「あれ、ここにはいないみたいだけれど……やっぱり殺されちゃったのかな? あの男は」

 その言葉に一瞬の違和感を覚える。
 しかしそれは、意味を理解したとたん胸に湧きおこった憤りによってかき消された。

 ……久しぶりに会った身内への発言として、この言葉はあるのだろうか――

 つい浮かんでしまった身内という言葉に吐き気すら覚える。

 私は言葉を返す気にもなれず、ただ白い目を向けた。
 今このときを選んで、近くの町まで買い出しに出かけてくれていたあの人の強運に感謝しながら。

「なんだ。生きているんだ。――それにしても」

 口にしておきながら、もともと興味などなかったのかもしれない。つまらなそうにつぶやいたあと、くつくつと笑いながら目を細める。

「懐かしいな……やっぱり最高だよ。その――死ねばいいのにって書いてあるきみの顔」

 もう一度浮き上がった違和感は今度こそ、その正体を明らかにした。

 …………これは、このような男だっただろうか、と。
 過去にさかのぼるにつれて清明とはいえなくなる記憶の中で、彼は確かに趣味が悪かった。しかし意図して私にこんなふうに刃の言葉を投げつけただろうかと。

 共に生まれてから共に在り続けたのだろう。
 きっと、そうして長いときを過ごしてきたのだろう。
 だからこそ、初めて生まれた感情を向かわせるには恰好の相手だった。憎しみという名前の感情を。

 でも、これは違う。私が厭っていた彼とはなにかが違う。

 ――違う……、ちがう…………!

 なにが違うのかを認識しても、私はただ心の中で、ちがう、と否定するしかできない。
 だって、なにが変わったのかわからなかったから。
 おだやかに細められた紫色の瞳も、どこか心地の良いゆるりとした喋りかたも、誠実を思わせる雰囲気も……なにが変わったというのだろう。

 ――なにも変わっていない。

 そこで、理解した。

 変わったわけではないのだ。
 ただ彼は。

「これは、殺せたらいいのにって言ってる顔」
「うん。そうともいう」

 彼は、私と同じになったのだ。
 それだけのこと。


 ――ようやく得られたこころによってつくることのできた、たいせつなひとのそばに在る。


 だから今までの『彼女たち』とは違うのだと信じた――それなのに結局、この同胞には切りつけることしかできない、私と。

 なにもかわりはしないのだと。




序章






 もう会うことはないと、そんなことが起こってはならないと、残された力の全てをもって細心の注意を保ち続けていた。
 だというのに、こうして居場所を捕捉されてしまったのは――甘かったということだろう。

 だがそれも――どうだっていい。
 それよりも。

「……なにを、したの」

 なにをして、その咎を負ったというのか。

 見えるのだ。
 彼を中心に渦を巻き覆い尽くす、堕ちた証の烙印。鎖に戒められた者の証が。

 それは、魂に刻まれた烙印。

 もう用は済んだのだと、おまえたちはいらないのだと見限られ――捨てられながらも縛られ続けている、その証。

 なぜ。
 私が原因だというのなら、同時に裁かれたはず。少なくともこれまでの『彼ら』や『彼女たち』はそうだった。
 そうではなかったからこそ、裁かれたのは私だけだったからこそ、どこか安心していたのに。なぜ。

「あぁ……やっぱり、気づくよねぇ」

 彼は、あはは、と軽い笑いを漏らしただけで問いには答えない。
 それが苛だたしくて、私はつい声を荒げてしまった。

「なにをしたというの! なにをして」
「僕のことを心配してくれているの?」
「ちがうっ」

 それだけは違う。断じて違う!

「そう? でも安心して。これはきみのせいじゃない。僕には僕の思いがあって、そのためにはレグニアがなくならなければならなかった」

 ……この男は今、なにを言った。
 なにが、『なくならなければ』と言った?

「あれは存在自体が間違っていた。だから、壊したんだ」

 なにを言っている。なにを……………………壊したと!

 声が、喉の奥にひっかかって出てこない。
 目が一挙一動を逃すまいと、耳がひとつの言葉も聞きもらすまいと――全身の感覚がひどく鋭敏になるのを、他人事のように感じている。

「次代の僕らは生まれない。生ませるものは消したから」

 限りあるはずの悠久は、終わらぬ永遠となった。
 そういって自嘲する彼の口を塞ぐ術を、私は持っていない。

「そして、僕らは在り続ける。間違った存在に創られた僕らには、その間違いを正す義務があるから」
「そ、んな…………」
「できるよ。僕ときみなら」

 できる、できないの話ではない!

「……そんな……っ、馬鹿げた話を、本気で言っているというの?!」

 私たちの属していた世界がもう存在しないということは、その原因がこの男なのだということは、この際どうでもいい。
 そんなことより――捨ててはおけないことがある!

「間違った存在に創られたというのなら、私たちの存在そのものが間違っている! そんな私たちに正される必要はない!」
「なら、きみはこのまま不自然に完成していた理が、不自然に崩壊した現状を見過ごすの?」
「……っ」
「このまま目を逸らし続けて、きみのたいせつな人間が混沌に飲みこまれていくのを……見ているだけ?」
「壊したあなたが……それを、言うの」
「創造の前には破壊が必要……それは、きみの方がよく知っているよね? 僕は、そのための必要悪。新たな秩序を築くために、手段を、犠牲を厭っていてはなにも始まりはしないから」

 なぜだろう。
 なにが彼の心を、ここまで世界へと向かわせるのだろう。

 欠片でもよいから糸口を探ろうと、うるさく脈を打つ胸を抑えつけて必死に冷静を保とうとする私を、あざ笑うかのように。

「僕は僕の信じた思いへ進むよ。必ず、きみと共に在れる、理不尽な理に振り回されることのない世界を創ってみせる」

 瞳の底に燃える、狂気。

 そして私は、彼がなぜ、なにをさせられていたのかを理解する。

 彼の中には毒が沈んでいる。
 躯を介して魂にまでゆるやかに滲みわたり、だが確かに静かに、私たちを破滅へと導く――毒が。




「だから僕と一緒に、世界を壊そう? ルディ」




 愕然と仰いだ空の向こうに、私たちを縛り、同時に護ってもいた世界は――もうない。




2009.5.11 (2010.2.14改訂)