本日下町にて、連日の恐喝、強盗、警備隊員一名の殺害を行いエルシダの安寧を脅かしていたホーク・ディケンス一派五名を捕縛。
 首魁のホーク・ディケンスは生死不明。ホークと外見特徴の照合する死体は現在の時点で見つかっていない。仲間と思われるがホークに致命傷を与えた神父服の男、同行者の少女がそれを知るものと思われる。しかしその二者の素性は不明。このままエルシダに逗留するとは考えられないことからも、人物特定は困難と予想される。

 また、捕縛に伴い、市民一名を含む二名が巻き込まれ負傷。これまでに警備隊員にも一名の殉死と負傷者が出ているとのこと。これについてエルシダ領主には寛大な恩情と、今後の自警組織運営向上に関して常々ならぬ努力を我が主は願っておられる。


 以上を簡潔な報告とし、詳しい状況報告については後日提出する旨、了承されたし。
ジョエル・E・ゼクス





「なんだこれは」

 ではこれを、とジョエルから素っ気なく差し出された定形紙に視線を走らせる男の口が、そこに書かれた文章を進めるごとに「へ」の字へと形を完成させていく。不粋な問いはその上で発された。

「報告書です」

 無精髭の強面、どう見ても悪人顔した警備隊長の凄みにも、ジョエルは平然としたもんだ。しかも、それがなにかとでも言いたそうな白々しいさ。ちょっと前にちらっと見たはずの剣士の顔――いや、おれが見たのは後ろ姿だけなんだけどさ。とにかくそんなもん嘘だったみたいに服も髪もきっちり正して目の前の警備隊長を軽く見上げるジョエルは、くそ真面目で融通のきかなそうな文官そのものだ。

「そんなもん言われんでもわかる。そうじゃなくてだな、この、恩情うんぬん……」
「わざわざ自分の名を入れた理由。ご理解いただけると思ったのですが。教官」

 教官。
 きょうかん?

 まじまじと警備隊長とジョエルを見比べるおれに、「あの人ここに赴任する前、士官学校の教職やってたんだよ。で、俺らの教官。クロウの時はもういなかったがな」と答えてくれたのは、壁により掛かって時々あくびをかみ殺す様子を見せてたハラルド。だいぶかったるそうだ。年かな。

「ちなみに報告書の意味は」
「あー……限りなく簡単に言やあ、『おまえんとこがあんまりにもふがいないからエルディアード侯爵本家が出てきました。これ以上しゃしゃり出てきてほしくないだろ? ならてめえのケツはてめえで拭け。くれぐれも常駐警備隊に当たったりするんじゃねえぞ。たいしたバックアップもしてねえくせによ』って領主への脅迫」
「……うわ」
「あと見舞金ふんだくる気満々だな。正式にうちの人間じゃないのにかこつけて。よかったな、臨時収入。なにかと入り用だろ」
「……出元の違う危険手当?」
「そそ。お前の給金は危険手当が標準装備予定」

 なにそれ嬉しくない。
 遠い目でやっぱり敵に回したくないジョエルを眺めている間に、ハラルドは警備隊員に声をかけられなにかを渡されていた。ハラルドはそれをおれに押しつけて「向かい、更衣室。行ってこいや」そう言ってドアを親指で示した。……ありがたく受け取る。被害が主に下履きのせいで脱ぐわけにいかず、自分が放つ悪臭とはいえ、この酸っぱい臭い、いい加減どうにかしたかったところだ。

 警備隊員のだれかの私物と思われるシンプルな、ただしお約束みたいに上下ともだぼだぼの服に着替えて戻ったところ、ハラルドがいなくなった替わりにイムザの姿を見つける。
 兄貴に負けずとも劣らない悪人面の警備隊長がジョエルと思案顔を突き合わせて「しかし、ここの領主サマ、ホークを取り逃したってのを納得してくれるかねえ」「納得もなにも。数日間の捜索は当然だとして、今さら部隊を出すつもりが?」「そこまではさすがになあ。第一、割ける人員がねえよ」なんて話し合ってるのをつまらなそうに見ていたイムザは、おれに気づくと片手をあげて軽く笑った。

「どうだった、ジェフリー」
「平気平気。まーあちこちボロボロだったけど、深刻な部分はないってさ。痛みより湿布薬の臭いのが辛いって文句言ってたぜ、あいつ」
「……丈夫だな。あんだけやられて」

 なんでもイムザだけがぼろ雑巾よろしく潰れてたおれのところに戻ってきたあのとき、イムザんとこのリーダーでジェフリーの実の兄貴が弟を回収、薬屋のばあさんのところに連れてってたんだとか。
 まあ、無事ならよかった。もし必要ならおれが診ようかとも思ってたんだけど、その必要はなさそうで安心だ。できなくはない、けど治癒の魔術に自信はない。専門は薬の取り扱いとはいえ、医者の役割も持ってるのが薬師だもんな。

 イムザと一緒に詰め所の隅っこを陣取ってたら、忙しそうに出入りする警備隊員のやつらに煙たそうな目を向けられた。そんなもんは無視だ。おれだっていたくているんじゃない。出てっていいもんなら喜んで出てく。時間だって気づけば夕方まわってすっかり夜。腹が減ったし疲れて眠い。ハラルドがいれば先に一人で宿に戻っていいかと訊けるんだけど、いなくなってるし。だからって話し込んでるジョエルには訊きづらい。ジョエルは今に限らずいつも忙しそうにしてるから、声をかけるタイミングがはかりづらいのなんのって。反対に話しやすいのはハラルドだ。そっちは暇そうにしてるとこばっかり見る。

 ハラルドちゃんと仕事してんのか疑惑はともかく、つまり今おれは勝手にここから出ていける雰囲気じゃない。
 だから、たぶん聴取されに呼び出された――というよりそれも含めてもろもろの報告に来たけどその相手待ちのイムザとこうして喋ってたところで、文句言われる筋合いはない、と思う。

「な。それ、さ。マジに、なんともねーの?」

 話をしながら左手を握ったり閉じたりを繰り返してたのが気になったんだろう。イムザが探るように訊いてきた。

「……ちょっと違和感は残ってる。でも、たぶんすぐ元に戻ると思う」

 左腕全体に、ぐ、と力を込めてみる。手を開く。収縮した筋肉が緊張から解放されて弛緩する。同じことをしてみた右腕と、まったく変わらない感覚がそこにある。
 腕に斜めに走り、ぱっくり開いて血塗れだった刀傷は存在しない。最初から傷なんてなかった、そんな錯覚を覚えるくらい、自己修復機構を促進して傷を塞いだがゆえの隆起もなければその部分の変色すらない。ただ傷を受ける前とまったく同じ状態の肌。とても自然な状態で、けれどもひどく不自然な結果だ。

「治癒魔術、ってさ。俺、何回か見たことあるけどさ。違うよな。そんな風にならないよな。あれって自己再生能力を高めて再生を促すもんだから、治癒受けてる方に相応の負担かかるし、痕だってちゃんと残るもん、だよな」
「ん。長期的に使えばだいたい綺麗に消えるけど。これはおかしい。おれ全然普通だし、むしろ体、楽になったくらいだし」
「痕もないしさ。どーなってんの。なんだったんだあの人さー…………」
「おれ、朦朧としててあんま記憶ない」

 覚えてるのは、助けてくれた人がいた、っていうこと。

 侯爵子息サマが満たしてくれた魔力を総動員させても、おれは結局左腕を自己治癒させることはできなかった。
 当然といえば当然だ。イムザには「できなかったらその時考える」なんて言ったけど、おれにはこれっぽっちもなんとかできる可能性なんて見えてなかった。
 そもそもの話、ある程度術式構成に集中できる他者に向けた治癒だったにしても、あれはもはやおれの手には余る状態だった。自己治癒なんて魔力制御のさじ加減がくそ難しい芸当、できるわけがない。それでもうまく限りある魔力と集中力を総動員させて、神経だけは繋げられないかと模索した。そしてできないまま、魔力は二度目の枯渇を迎えた。

『きみ、どうしてそれ、持ってるの?』

 そんなことを訊かれた気がする。
 訊いているのが誰なのか、それ、というのがなんなのかわからなくて、それ以前に夢か現かの区別がつかなくて、おれはなにも答えられなかった。
 イムザがなにかを言ってたのを覚えてる。そのおかげなのかはわからないけどその人は納得したらしく、『それじゃあ放っていったら怒られちゃうね』とおれの左腕に触れてきた。
 瞬間、強い目眩に襲われた。
 触れられている部分を中心に、おれを苛む悪いもの全てが抜き取られて、駆け抜けていって。ざぁっとなにかが引いていく、得体の知れない寒気を伴う浮遊感。うまく意識を着地させることができなくて、おれは今日何度目だよって他人事に考えながら気を手放した。
 そして次に気がついたとき、綺麗に消えた、傷があったはずの腕をおれに残してその人も姿を消していた。

「もしかしてあれ、失われた神の奇跡ってやつだったり?」

 未だ戻らない神によって、ひとときの間、力の一部を借り受けた神の代行人。世界の理を動かす権限を与えられた、奇跡の人。
 そんな架空の人間が、教会の聖典には存在するらしい。

 胡散臭い。
 奇跡なんて言葉は思考の放棄。それなりの勉強をしたまともな魔術士だったらだいたいがそう考えると思う。物事にはなんだって理屈がある。一見奇跡に見える現象だってなんらかの課程を経て導かれた結果だ。それを「奇跡」の一言で済ませて崇めるなんて、どうかしてるとおれは思う。

「奇跡なんかじゃない。普通の治癒魔術とは思えなかったけど。それでもあれは、魔術だよ」

 おれの生命力を奪うことなく、絶たれた神経を紡いで傷を綺麗に消していった力は、確かに魔術の術式を介していた。
 その人はいかにも位の高い聖職者って風体の金髪の男だったってイムザは言う。奇跡、なんて言葉が出てきたのはそのせいもあるんだろう。でも、魔術を人前で使ったことが、その人の聖職者としての位の所持を否定する。

 魔術士は教会での地位を得られない。
 教会と魔術師協会は仲が悪い。有名って以上に公然の事実だ。その理由は、子供向けの歴史の教本にすら記されてる。
 イヴァンって国は王家の始祖が魔術師協会発足に関わった。それだけあって、現在に至るまで協会と共に勢力を強めてきた歴史を持つ。
 今でこそ盤石の大国だけど、建国間もない新興小国家だった頃のイヴァンは国土を含む大陸一帯で絶対的信仰を得ていた「古神再臨」を詠う教会と全面対立した。
 当時魔術と名前のついてなかった現象を操ることのできる者を、教会は「神の選定者」「神の愛し子」と奉り上げて民衆の信仰を集めてたんだそうだ。
 だからそいつらにとって、奇跡を「体系の存在する技術」だと否定して、奇跡だったはずの現象を自在に操る魔術士を抱える魔術師協会は、教会の威信を脅かす異端者集団。それを支持する新興国なんて当然認めるわけがない。
 そのあたりの魔術黎明期を記述するページには、異端審問だの、魔術士狩りだの、拷問・処刑具だのとおどろおどろしい絵図資料や単語が並んでる。魔術士にとってはそれ以前よりずっと生きにくい時代だっただろう。尊敬、畏敬の念を受けられる今の時代に生まれたことが幸運だって思い知らされる歴史の暗黒部分だ。
 時代が進み、魔術の体系確立がより深まって、魔術による恩恵も広まるにつれ、イヴァンは確固たる国の片鱗をのぞかせるようになる。居場所を追われた魔術士の保護、貧困層への仕事斡旋と土地貸与。主にはそんなものを協会と連携して国策として励行したおかげで、イヴァンには魔術師協会を頼った魔術士ばかりじゃなく、新天地を求める難民が流れ込んできた。そんな、虐げられた過去を持つ人たちが、今に繋がる国民の祖先の大多数なんだとか。

 一方、神の遺した奇跡って天下の宝刀を魔術師教会に否定された教会は、次第に魔術と魔術士を認めざるを得なくなる。ただしそれまでの絶対的な勢力を弱めても、古神再臨を待つって教義の根幹は揺るがなかった。
 未だに教会の力は大陸全土に広く根を下ろしていて、魔術を容認しながらも忌避する姿勢は崩さない。どんなに偉い聖職者の家系で実績があって敬虔な信者でも、魔術士であるって一点だけで、要職につけることは絶対ない。そのくせ教会じゃ解決の難しそうな魔術関連の面倒事は平気で「おまえらの領分だろ。なんとかしろ」って高圧的に押しつけてくるってんだから頭にくる。……いや、おれが直接押しつけられたわけでもなんでもないけど。知識としての事実に、だ。

 そんな現在に続く事情を本からの知識だけからとはいえ知ってたから、おれは恩人――そう呼べるだろう人を少なくとも教会の偉い人だとは考えられなかった。まあ、仮にそうだったとしても礼くらい言いたかったって思いが消えるわけじゃないけどさ。だって組織と個人はそれなりに別物だ。
 それでも、イムザが「そっか。ま、奇跡でも魔術でもどっちだっていいんだけどさ。お前が無事になったんなら」と、それ以上こだわる素振りを見せなかったことに安堵したんだから、完全に別物だって割り切れてるわけじゃないんだろうな。

 ……もう今日はいろんなことがありすぎて飽和状態だ。
 神父っぽい男の非似治癒魔術だけじゃない。侯爵子息サマの魔力譲渡だってわけわかんないもんの範疇だし、そういえばおれの養い親の魔族疑惑なんてもんもあったっけな。もう頭が追いつかない。

 とうとうおれは、それ以上の理解を投げた。わからないもんはわからない。そのうち時間ができた時にでも思い出して書きつけておくことにする。すっぱり割り切って、ぐちゃぐちゃになった頭の中身、「わからないもの」カテゴリに分類したものを隅に追いやり蓋をすることに成功した。切り替えは大事だ。

 隊長とジョエルの話はまだ終わる気配がない。
 戻ってきたときおれより具合悪そうな顔してて、詰め所に入るなり一人で奥に引っ込んでった侯爵子息サマと、たぶんその様子を見に行ったんだと思うハラルドも戻ってこない。
 まだ待たないとダメかと思うやいなや、特大の欠伸に襲われた。続けざまにこみ上げてきた第二波に伴われた鼻水をすすり上げてると、……横でがさりという音。「食う?」と差し出されたのは、白くて丸い手のひら大の物体。ほんのり甘い匂いの立つまんじゅうだ。
 食う、と受け取って、まだ温かさの残るまんじゅうにかぶりつく。中身は細切れの野菜と肉をとろりとした甘じょっぱい餡でまとめたものだった。濃いめの味付けがからっぽの胃にしみる。外側の、ふかふかの皮のほのかな甘みとの組み合わせも悪くない。
 イムザと二人して肉まんじゅうを腹におさめる間中、離れたデスクで書き物をしてた警備隊員が恨めしそうな顔でこっちを見ていた。