思い出すあなたはいつだって、やわらかく眩しく笑う太陽。
だから私も笑っていよう。
あなたという太陽に、水に、土に、風に育てられた心のかたちを失わぬよう。
それが、あなたが生きた証のひとつ。
ねぇ、そうでしょう。
あなたに違うと言われても、私はそう信じている。
死者の考えを想像して自分を正当化したり鼓舞することは、遺された者の特権だから。
自己満足と言われようと、私はそう信じ続ける。
時読み 6
「……ところでお前、俺に何の用があって連絡をしてきた?」
国境警備隊の砦を後にして数か月。
問題が片付いたディオンが自分の船に戻るというので、なんとなくついてきて、それからなんとなく居座り続けて今に至る。
新人くんをからかったり、ディオンが本気で隠しているらしい酒瓶をこちらも本気で探してみたり。なかなかに平和な日常を謳歌していると思う。
船の揺れと水があまり好きではないファルは眠そうな顔に疲れを滲ませるという、ちょっと可哀想な状態になっている。それを隠したいらしく、猫の姿で尻尾を揺らして日向ぼっこをしていることが多い。
水を嫌う猫に嫌がらせをするような者はこの船にいなかった。それどころか煮干しを投げてもらったり、皿にミルクを注がれながら話しかけられていたりする。海の一族は結構、動物に優しい。
セレンは厨房で重宝されている。立ち入り禁止になっている厨房に隙あらば入り込んでこようとするディオンのバリケード的存在として。もちろん調理要員としてもありがたがられている。普段その役目を担っているレナードはお休み中。一番神経を使う役目から解放されて、ファルと並んでぼーっとしている姿をよく見る。
「さぁ。なんだったっけ?」
発見したばかりの酒のコルクをきゅぽんと抜いた。潮の香りに混ざって芳醇な香りが鼻をつく。
すごく嫌そうな顔をしてるディオンに遣う気など存在しない。見つかったものは仕方ないと諦めなさい。
「用がないなら船を降りろ。今すぐ。即刻」
「じょうだんだって」
グラスがないから仕方なく瓶に直接口をつけた。行儀が悪いとは思うが、仮にも海賊船で礼節を重んじるのも馬鹿らしい。
船べりから身を乗り出してもたれかかる。
風が強く吹きつけるが、心地よかった。こういうとき髪を纏めていてよかったと心底思う。
「ラスティがね」
「ああ。あの魔王か」
「ちょっと前、本気でつっかかってきたからこっちも本気で返り討ちにしてやったのだけれど」
「…………それはまた、命知らずな」
「私たちを殺せるかっていうのを実践証明してみたかったみたいよ」
ラスティによると、アレ――ルタは魔界の一部勢力を利用してなにかをしているらしい。魔界の掌握に頭を悩ませているラスティにとっては実に邪魔な存在だろう。
アレがなにかをしているのは知っている。
だがそれを阻止しようと動いたところで、面白がらせて泥沼にはまるだけ。
まだ本当に大きな実害には至っていない今のところはまだ、放置していた方がいいだろう――
「それができたら、アレを殺して排除しようと考えたか」
「らしくてね。無理だけど。で、命知らずは学習したようで。いざってときは私たちに協力するから、そっちもいざってときには協力しろって契約を持ち出されて」
「呑んだのか?」
「契約だしね」
魔族は契約に縛られる種族。
上位であればあるほど契約の遵守は美徳と捉える。
魔族の中でも最上位のラスティが契約を、それも自分が持ち出したものを破ることはあり得ない。
「まぁ、悪くはないかなぁと思って」
「……たち?」
うん、その嫌な予感は的中してる。おめでとう。
「私たち」
「俺を巻き込むな」
「巻き込んでやるー。えいっ」
服にべしっと勢いよく叩きつけてやったのは――小さなクマのマスコット人形。姿こそ可愛いが立派な探知媒介だ。これでそのうちラスティが嗅ぎつけるだろう。
「なんだこれは」
「ラスティの趣味?」
「……おい。大人しく持っててやるから、剥がせ」
「やだ」
「こんなガキの悪戯に魔術を使うな! しかも難解な!」
「あとはそっちでやってちょうだいねー。私の関与はここまでだから」
もう一口、酒を呷る。度数はそれほど高くなさそうだが口当たりは好みだ。
「……で。何を持ち出されて了承した?」
諦めたのだろう、それでもディオンはなんとかしてマスコットを剥がそうと術式を探っている。胸に貼りつけてやったから目立つし、そりゃあ嫌でしょうね。
「滅多にお目にかかれない魔界の名酒ー。そんなの持ってこられたら断れないじゃない?」
「お前はその上で俺の酒蔵を荒らしていると……?」
「ええ。文句でも?」
言われても聞く気はないけれど。
ディオンが頭の痛そうな顔でこめかみを揉んでいる。頭痛薬処方してあげましょうか? 特別出張料三割増しで。
「ちなみにその名酒は」
「残念でした」
からりと笑い、胃のあたりをぽんぽんと軽く叩いて見せた。そんなものとっくの昔に消えている。期待するだけ無駄ってものだ。
雲がゆるゆると形を変え、流れていく。
波のさざめきが耳に優しい。
ディオンも私もしばらく何も言葉を交わさなかった。私はただぼんやりと水面に意識をおいたまま、時折酒瓶に口をつけて。
ディオンは隣にいても必要以上に踏み込んでこない。自然な距離を取ってくれる。その距離が私にはひどく楽で、つい甘えてしまう。
これでも知っているの。あなたが私にだれを重ねているのかは。
知っていて、私は。
「そうだ。送ってほしい場所があるのだけど」
私に転移魔術は使えない。
近距離なら使えなくもないが、術式が恐ろしくややこしくて使う気にならない。それに私はのんびり歩いて旅をすることが好きなのだ。味気なく移動だけを目的とした転移魔術に、あまり必要性を感じない。
そもそもアレが手足のように転移魔術を使えるのは、転移の属性がアレの隷属属性のひとつだから。私の隷属属性は笑えるくらいに攻撃に偏っている。
「珍しい。目的地があるのか」
「ふふ。約束をしたの」
やわらかい茶色の髪の手触りを思い出し、くすりと笑って見せた。
それと、可哀想だから、降りるときにはマスコットは剥がしてやろう。
「……リィン姉ちゃん?」
久しぶりのラムロット村は、何も変わっていはいなかった。
離れていたのはたったの数か月。それでも、幼い少年にとっては十分に長い時間だったのかもしれない。
私は、幽霊でも見たような呆けた顔で持っていた紙袋を取り落としたディックに迎えられていた。
野菜がころころと袋から転がり出る。
「ホントに、ホントにリィン姉ちゃん?!」
「そうよーディッくん。お姉さんの言うこときかないで、またたんこぶ増やしたりしていたかしら?」
「してないよっ!」
ディックが一瞬でぶすくれた顔になる。
……うん。やっぱりこのコはこういう顔の方が似合う。
「まあいいや。そんなの」
少し背が伸びただろうか。少年の成長は早い。そう遠くない未来で彼は私を追い抜かし、過ぎ去ってしまうんだろう。
そう考えると、寂しさが募った。
「おかえりなさい。リィン姉ちゃん」
少年がどこか得意げに笑う。
この既視感は――なんだろうか。
記憶を手繰って思い当たったのは、いつか見たあのひとの姿。
『おかえり。リィン』
同じように両腕を広げ、帰りを待っていてくれたあのひと。そして自分も同じようにあのひとを出迎えた。
おかえり。
その言葉は祝福だ。私は拒絶されていないと、ここにいてもいいのだと教えてくれる。
やはり私はヒトの中で生きてゆきたい――そう思わせる何かを、彼らは持っている。
皆、私を追い越して消えてしまうけれど、ひとと交わらず隔絶した世界で生きるなど、私はきっと耐えられない。
消えてしまう彼らを見送って、そうして流れ着いた先、また新たな誰かに出会う。
それを、繰り返すのだろう。
ねぇキース。
やっぱりあなたは間違っていなかった。
そんな思いが生まれるはずがないと頑なに否定した私の中には、確かに今、そんなものが存在している。
あなたが与えてくれた名が、心が、教えてくれる。
今この胸に湧きおこる感情が確かに私のものであると。
だからこそ私は、この言葉で私自身を迎えよう。
「ただいま」
ねぇキース。
私の声が、聞こえていますか?