「私の顔に覚えはあるかな」

 感情の窺い知れない無表情。
 俺たちですら見ることの少ないそんな顔をフードの下から覗かせて、クロヴィスが同じく感情のこもらない棒読みで、丸腰のホーク・ディケンスに問いを放った。
 武器と自由を奪われて憮然に曲がっていた口端がみるみるうちに笑みに歪む。さながら、獲物を視界に捉えて歓喜にうち震える猛獣だ。涎を垂らさんばかりの捕食者の笑みが、顔を隠すフードを完全に取り払ったクロヴィスを見上げる。

「会いたかったぜぇ……? なぁ、誉れ高い王家の忠臣、エルディアード家の御曹司! この十年の間、夢にまで見た。てめぇの、そのすかした首から上を、斬りとばして叩き潰してやる瞬間を!」
「威勢のいい口の割には、毒殺などという陰湿な手口の用意に意欲的だったらしいね」

 不器量じゃあないが性根の悪さを惜しげもなく全面に表す凶悪顔を嫌そうに歪めて、ホークが聞こえよがしに舌打ちする。到底届かない位置にある得物を盗み見る視線が、隙あらばって意欲に燃えてまぁ……。
 阿呆みたいな破壊力を発揮しやがった得物は俺が渾身の力で蹴飛ばした着点の位置そのままに、ただの鉄塊として沈黙している。扱い手の態度は諦めとはほど遠いがな。こりゃ一瞬たりとも目ぇ離せねえ。牽制に、頸動脈に沿わせていた剣の腹にぐいと力を加えておく。ジョエルも同じ懸念を抱いたらしく、一度は鞘に納めた剣を抜き、さりげなくクロヴィスの横に立った。

「ホーク・ディケンス。若輩ながら貧民街の年少者を纏めあげ、乱立するならず者集団をも吸収し、エルシダで規模を大きくしていった犯罪組織のリーダー、だったね」

 君のことはよく覚えている。謳い上げるように言い終えてやっと浮かんだ表情らしい表情は、俺にはどこかぎこちなく見える。ホークにはさぞ余裕ぶって見えるんだろう。ただでさえ力入りまくってる目がクロヴィスを射殺しそうにまでなっている。あー、もう。頼むからやらかしてくれるなよ。
 本当ならこんな危険人物、丸腰でだってクロヴィスの前に出しておきたくない。せめて拘束でもしておきたいもんだが、果たしてこの筋肉ダルマに縄での拘束の意味があるのかと。あと、人数が足りない。下手に縛ろうとしようもんならそこに気を集中させてる隙をつかれて逃げられる可能性が跳ね上がる。
 あー……こういうときこそあいつ。あのクソガキ。魔術士の手が欲しいわ。潰れてるもんは仕方ないがさぁ。

 ジョエルが一人でホークを押し留めていたこの場所にたどり着く前、石壁を背に崩れ落ちていたあの子どもはどうしているだろうか。ホークの挙動に不審がないかつぶさに観察する意識の片隅で、そんなことを考える。

 あの子どもの介抱よりホークの確保を優先した。それが間違っているとは思わない。物事には優先順位というものがある。
 俺の立場はエルディアード侯爵家の私兵扱いだ。それでも、軍人してのあり方は士官学校でみっちり叩き込まれている。
 『命令に従順であれ』『どんな理不尽を申し渡されても意義を唱えずただ上に従え』。
 それは組織の歯車である以上、末端であればあるほど逆らってはいけない。許されないことだ。幸い俺はクロヴィスの傍仕え兼兄役で、例えクロヴィスが理不尽な命令を下しても、それに逆らう許しを侯爵様から頂いている。それは単なる組織の歯車以上として、自分の頭で善し悪しを考え行動してよいということ。

 あの子供を後回しだと判断づけたのは、その権利の上でだ。先輩だなどと偉い口しておきながら、優先すべきはこちらだと。

 また俺は後悔するだろうか。
 俺を薄情だと糾弾した、あのひととの終わりと同じく。頬を張られたときに引っかかった爪の、ひりついた痛みが、一瞬記憶を伝った疑似痛覚として体を駆けた気がした。

「私と変わらない年齢でよくもそれだけの統率力と集心力をと思ったものだ。同時に、その才能をどうして悪い方へ使ってしまうのかとも。……私はね、幼い頃からいろいろなことを、父に戒めとして言い聞かされて育ったのだよ。『目に見えた悪が絶対悪とは限らない』。教えのうちの一つだよ。私はその表面の意味だけを飲み込んで理解したつもりになっていた。戒めに限ったことではないね。私は勉学も教練も、おそらくは品行も。周囲の望む成果をそつなく出すことができてしまっていた。それゆえに物事の多くを軽んじていたんだろう。私の先を行く導き手であるべき側近――ジョエルとハラルドも、その頃の話を持ち出せば赤面するくらいの青二才だった。きっとこれまでの人生で一番鼻を高くしていたときだったろうね。君に出会ったのは」

 要領得ない顔で、しかし一応は聞いていたらしいホークが「ここにきて自慢話かよ……ありがたくて涙が出るね」と重低音で呻く。

「君を捕縛した十年前のあの一斉検挙は、私が初めて部隊を指揮した実戦だった。士官学生を司令官に立てるにはいくらかお膳立てが入っていたのだろうけれど、そんなことは関係がないくらい心が浮き立っていたのを覚えているよ」

 まったく答えになっていない過去をなぞる回想は、子どもに読んで聞かせる寝物語に聞こえなくもない。まったく心のこもらない淡泊な語り口がそれを裏切っているけども。

「検挙については話すことはないね。これ以上ないほど、よく知っているだろう?」

 当時の捕縛者筆頭の眉がはね上がったのを見て薄く口端だけで笑ったクロヴィスが、再び口を開く。

「事後処理を進める中、私はそこでようやく書類上に記されていた年少者の中に自力では生きていくのが難しい子どもが多く含まれていたことに気づいたよ。寄る辺のない彼らにとって君は紛うことなき英雄で、私はそれを害した悪者。身震いがしたね。
 この二人を連れて下町に下りた私を物陰から窺う目があった。幼い子どもだった。親の仇を見るというのはこういうものかという目をしていたよ。そして私は、父の戒めが『大義のために憎まれる覚悟』を示していたと知った。
 彼らを救うためにと教会や孤児院への打診を試みはしたけれど、それはエルシダの統治問題に繋がるからとはねのけられた。士官学生の実地指揮訓練を使っておきながらよく言ったものだと思うけれど、エルシダ領主の堅固な選民思想は有名だから。私が一時無理を通したところでなにも変わらないのは目に見えた。……まあ、言い訳だね。結局私はそれ以上の努力を怠った。彼らを社会的弱者として切り捨てたことに変わりはない。
 だからね。君が再びエルシダに現れたと聞いて、他力本願に期待したんだ。少年時代にあれだけのカリスマ性を持っていた君だ。大人になって、考え方を変えた君があの街でなにをするつもりなのだろうと、純粋にね、興味を抱いたんだ。君の成すことをこの目で見てみたいと思ってここへ来た。……私が勝手に抱いた期待だけれど、失望したよ。ホーク。君が昔と同じ志を持ち続けていたら、もっと違う未来を作れただろうに」

 かつりと靴音を響かせ、クロヴィスがゆっくりホークとの距離を詰める。
 ちょ、……っ! ちょっと待て。頼むからそれ以上近づくのやめろよおい……っ!
 引きつった表情だけで訴えてみたところでこの馬鹿が止まるわけもなく、ジョエルの短い制止も無視して地面に片膝をつく。
 凶悪な視線を正面から浴びてしばし、クロヴィスはふっと紫紺の瞳を細めて顔をほころばせた。

「私はね、もうすっかり誰かに憎まれることに慣れてしまった。むしろ君にそんな風に睨まれるとね、現を実感させてくれることに感謝すら覚える。私にそんな目を向けてくれるのは、夢の中の死者ばかりだから」
「そりゃあいい趣味だ。なんなら俺がそいつらの恨みも背負って百倍にして返してやるよ。それで夢見もよくならぁな」
「心配には及ばないよ。毎朝、気分は大方快適でね」
「……は。だろうな。戦場に出たからって、箱入り坊っちゃんが戦争の前線になんぞ出るわきゃねぇわ。なあ、実際よ。あんた部隊の後ろに隠れてただけでよ、人殺しなんてしたことねぇんだろ? クレメール戦でよ。夢に出てくる恨みがましい顔は、自分の命令ひとつが大勢の人間の命を奪ったっていう罪悪感が作り出した夢魔かなにかか? だとすりゃあ」

 ホークの喉がそれ以上言葉を継ぐのをやめる。
 邪魔をしたのは指だ。突き出た喉仏の下、鎖骨の上の最も柔らかい部分を、クロヴィスの人差し指が圧迫している。それほどの力は加えていない。それでも容易に呼吸を妨げ、恐怖を植え付けることのできる場所だ。後者はすでに俺の剣によって与えられているが、さて、こいつにとってどれほどのものだったか。

「首を、ね。確かにはねとばしたのだよ。ひと凪ぎに」

 とつり、と。クロヴィスが言う。

「それなのに頭を失った身体は、私めがけて剣を振り下ろしてきてね。意志などというもの、どう見ても奪われていたというのに。執念というのは時として生物の常識を凌駕する。とても、興味深い。――ああ、でも彼、すぐに前のめりに倒れて動かなくなってしまったのだけれどね。
 君の執念がどれほどのものか試してみるのも悪くない。彼と同じように落としてみようか? それとも、ここ」

 指が喉から心臓への道筋をなぞる。
 トン、と軽く突き立てられた場所は、心臓。分厚い胸板に守られた、しかしまったく無防備の。

「ひと突きにしてみる? 死に向かう刹那の猶予、私の命を諸共に引きずり込もうと足掻く様を見せてはくれないかな?」

 温度があるとすれば零下の笑み。
 言葉を失うホークを映した紫紺の瞳の輪郭を縁取る見覚えのある紅色を、俺はそのとき確かに見た。

 五年前――ウルスペディアとの最後の衝突の場所、クレメール戦線。そのときクロヴィスの紫紺を乗っ取ったのと同じ、鮮紅色を写し取ったかと見違えるような、紅の片鱗がそこにある。

 だめだ。
 呑まれてはいけない。それ以上に、呑まれさせてはいけない。俺の弟分の理性の上にあぐらをかこうとしている狂気を居座らせてなるものか。

「……頭冷やせ、クロウ。それを実行したとして誰も困りゃしないがな、お前が後悔するぞ。絶対に」

 俺の方が肝を冷やして、しかし努めて兄貴風を吹かせた忠告。

 聞き入れろ。
 頼むから、引いてくれ。これで引いてくれなければ、俺とジョエルじゃこいつを止める術がない。

 赤黒い血と脂にまみれ、それでもなお輝きを失わない黒い剣を引っ提げて、微笑さえ浮かべ次々に敵を屠っていく姿を、遠く、呆然と、俺たちは見ていた。
 敵方が称するところの『死神』が静止したのは、動く者が誰一人いなくなった戦場「跡」になってからだ。
 俺とジョエルの恐々とした呼びかけに緩慢に振り返ったあいつの、なにものも映さない、血そのものみたいな色をした、不気味な目。見た瞬間、二度とこいつに血を浴びせてはいけないのだと悟った。



『血臭、並びに戦場特有の空気はその人間の内に秘められた本質を浮き彫りにする。大まかに二分すると高揚と畏怖。高揚は勇猛を、畏怖は慎重を。誰しも必ずどちらかの相を持つが、どちらの場合が優位というものではない。過ぎた高揚は無謀な猛進となり、同様に過ぎた畏怖は恐慌となって自身の死を、ひいては戦いそのものの勝敗をも左右する。ゆえに戦場においてその制御は重要であり、初陣の生存率を引き上げるのは技能ではなく感情のコントロール、そして運であることを忘れてはならない。
 しかしながら、稀にそれらの性質が特に顕著に現れる人間が存在する。程度の差はあるが、凶暴な人格を得る代わりに本来の実力以上の力を発揮する、あるいは反対に臆病になり本来の力を出せなくなるものであり、常軌を逸した行動を伴う場合が多い。そして彼らは自らの意志でそれを制御することが困難である。後者の場合は残念だが剣を置くことを強く勧めよう。そして前者は俗に『狂戦士』と呼ばれ、敵味方関係なく恐れられる、決して英雄になり得ない種類の人間であるーー』



 士官学校の教本、心得の章と題された小節。ここ二、三年、士官学校の特別講師に呼ばれるせいですっかり暗記してしまった。まあ、教えるのは主に実技なんだがな。

 この表裏一体、どちらの相を持つかは状況に置かれてみないことにはわからない、と最後に注釈として記されている。
 確かにそうだった。普段軽口をとばして気の弱い輩をからかっているようなやつが尻込みして動けなくなるのを、滅多に口を開かない堅物が敵を倒して高笑いをあげるのを、俺は実際に見た。

 俺自身は高揚する性質。ジョエルは高揚を完全に理性で抑えることができる。ラトは「試験」での話になるが、どちらかといえば畏怖の側にいて、魔術と武術を併用できるだけの冷静さを得ている。

 だがクロヴィスはそれができない。
 噎せかえるくらいの血の、臓物の匂いに呑まれ、静かな狂気に冒される。あいつ自身が黒い刃になって敵と認定した者を欠片の慈悲もなく斬り倒していくのを、あいつ自身も、誰も、止められなかった。

 ホークはほとんど血を流していない。ここに来る前、あいつはラトのところに立ち寄ったんだろう。血にあてられたとすればきっとそこだ。それだけなら大丈夫だ。あの程度なら、まだ戻ってこられる。理性が打ち勝てる。

 すい、と流された視線に身が竦む。俺の存在なんてなんとも思ってない目。一瞬、ホークの首筋に当てていた剣を引いて身構えようとした自分がいた。
 硬直した俺の様子で察したのか、ジョエルが剣帯の留め金を外して鞘を低く構えたのが視界の端に見えた。もしもの時は昏倒させるつもりだ。このやばい状態のクロヴィス相手にそれが可能かって話だが、こいつが我に返ってホークはともかく俺たちの死体を目にしたときの精神状態を慮るとそれ以外の対処方法が思いつかない。

 クロヴィスが一歩、二歩とホークから離れ、目を閉じた。

「……後悔か。するね。うん、間違いない」

 自嘲気味に笑う。開かれた、決まりの悪そうな色を乗せた目は、紫紺。
 安堵にうなだれて座り込みたい気分だ。クロヴィスの後ろで、俺と完全にシンクロする表情を浮かべたジョエルが頭を抱えて息をついていた。

 本当、勘弁してほしいわー……。完全に想定外。あんな程度の血にあてられたくらいで。普通にあれくらいの流血沙汰、士官学校の訓練で何度も遭遇してたのによ。それともなんだ。あれ以降、クロヴィス自身も俺らも徹底的なまでに血なまぐささを遠ざけたせいで抵抗が弱まったとか……そういうのか? いやでも最初ここ来たとき、あいつ雰囲気装ってただけで普通だったぞ? ……わけわからんわ!

 もうホークのことなんざどうでもいい。さっさと終わらせてラトのやつを回収して、酒でも飲みながらクロヴィスを問いつめたい。
 その一心で、ホークの処遇を切り出そうとしたんだ。ざり、と地面の鳴る音が聞こえるまで。



「その程度の濃度とはいえ、一度冒された穢れに打ち勝てるの? 強い意志をお持ちだ。賞賛に値するよ」



 全員の視線が路地の先、声のする方へと集中した。

 一組の男女だった。影の中から姿を現したのは。

 声の主は男の方。その、身にまとう丈の長いローブに目がいった。教会の関係者がよく身につける類のものだ。細かな刺繍が所々に施されており、役職の高さを思わせる。服と一緒に揺れる髪は目に優しい蜂蜜色。穏やかな笑みを刻む中性的な顔立ちといい、容姿と雰囲気だけで信者からありがたがられそうな風貌の、聖職者のなりをした小柄な青年。

 誰だ。考えにくいが第三者か。それとも――

 その答えをくれたのは他でもない、しばらくの沈黙を守っていたホークだ。

「遅ぇんだよ! 来るならもっと早くきやがれ!」
「あはは。本当に血気盛んだね。鬱陶しい。ねぇきみ? 僕を助けると思って、そこのうるさいのからちょぉっと離れてくれるかな。ご主人様とそれ、どっちが大事かなんて……考えなくてもわかるよね?」

 男がふわりと綺麗に笑んだ。
 これでホークと仲間であることは決定的だ。男は、それが叶えられることがさも当然と信じて疑わない顔で俺をじっと見つめてくる。

 介入者らとホークを結ぶ線上から、ジョエルはとっくにクロヴィスを背に退避させている。こいつが俺らに社会的危害を加えてこられるだけの権力を持ってるんだかは知らないが、無言で控えている侍女のような服装の少女も含め、今この場でどうにかされる直接的な力を持っているように見えるかというと、否だ。

 だというのに、この胸騒ぎはなんだ。じとりと滲んでくる冷や汗はなんだ。
 注がれる視線に息が詰まる。この男の意に添わない行動を選択すれば、取り返しのつかないことが起こる――そんな圧迫感に襲われる。

 クロヴィスを見る。小さく頷いたのを確認して、俺はホークから剣を引いた。刀身を鞘には納めずにゆっくりクロヴィスたちの方へ後ずさる。

 聞き分けのいい子で助かるよ、男は相変わらず、もはや気味の悪さを覚える笑顔のままそう言ってくすりと笑った。

「それじゃえぇと……ルージュ、なんだっけねアレの名前。どうでもいいから忘れちゃった」
「ホークです。ルタ様が記憶に留められる必要はないかと考えますが」
「それもそうだね」

 答えたのは男の後ろにひっそりと付き従う影のような、それでいて鮮烈な赤髪を持つ無表情の少女。細い声を、読みたくないのに仕方なく読ませられた教本の音読みたいに棒にして。
 それにしても仲間であろうホークに対する言いようがひどい。記憶に留める必要がないと言われたプライドの高い張本人は、我慢がならないだろうに、こめかみに青筋を立てながらもぐっと堪えている。助けられた決まりの悪さからだろうな。

 鼻を鳴らし、億劫そうに立ち上がったホークが二人の仲間に近づいていく。
 それを興味の薄そうな目で見ていたルタと呼ばれた男は不意に、ホークに向けて、すいと手を差し出した。男にしては細い、女性めいた綺麗な手を。

「それじゃあさっさと始めようか。僕も暇じゃあないからね」

 詠いあげるように言い放った男の差し出した手が淡く発光した。

 こいつ、魔術士!? なんで教会のやつが――! 思う前に身構える。身構えたところで今の俺たちに魔術に対抗する術はない。だがクロヴィスが身を隠すだけの時間を稼げれば十分だ。ホークが邪魔だが、武器も持たない万全じゃないホークを排除して魔術士をしとめるくらいこなせなければ、次期侯爵の護衛なんぞ名乗れない――

「……な、……」

 どしゅ、という音。
 喉が肺から全ての空気を絞り出す音。
 やがて、ぴたん、ぱたり、と粘りのある液体が地面に落ちる、音。

 目の前で起こった一連の事柄が信じられない。
 まさか夢かと現実逃避が頭に浮かぶ。

「か……ふ、ぐ、……っ」

 しかし現実だ。
 ホークの身体から、やつに流れる血によって真紅をまとった槍の切っ先が生えている。紛れもない、事実。

「お仕置きの時間だ。見苦しい筋肉塊くん」

 男が槍の柄をぐいとひねった。野太い絶叫が響く。
 それを耳にしても穏やかな笑みを絶やさない神父姿の男。まったく顔色の変わらない少女。

 なんだ、これは。

 俺もジョエルも、クロヴィスも、一歩も動けなかった。身じろぎもできず、ただその異様な光景を目に焼きつける。

「て、め……」
「あ、すごい。まだ喋ろうとする余裕あるの? お仕置きだから、ひと息にっていうのもつまらないと思って致命傷は外してあげたんだけど……きみの声、本当耳障りだよね。失敗したよ。先に喉でも潰しておくんだった」
「うら、ぎっ、」
「えぇ? いやだな、言いがかりはよしてよ。ね、よく考えてごらん? 裏切りっていう状況は、一度でも信頼を預けた者同士の間にしか、成立しないよね? きみと僕、お互いいつ信頼しあったっていうの? ふふ。まったく、おかしなことを言うんだね」

 あの日見たクロヴィスよりも濃く深い、血を練り固めたような真紅。
 一対のそれらを細めて、ローブの男は一際おかしそうな笑い声をあげた。