魔法使いに恋をした村娘。
 娘は毎日のように森に足を運び、魔法使いの小屋を訪れた。


 ――どうして昨日村に来たとき、私に会いにきてくれなかったの?

 ――お父さんに怒られちゃったの。迷惑だから、むやみにあなたのところに行っちゃダメだって。迷惑なんて思ってないわよね?

 ――私、決めたの。結婚しましょ?


 やがて、魔法使いはともにやってきた薬師と、もうひとりの連れと共に消えてしまった。
 自分たちは最初からいなかった。ここにはなにもなかったのだとでも言うように、その痕跡を小屋ごと消して。




森の魔法使い 8






「逗留と営業の許可、ですか。わざわざそんなことを言わずとも、薬師さまが留まってくれるなど願ってもないことです」

 壮年の村長は、紹介された薬師が予想以上に若い娘だったことに目を丸くしたが、村で起こった原因不明の病が何であるかをつきとめた人物らしいとあって、すぐに愛想の良い顔をした。

 辺境のラムロット村で医者にかかろうとすれば、馬車を2日は走らせなければならない。
 薬の知識を持った産婆がひとり、いるにはいるが、その知識は微々たるものだ。そこに思いがけず飛び込んできてくれた貴重な人材を、どうして逃す必要があろうか。

「性急ですが、あの病は本当にうつるものでも害が残るものでもなく、これまでの者と同じように一日で熱が引くのでしょうな?」

 村人のほとんどは高熱で倒れた者全員の熱が一日で引いたことで安堵してしまっている。
 しかし老人を始めとする迷信深い者たちが、魔法使いの祟りだ、帰らずの森の呪いが村を飲み込もうとしているなどと口走っており、それを信じる者も少なくない。
 彼はそんなことは世迷言だとまるで信じていなかったが、この不可思議な病がこれから起こる大事の前触れではないかという恐れを抱いてはいたのだ。

「憂慮する気持ちはわかります。でも、ご安心くださいね。本当にファーナさんにお話した通りです。断言できます」

 もしこの病そのものが原因で村に大事が起きた時は、全ての原因を私に被せて頂いても構いませんよ。娘は少しの躊躇いもなく、にこりと微笑みながら言った。
 それだけのことで、村長の中でわだかまっていた不安というしこりは取り除かれたのだった。

「では今日は準備がありますので、熱を出している方々を見て回るに留めますね。明日からたびたび村にお邪魔させていただきます」
「? たびたび……とは?」
「森の中に小屋を見つけましたので。そこを使わせてもらうつもりです」
「は?!!」

 その言葉に村長は驚愕し、一笑に伏した。

「悪い冗談を。あの森は帰らずの森といって、入った者は帰ってこられない魔の森ですよ」
「あぁ、そういえばまだ話していませんでしたね。これは失礼しました。私、魔術師に――魔法使いに言づけを言いつかってきたんですよ」
「……は?」

 村長は今度こそ、口をあんぐりと開けた。

「ここに来るまでの間、たまたま旅の魔法使いと道行きが一緒でして。それであの人、森によくない魔術がかけられているからって解いていったんです。この村はイヴァンから遠いですからね、今まで気づかれなかったのは無理がないと言っていました。その人は道を急ぐからと途中で別れたので、特に目的地もなかった私がここへ来たというわけです」

 もちろん嘘。
 ただし経緯が嘘というだけで、村にもたらされる結果は同じ。
 しかし原因の排除はこれからなのだ。そのために嘘はまだ、足りない。

「でも解除の効果が完全になるまでには時間がかかるそうで、ちょうど三日後くらい――明日には解けると言っていました。あ、私は護符を貰ったので迷わないんですよ」

 こうでも言っておけば今日のところは森に入る愚か者は出ないだろう。

「それで、途中で使っていなさそうな小屋を見つけたので、腰を落ち着けようと思っていたところにディックに会いまして。あれ、もしかしてディックが帰らずの森とやらに入ったことは聞いていませんでした?」
「き、聞いてはいましたが、無事帰ってきたと聞いたので。違う場で迷ったのだとばかり」
「そうですか。じゃあ、後できゅうっと絞めておいてください。厳重に。あの子はしっかり帰らずの森で迷子になっていましたからね」

 関わらずにすむのなら、関わるつもりはなかった。こっそりと小屋に身を潜め、だれとも交流を持たなくともしばらくは生きてゆけるのだから。
 しかし彼女は関わった。

 どうせ関わるのなら中途半端ではなくて、それなりに真剣に関わろうと。それは彼女が決めた線の引き方だったから。







 遠くから走ってくる少年を見つけ、リィンの表情がふわと緩められる。村長に対していたときの作ったものとは異なる、自然な表情で。

「リィン姉ちゃん、帰るの?」

 ディックの頭で存在を主張する大きなコブを指さしながら、くつくつと笑う。

「お父さんに怒られた?」
「特大のげんこつ食らったんだよねー。容赦? なにソレーってカンジの」

 一部始終を目撃していたらしいセレンに情報を漏らされたディックは恨めしそうに彼を見上げてから、面白くなさそうにぶすりと言う。

「……すっげ怒られた」
「たぶんそれだけじゃ済まないから覚悟なさいな」
「へ、なに?」

 さらっと流れるような小さな声はディックに届かなかったようだ。
 近く思い知るのだ、今教える必要はない。それも親切心と、リィンに少年の望む情報を与える気はなかった。第一、教えてしまってはつまらない。

「なんだよ。それよりさ、もう帰るんだよね?」
「そうね。もうひとりを小屋に残してきてしまっているし、大事なお仕事が残っているのよ」
「あのさ、……その前に、ちょっとだけいい?」
「契約のこと?」
「そうだよ。あれってどーなんの? リィン姉ちゃんが母さんを治したわけじゃないし」
「契約不履行」
「なにそれ」

 もうディックは当たり前のように訊いてくる。それだけ心を許したという証なのだろう。

「なかったことになる、ってこと」

 元々、リィンは少年になにかを求めて契約を結んだわけではない。
 対価もなしに願いが叶うなどと考えさせてはならない。そんな考えからの、契約。

「なんにもなしでいいの?」

 きょとんとしたディックに、リィンはにっこりと笑ってただ一言。




「お菓子代」




 思ってもよらない言葉だったのだろう。
 先ほどの村長とそっくり同じ呆けた顔になっている。

「…………へ?」
「好きになさいとは言ったけれど、『ただで』とは言わなかったわよねぇ?」

 ディックは言葉が見つからないのか、何かを言おうとして魚のように口をぱくぱくさせた。

「といっても金銭での要求するのはつまらないし。体で返してもらおうかな。お母さんにも馬車馬のようにこき使っていいと言われているから」

 お礼としてディックを使うことを、ファーナは実にあっさりと了承してくれた。そんなことでいいんですか、なんなら下の子どももつけましょうかと追加提案までしてきた。

「覚悟なさいね?」

 ディックの顔が見る間に色を変え――




「そ、そんなんサギだぁーーっ!!!」




 本日二度目の悲痛な叫びは尾を引いて、きっと村じゅうに響き渡った。




   2009.6.13  (改訂)2010.2.28