げてくる笑いを我慢できずにくつくつ、って。それでもやっぱり我慢できずに腹を抱えてさ。
……えー? 笑う? そこ、笑いどころ?!
ていうか、だ。
こいつの笑った顔とか、私は初めて見たわけで…………ちょっとかわいいとか思ってしまったじゃぁないかちくしょう!
だ、だってね、元の造形はいいんだよこいつ! 中身はともかく! 最初見たときはどんなイケメン兄ちゃんだと思ったくらいだからね。
ちょっとこれは反則でしょ。ロベルトのくせに。ローのくせにー。
笑いの収束は、意外と速かった。
くつくつ笑いに戻ったなーって思ったら、深ーいため息の後にはもうあの無愛想。
……熱しにくく冷めやすいって、パターンとしては嫌な感じだな! にしても冷めやすすぎだ。
「寝る。二時間で起こして」
もぞっと寝返り打ってこの一言。
……感情、皆無。
…………おい。
ちょい待ちなさい兄ちゃん。ちょーっと待っときなさい。
わ、私のときめきを返せーっ!
最後にスヴェンさんに言われたことがある。
王様からの伝言だと、そう言って。
穏やかな紳士顔が影をひそめ、現れたのは一切の感情を読み取ることのできない無の表情。
ぞくと背筋が凍った気がして、無意識に手が腕をさすった。
「なにもするな、と」
「利益は望まない。同時に、災いも望まない。ゆえに貴女には、自発的な行動の一切を慎んでいただきたい。我が王はそう望んでいます」
どんな小さなきっかけが災いの種となるかもしれないから、と。
――彼らによって持ちこまれた知識は数多の戦や災いをもたらした――
「厄介モノは、おとなしく籠の中で管理されとけってことですか」
つまりそれが、異世界人『保護』法ってことなんでしょ?