盾なりし知識、枷なりし特質21







「おー。おっ帰りー」
「遅かったね」



 若い、女と男の声。

 聞いた瞬間わかった気がした。



 これが、ロベルトが自分の不調を顧みずに急ぎたかった理由なんだって。

 同時に私の中に生まれた、もやもやとした不定形の感覚、いや、感情……なんだろうか。とにかくもやっとした、あまりプラス思考じゃないものだ。
 そんなものの正体の方は、ふっと心に霞んだだけで、『わかる』ことはできなかったのだけどね。





「ちょっとした妨害工作に遭って」

 おい待てコラ。
 それはなにか、私が無理やり仮眠とらせたことに対する嫌みですか。失敬な!
 なにが原因かは知らんが、寝不足と疲労で倒れられでもしたらと心配してやった私の優しさをなんだと思っているのかこのにいさんはまったく。ああ、目の前にあるこの足を思いっきり踏みつけてやりたい! あと5歳若かったら絶対踏んでやってたものを。今はこっそり物陰で気色ばむのがせいぜいだよ……って、小物だな! 矮小!

 5歳……それでも19歳かー…………。
 うーん……そういう向こう見ずな行動に出るためには、それ以上にもうちょっと、若さが必要だったかもしれない……? せめて女子高生。その頃だったらもうちょっとは怖いものなしだった。うん、順応能力とか可愛げとかいう、異世界という治外法権的な世間の荒波を渡っていくための処世術が発揮できたんじゃないかって気がする。

「あ、そ。そんなんどうでもいいどうでもいい」

 後ろの私をチラ見してのロベルトの失礼発言を綺麗にスルーしてくれたお姉さんに、そうそう、もっと言ってやれーとエールを送りたくなります。
 この世界の女の人は、いろいろ私の味方(?)についてくれる率が高い気がするぞ。レクサーヌさんとかミリアちゃんとか。…………まずい、それ以外に味方っぽい人ってクルセイドのにいさんくらいしか思い当たらない!

 気づいてしまった事実に、軽く凹むな……。

 ……とにかく。
 私とそんなに年が変わらない、下手をすれば私より年下って可能性も十分にあるけどお姉さん。気だるさと野暮ったい雰囲気を併せもった、ミステリアスなお姉さんなんですよ。私の周囲にはいなかったタイプの。いかにも研究者ーっていう感じをかもしだした。そして、いかにもずばずばものを言いますよー、他人の人物評価なんて気にしませんよーって感じも、かもしだしてる……。
 苦手っていうか、対処法がわからないっていうか、あまりにも自分とキャラが離れすぎてて理解できないっていうか。この手の人間は理解しようとするのが間違ってるんだろうけども。考えるな、感じろ、的な。

 は。いけないいけない。
 まだ話したこともない人の人物評価するなんて。こういうのは、ほら、見た目で構えて壁を作っちゃ負けだ。人の印象は第一印象で決まるなんていうけど、印象と実際なんてギャップが大きいのはよくある話なんだから。



「そんなことより。ね、どうだった? どうだった?! あたしの魔法式!」

 ずいっとロベルトに、いや、言葉はロベルトに向けてなんだけどね?
 物理的には私に詰めよるお姉さん。瞳がきらっきらと輝いておられます。それはもう目の中に星が見えるほどに。わー綺麗なアイスブルーの瞳ですねー。

 ……ていうか。な、なんで私にくるかな?!
 思わずあからさまに後ずさっちゃったんですけど。え、距離を普通に詰められたんですけど。わしっと肩を掴んでくる力が尋常じゃありません! え、これホント、私どうすればいい?!

 に、逃げられない……。

「ほらほら、そんなアホ面晒してる場合じゃないんだからぁー! ね、ほらなんか喋って!」
「ちょ、アホ面ってなんですか!」
「よっしゃ通じてるー! やっぱあたしってば天才ーっ!」

 意味がわかりませんよお姉さん!

 通じない、私には微塵も通じてきません……って、待って待って抱きつかないで苦しいです! 潰れる!
 、ぐふぅ……っ。

「……確かに、これでピアスの組んだ言語魔方式の実証はできたわけだけど」
「うふふーそうでしょうそうでしょう。もっとあたしを誉め称えなさい。誉めそやしなさーい。苦労したんだかんね。クレフ国の彼を披検体にしたいって学会通して頼んだのに受け入れてもらえなかったしー、じゃあうちの国のフィアルトフェルデンにって王家に要請したらしたで、なにバカなこと言ってんだって跳ねのけられたしー」

「だからさ、それ当然だって何度も言ったよね」

「けど、がつく」
「あらなにか問題でもあった?」
「発動はした。不思議なことに。それはともかくとして、式を陣に定着させるまでにどれだけ時間がかかるのあれ。式もつぎはぎだらけで組むの気持ち悪くて仕方なかった。なんなのあの滅茶苦茶な式。どうすればあんな式が出来上がって、しかも使いものになるわけ」
「文句言うんじゃないわよ。いいじゃない、結果よければ問題ないない」
「問題ありすぎ。使えりゃいいってもんじゃない」
「? 使えりゃいいでしょ?」
「だから、使い勝手の問題を指摘してる」
「次にいつ使い時があるかもわかんないんだから、いいでしょべつに。使えたんなら」

「……ねぇ、ロベルト。特にピアス」

「「なに」」

「そろそろね、やめてあげないと国家的にもいろいろまずいと思うんだよね。人道的にまずいっていうのが先にあるのはもちろんなんだけどさ。ほら、いろいろと」
「相変わらず回りくどいわねーカイリは。言いたいことあるならちゃっちゃと言いなさいよ」
「うん。だからね」
「だからなによ」
「ピアスが」
「あたしが?」



「彼女の人生絶やしそうになってるから」



「…………おぉぅっ!?」
「放してあげた方が、双方のためになるんじゃないかなって」
「カイリ。それ、もっと早く言えなかったの」
「あっはは。それはきみの台詞じゃないよね」
「ちょっ、ごめん! 大丈夫?! え、どーしよロディあたし絞殺殺人者になっちゃったかもー!」
「……死んでないから」










 おじいちゃんが、なんかぼやーっとした風景の中に流れる川で釣りをしてました。
 お花畑が綺麗でした。
 私に気づいたおじいちゃんが、釣り上げたばっかのお魚さんをぽとっと青いクーラーボックスに入れてから、やっとこさ手を振って……おいおい私の優先順位は魚以下か?!

 しかしおじいちゃん。父方のおじいちゃんや。

 あなた、十年くらい前にお亡くなりになられてませんでしたっけ? 私、あなたのお葬式で弔辞を読んだ記憶が、かなりリアルにあるのですけども。お母さんに推敲してもらったら半分くらい内容変わっちゃったよ、なんて美しくない記憶もあったりするのですけれども。

 ……うわぁ。

 異世界で、今度は当分踏み入れちゃいけない別の世界の入口を垣間見てしまったよ……。



 ていうか、だ。

 彼方の世界っていうのはどこからでも繋がってるもんなんでしょうかね。
 宗教によって死後の世界についての教えはいろいろ相違点があるけど、そういう世界があるっていう点ではどこもだいたい同じだと思うんだ。詳しくないからそれ以上はなんとも言えないけどね。
 まぁ、死んだらそこで終わり、その先なんてなんにもない。無。……なんて身も蓋もない超現実的な考え方もあるっちゃあるけど。それはちょっと。救いがない。

 私がなにを言いたいかっていうと、だ。

 地球って川から弾きだされてレ二ヴェース、だっけ? この世界の川の本流に乗ってしまった私は、川の終わりの海……つまり人生の終わりの先の彼方の世界で、地球の川の先と再会することができるのかなってこと。

 うーん…………なんというか。我ながら後ろ向き。

 現実的じゃないし。
 それが真実だったとして、だからどうした、どうなるってわけでもないし。
 微妙に心の支えになるかもしれない? ……疑問形だし。

 せめてさぁ、世界同士が隣り合った川だとしたら、どっかで繋がってないかなとかいう明るい考え方はできなかったものか。

 ……って、私はもしかしてそこから入っちゃったのか? トイレのドアなんて物悲しさ漂う場所から?!

 あそこ、イレギュラーな排水溝的な場所だったとかいいませんよねえぇっ?!










「一週間少しでこうなるんだ……」
「いや3日。これでも僕が暇をみて片付けてた」
「俺が図書館から持ち出した禁出書、どっかで見てない?」
「さあ。あったところに見当たらないならこの中でしょ。しかも下の方。僕に聞く必要もないと思うよ」
「…………また発掘しなきゃならないわけ……」



 こんな会話で目が覚めた。

 ていうか持ち出すなよと。禁出だろ。禁出って持ち出しちゃいけませんよって意味でしょが。なにやってんだロベルト。

「あ、起きた! よかった!」
「うっわ!」
「えーそんなに驚くほど面白い顔してる? あたし」

 ぬっと目の前に顔が出現したら、面白くても面白くなくても驚きます! 人は普通!

「ごめんね? ちょーっと興奮しちゃって。思わず潰し殺しちゃうところだったわーいや焦った焦った」

 いやあの、そこ笑うとこ? 焦りの断片とかそんなものすら感じませんけど。
 ものすごく苦しくなったところで意識が途絶えたのを今さら思い出しました。意識不明の体験なんて金輪際ごめんだよ!

「そ、そう……ですか」
「ホントごめん。反省してる。もうしないから」
「はぁ」
「あ、ちょっとロディ! あたしの資料勝手に崩さないでよ、どこになにがあるかわかんなくなるでしょ!」


 あなたホントに反省してます?!


 さすがに表情筋を制御できずにひくついた顔を上げ……たところで、そのままフリーズ。



 ……な、なに、あれ。
 え、ちょっと。本気でなに。アレはなんですか。



 OK。ここは研究室。
 私が起こすまでもなく二時間きっちり仮眠して半分復活を遂げたロベルトに、今度は問答無用で連れていかれたヤツの所属する大学の研究室。なんでかって? それは言うまでもなく私も知りたいところです。もうそろそろ本当諦めがつくってもんだよ……。

 その、軽く30畳くらいありそうなその部屋のすみっこ。ソファの上。ここまではいい。問題皆無。問題はその先。視線の向こうにあるのです。





 混沌がありました。





 部屋の一角だけが別世界。
 散乱なんてもんじゃない。混沌。あれは地震が起きたら埋まって死ねるレベル。それも震度2くらいで。

 最初入った時は気づかなかったよ。
 たぶんあれ、部屋にちょっと入っただけの位置からは見えないようになってる。見えないようにされてる。私も整理整頓は苦手な方だけどさ、あれは引くよ。見えない位置に隠されてるのも頷けるよ。本棚の使い方間違ってるし。本棚は縦に並べていくものであって、決して上に積み重ねていくものではありませんよ!

 話の流れからして……あれ、あの姉さんのスペースなんだろねー……。

 うわぁ……。

「この状態でどこになにがあるかわかるのピアスには」
「わかるわよ。あーっ! ダメっ! だっからそこ動かしちゃダメっ! だぁーめぇーっ!」
「動かされたくないならね、勝手に人のもの持ち込んで、そのまま所有物にするのやめてくれる」
「だって返すのめんどくさい」
「だったらいっそ、俺の方に取りに来るのも面倒くさがってよ」



 ……人物評定を訂正したいと思います。

 この姉さん、私が抱いた第一印象の斜め上、未知の領域を爆進しているようでした。





   2010.8.9