帰ってきた兄貴から致死性毒物の用意を打診されたこと。
それを使う対象が、実は昔兄貴を捕まえたんだっていう、うちの侯爵子息サマだったってこと。
グループの子どもたちを動かして軍に兄貴の情報を提供してたこと。
昨日の夜遅く、兄貴を捕縛するために協力してもらいたいって軍経由で貧民街のねぐらにやってきたジョエルに、それらを含む話をしたこと。
そしてジョエルが絶妙のタイミングで現れたのは、ちょうどイムザんとこのリーダーと話をしてて報告を一緒に聞いたからで、そこから今度は侯爵子息サマとハラルドに情報が回されたらしいこと。
全部話すって言ったもんな、その言葉通り、イムザは自分の知る兄貴に関わる今回の事情をぽつりぽつりと話してくれた。
おおざっぱにまとめるとこうだ。
兄貴が昔自分を捕まえた侯爵子息サマに復讐したくて薬師のイムザに目をつけて毒物手に入れようとしたけど、イムザは断って警備隊にたれ込んで兄貴捕まえるためにグループ総出で軍に協力してた、と。
へぇそうだったの、としか言いようがない。だってもう全部終わっちゃってる。今さら裏事情というか幕裏を知ったところでそれ以外の感想、出てこない。
ただ、やっぱりイムザ側の話だけだと疑問は残る。侯爵子息サマたちが、おれにエルシダへ向かう本当の理由を話さなかったのはなんでだよ? エルシダの貧民街出身てことで年数的に兄貴と知り合いだった可能性疑われて、邪魔されたくなかった? それなら連れてこなきゃいいだけの話だ。でもっておれを連れてきた理由が囮なら、最初からそう動かすために事情知ってた方が釣れるの待ってる側にも有益だろ。ホントになんで視察とか嘘つかれたの、おれ。
なんかもう、頭の中が納得と疑問符でいっぱいになったおれのため息を、どう思ったんだか知らない。話し終えて気持ちすっきりした表情のイムザが感慨深げに息をついた。
「兄貴はさ、ホント、なーんでそこまで復讐にこだわったんだかねえ。昔からあの人の考えること、どーにもよくわかんなかったわ」
「さあ。イムザにわかんなかったなら、おれにはもっとわかんないよ。昔の兄貴の考えてたことなんて」
「お前は? 恨んでる? 昔言ってたのお前じゃなかったっけ。踏みつぶそうとしてきたやつを、いつか踏みつぶしてやりたいって物騒な決意表明してたの」
「合ってる。それ、おれ」
「今でもそうしたいと思う?」
問われて、首を横に振る。
「ずっと恨んでんの、疲れるし」
「はは。確かに」
「他に、もっと、やりたいことあるし」
「そりゃよかった。うん。その方がよっぽど現実的だよな。俺もそう。他にやること山積みだよな」
「踏みつぶしても、気分よくなると思えないし。今は」
「ラト」
「ん」
「やっぱでかくなったなーお前。ちっこいけど」
がしがしと頭をかき混ぜられた。やめろよと手首をつかんで軽く捻る。短い悲鳴に手を離すと、「ありえねー……」と恨みがましい非難。悪い。つい。久しぶりに会った親戚か近所のおっさんみたいな言動、またしてくるから。
ただ、服の袖からちらりと見えたイムザの腕に白い包帯が見えた気がしたのが気になった。そういえばイムザも怪我を負ってたはずのことを今さら思い出す。もしかして今おれがひねったの、そっちの腕だった? ……夏だってのに、わざわざ長袖になんか着替えてきやがって。
「兄貴はさ」
おれの視線から逃れるみたいに腕を後ろに隠して、イムザがまた、さっきの始めと同じ言葉を口にした。
「ん」
「なんで、そうなれなかったんだろな。恨んで、思い知らせてやりたいって以外にやりたいこと、あの人見つからなかったのかね。空しくね? そんな人生」
「さあ」
「うわ他人事」
「他人じゃん。わかるわけない。おれらが考えたって推論にしかならない。どうしても知りたいならもっかい聞いてみるしかないんじゃないの。直接」
「……生きてんのかねぇ」
「さあ。しぶとそうではあったけど、どうだか。でも」
おれとイムザはその現場を見てないし、詳細も知らない。ただ、生死不明とだけ聞かされた。
生きててほしいなんて願望は持たない。おれはもう、あれを兄貴と呼べないだろうから。そういう意味では俺の中で兄貴は死んだ。
「おれはもう、会いたくない」
あれはホーク・ディケンス。そういう名前だったことを今日初めて知った、自分以外を信じられない可哀想な人間。
そして、もしかしたら、あの養い親に拾われなければなっていたかもしれない自分の鏡だ。
「気が合うな。はは、俺も金輪際会いたくねーわ」
おかしそうに手をぱたぱた振って同意するイムザも、兄貴の中に、自分自身が辿ったかもしれない末路を見てただろうか。そうだったらいいと、勝手に思った。
廊下から、誰かが歩いてくる気配がした。これまでにも何度か行き交ってたようなばたばたとせわしないものじゃなくて悠長な、のんびりしたものだ。かちゃりとドアの開く音にそちらを見る。ハラルドと、それから侯爵子息サマだ。
「ありゃ。あの二人まだ話し込んでんのか。しょうがねえな」
ジョエルの様子にまだかかると判断したのか、二人はおれたちの方に寄ってきた。
「……大丈夫?」
ついそう訊いてしまったのは、侯爵子息サマの顔色があんまりにもよくなかったせいだ。血の気がない、というのとは違うんだけど、とにかく絶不調ってカンジの顔色をしてる。兄貴となにがあったんだかは気になるけども……早く寝たら、って言ってやりたい。ハラルド、さっさとこの人宿に連れてけよ。ついでにおれも一緒に。
「うん? 私は擦り傷ひとつ負っていないよ? それに、どちらかといえば君が心配される側だったはずなのだけれど……そういえば、傷」
こっちのそんな思いとは裏腹に、侯爵子息サマ本人はいつもの調子を通したいらしい。包帯に覆われてもいないむき出しの左腕を見据えて、ないね、と続いた言葉は疑念にあふれていた。
神父っぽいなりした人が治してくれたと答えると、侯爵子息サマとハラルドは揃って怪訝に目尻を歪めた顔を見合わせた。普段はともかく、こうやって同じ表情をすると係累だなぁっていう顔だ。
「金髪の? 小柄で、のんびりした口調の男?」
あれ。そこ? てっきりこの左腕の、一度きりの治癒魔術としてはあり得ない状態を訝しまれてるんだと思ったら。
おれの代わりにイムザの肯定を受けて、二人は再度、同じ顔で首をひねっている。んん? こっちも首傾げたいんだけど? 知り合い?
「よう、スリの常習犯。でかくなったな!」
このとき。
頭の上に疑問符を乗せてたおれたちに向けて、――いや、主に一人に向けて、警備隊長のぶっとい声が響き渡った。
「うえぇ? よく見た方がいっすよ隊長。こいつ実はたいしてでかくなってないっすから」
「ん? ふむ。言われてみりゃそうだな。想像よりだいぶちっこかったわ。なんだその仏頂面は。昔散々っぱら世話してやったのを忘れましたたぁ言わせんぞ」
ちょ、イムザ黙れ。笑うな。言われてみればとか言ってんじゃねぇよ隊長。隣に並んで背を測るな!
……だからさっさとここから出たかったんだよ! こうなるのが嫌だったから!
そりゃ昔、あんたには世話になったさ。自覚はあるさ。財布スるのに中途半端に失敗して袋叩きにされてたところを止めに入ってくれたり、まだガキだからって仲裁してくれた恩は、ある。
でも。
でも、だ!
人の黒歴史を。それを、今、ここで。侯爵子息サマの前で言わんでもいいじゃねぇかよ……!
殺意が! 殺意が湧いた!
「……どーも。久しぶりっす。髪減った代わりに腹出ましたねたいちょー」
「はっは。口の悪さは変わらんなあ。そんなんでこの先やってけんのか、おい。美人のおねえちゃんとこの養子の次は、天下のエルディアード一門のお庭番! えらい出世だ! なあクソガキ!」
がははと唾をとばしながら豪快に笑ってでっかい分厚い手で肩を叩いてきた隊長に、おれは口をつぐんだ。それがただ単にばしばし遠慮なく叩かれて体をぐらつかせてただけであっても、言葉も出ない事実は揺るがない。
隊長の手荒い激励から逃れておそるおそる振り返る。そう、侯爵子息サマを。
紫色の瞳をくるりと瞬かせたその人は、ああ、と心得顔でただ一言、「知っていたよ」とにこやかに言った。次いで、ハラルドとジョエルも「知ってたが?」「知っている」ってほぼ異口同音に頷くし。なにを、なんて、……聞くまでもない……!
「知ってたのかよ……っ」
もう塞いでも意味がないのはわかってるけど、両手で耳をおさえてしゃがみこむ。ちょっともう……小さくなりたい気分。たまんない。
契約のときに読み上げられた経歴の中に入ってなかったのをいいことに、できることなら隠し通したかった前科をさ! 知ってる上でのオッケーだったならさあ、その安心をあのときよこしとけよ、もう! こいつら性格悪い!
「なんだ今さらへこたれやがって。んなもん二月前、おまえの身元調査に来たハラルドに全部喋ったっつの。それにしても、いやー……久しぶり久しぶり。懐かしいねえ。ヘマして捕まってボコボコにされてはここに突き出されてきたのが昨日みてえだぞ。あの頃は俺も若かった。髪も若々しかった」
「んん? 俺らの教官してた時からだいぶ生え際怪しかったよなぁ、なあジョエル」
「……答えろと?」
「おい、新人庭番。こいつらの学生時代の恥ずかしい話教えちゃる。あとで顔貸せ」
「それは聞く」
「私も同席させてもらっても?」
「もちろんですとも、黒騎士侯爵家次期当主どの。あなたの教練にも携わりたかったものですなあ」
「こうしゃ……、え? ちょ、……えぇ? 次期当主……、って。ぅえ……?」
侯爵子息サマを指さしかけて思いとどまったっていう中途半端に腕を上げた状態で、挙動不審に助けを求めるような動きを見せたイムザの肩をぽむりと叩いた人がいた。さっきまんじゅう食べてたおれらを恨みがましそうに見てた人だ。その人の無言の首肯により、イムザが今にも死にそうな顔になった。
「俺、すんげーしつれーな口、利いた、気ぃする……?」
「どうだイムザ。ひとつ飴でも。落ち着くかもしれんぞ」
あ、思い出した。あの人知ってる。飴の人だ。いつもポケットに飴忍ばせてて、ここで会うたびこっそり渡してきた人。……健在なんだ、飴。
飴をぼりぼり噛み砕く音をさせながら、イムザは遠い目であらぬ方向を見つめている。現実逃避したくなる気持ちはわかる。わかるけどな。現実だよ。
「……マジ、今ほどいつものこのまっずいトマト飴がありがたいことないっすよ……嫌でも逃避できるっていうか。サンキュっす、ふくたいちょ」
「いやいや。君のところの茶には勝てんよ」
その後二日間のエルシダ滞在中、ホークが見つかったって知らせをおれたちが受け取ることはなかった。
神父姿の男について教会に問い合わせても「そんな人間は所属していない」、返答はそれだけだったらしい。都合が悪くて秘匿って可能性もあるけど、本当に教会とは関係ない線も十分ある。素性の知れなさが気持ち悪い、ジョエルがぼそりとこぼした言葉に、おれも心中、同意した。
おれになんにも教えてくれなかった理由、訊いたら侯爵子息サマはさらっと答えてくれた。
エルシダの状況をまったく掴めてない状態から、おれが一日でどのくらいの情報を得られるかを試したかったんだそうだ。また「試し」かよと思わないでもなかったけど、確かに今は試用期間と言えなくもないから文句は言えない。自由時間があればたぶん昔の仲間と接触するし、ホークにたどりつく可能性は高いだろう、って。ただそれだけ。ちゃんと初日の夜には話をするつもりだったんだと侯爵子息サマは肩を竦めて言っていた。でもおれはその前に、ジョエルが下調べと協力体制を整えてる間にホークにぶちあたったというわけだ。自分でも、引きはいいのに運が悪いとしか言いようがない。
すっきりしない後味の中で、はっきりわかったことがある。
エルシダが帰る場所じゃないっていうのは決めつけだったこと。
あそこにおれの居場所はない。今さらイムザたちのコミュニティに入る余地なんかなくて、おれ自身があそこにいることを捨てたとはいえ、弾き出された感は否めない。でも居心地がよかった。それを作ったのは、根っこの部分を同じくする連帯感。場所じゃない。人に宿ってる。
待っててくれる人がだれもいなければ、ラムロットのあの家だって、ただの空っぽの箱でしかないに違いない。
人が一人じゃ生きられないってよく言うのはそういうことかね――人を二人を乗せてるっていうのに軽やかな疾走を続ける馬の背で、半分意識を飛ばしながら、おれはそんな柄にもないことを考えていた。