ねぇ、知ってた?
 おれが見つけた魔法使い。

 ばあちゃん、魔法使いはホントにいたよ。
 横暴で人使いが荒くて言いわけなんか許さない、でも、とっても優しい魔法使い。




紅き魔族 6






 今日、村にきたリィン姉ちゃんはいつもとなにか違ってた。
 何が違うっていわれてもわからない。でも違ったんだ。

 それに、見慣れたセレンの他にもう一人。髪も服も真っ黒い初めて見る男の人。
 おれから見ればセレンだって首が痛くなるくらい背が高いけど、そいつはセレンより更に頭半分は大きかった。

 セレンを怖いって思ったことないよ。他の大人と違っておれたちと本気で遊んでくれるし、ちょっと意地悪だけどいい人だって知ってるから。

 でもこの人は怖い。
 目が合ったとき、背筋がすっと寒くなったんだ。そんなこと初めてだった。どうしていいかわかんなかった。だから急いで目をそらした。本当は逃げてしまいたかったけど、友達が近くにいたから我慢した。あいつらに弱虫だって思われるのは絶対いやだ。

 おれが勝手に頭の中でじたばたしてるうちにリィン姉ちゃんたちは荷物を広げて、待ってた人たちに囲まれていた。
 いつもの光景だ。いつもと違うなんて気のせいだって、ちょっと安心した。

 リィン姉ちゃんのこと、すごく助かるってみんな言ってる。
 それを聞くたび、自分のことでもないのに嬉しくなる。こういうのを「誇らしい」っていうんだって先生に習った。

 誇らしい。

 その言葉、格好よくてなんか好きだ。

 この前来た時はオレが学校の日で手伝えなかった。だから今日は手伝おう。そう思った。
 ふとあの怖い人に近づかなきゃいけないことを考えたけど、そのときにはもうあの黒い人はどこにも見当たらなくなってた。ほっとした。

 おはよう、リィン姉ちゃん。そう話しかけたら、挨拶と一緒にいつもの笑顔が返ってくる。

「ほら、そんなところにいないで早く手伝いなさい」

 これってちょっとした特権だ。たぶんこれも、誇らしいっていうんだと思う。
 だって、おれリィン姉ちゃんのこと嫌いじゃないもん。人使い荒いけど。……ちょっと違うかも。ハンパなく人使い荒いけど。




 夕方が来るのは早い。
 今日もセレンはへらへら笑ってるだけで何にもしなかった。もちろん片づけにも手を出さない。この人、本当にリィン姉ちゃんの助手なんだろうか。すごい疑問なんだけど。

 オレはこのまんま、こんな日々が続いていくんだろうって思ってた。なんの疑問も持たないで。

 今度はいつ行けばいい?

 オレがそう聞こうとして口を開きかけたとき、向こうから歩いてくる村長を見て、あれって思った。隣には、あの真っ黒い人がいる。

 何だろう。村長、すごく困った顔してる。おれはどうしていいのかわかんないまま、村長とリィン姉ちゃんの話を聞いていた。

「この方から理由は十分伺いましたが、私はあなたの口から聞きたい。……本当にこの村を離れるとおっしゃいますか」
「ええ」
「しかも今日とは」
「相手方の都合もあるんですよ。急遽用事ができたので約束を取りつけたのはいいんですけど、どうにも気が短い相手で。待たせたらこっちの都合なんてばっさり無視されてしまうんです。そうしたら次にいつ捕まるかどうか」
「それにしても、いくらなんでも急すぎはありませんか。村の者も混乱します」
「お言葉ですが。私は営業許可をいただいただけ。逗留する気はあっても、永住する気はもとよりないとは最初に申し上げましたはず。今まで私がいなくても大きな問題はなかったのでしょう? でしたら、いついなくなるかわからないような者に頼り切ることこそ問題かと」

 目の前で話されていることの意味がわからなかった。
 わかったのは最初の方の言葉だけ。『今日。この村を離れる』っていう言葉だけ。

 なんで。なんで? そんなの聞いてないよ。

 頭の中がまっしろだ。なんで、って言葉だけがぐるぐる回ってる。

「それに、本当に勝手な言い分ですが二度とこないというわけではありません。要件が済んだらまた、あの小屋に戻ろうと考えています。勝手なこととは思いますが、その時はまたよろしくお願いします」

 村長はまだ食い下がって何か言っていたけれど、リィン姉ちゃんに口で敵うわけない。それはおれの方がよくわかってる。

 結局、村長はすっごい苦い顔して一人で戻ってった。


「なんで?」


 ぐちゃぐちゃの頭が勝手に選んだ言葉はそんなものだった。
 間抜けだ。当たり前みたいにするっと出てきたんだから仕方ないけど。

「聞いていたでしょう、ディッくん。急に用事ができちゃってね」
「知らないそんなの。知らないよ。どうだっていいよ」

 自分でも、おれじゃないみたいな声だって思った。
 めちゃくちゃに暴れてる感情が、今にもオレを破って飛び出しそうな感じがする。お腹の奥がきゅうっとする感じ。

 わかってる。
 おれって、すごい理屈の通じない我が侭なガキだ。
 姉ちゃん。ケンカばっかりしてるけど、姉ちゃんはおれのことホントによくわかってる。いつも言ってること正しかったんだね。
 次からは少しは家のこと手伝うよ。少しは。

「なんでオレに黙ってたの」

 リィン姉ちゃんは口も回るけど、何にも言わずにおれの目を覗きこんでくることも多い。で、にこって笑うんだ。おれはそれをされるたび、実はちょっとどきどきしてた。
 今だってそうだ。ちょっと困ったみたいな顔だったけど。

 でも、今のオレのどきどきはいつもと違うよ。
 話をする時は人の目を見ろってよく父さんに言われる。先生も言う。目をそらすのは失礼だって。
 でも今、リィン姉ちゃんの目は見れないよ。
 紫色の不思議な色の目。オレの全部を見透かされてそうで、怖いんだ。

「なんで、話してくれなかったの」

 口に出してわかった。
 おれは、急にリィン姉ちゃんがいなくなるのも嫌だけど。

 そのことを教えてもらえなかったことの方が、ずっとずっと嫌だったんだ。

 リィン姉ちゃんの傍にいられて、自分は特別だって勝手に思ってた。
 でも違うんだよね。リィン姉ちゃんにとっては、ただの小さな村の小さな子ども。
 子どもじゃなかったらリィン姉ちゃんと一緒に旅にだって出られたのかな。もしかしたら、一緒に行かないかって誘ってもらえたのかな。

 わかんないな。
 悔しいのか悲しいのか、わかんないよ。


「なんで…………っう……言って、くれなかったん、だよぉっ」


 やだ。もうやだ、オレ、リィン姉ちゃんの前で泣いてばっかだ。
 すごく悔しくて恥ずかしかったけど、どうしようもないよ。だって止まんない。

 影がさして、頭をくしゃくしゃってかき回される。

 ちょっと……やめてほしい。
 子ども扱いもやだけど、いやオレ子どもだけど、よけいに止まんなくなるからやめてほしい。また今、ぶわって涙あふれてきたもん。

「ごめんね」

 謝るのもやめてほしい。悪いって思ってないくせに謝られたって嬉しくない。
 ……違うかも。
 リィン姉ちゃんが一度決めたことを変えるわけないってわかっちゃうから、嫌なのかもしれない。

 わかんない。わかんないことばっかだ。


「帰る場所に……なれば、いい」


 聞いたことのない声が降ってきた。驚いて声のする方を向く。真っ黒い影。

「おまえが、帰る場所になれば、いい」

 ぽつり、ぽつりと言葉を切る話し方、聞き取りにくいよ。声低いし。おまけに眠くて不機嫌っぽい感じで顔めっちゃ怖いよ。
 ……こいつ、村長にもこんな調子で話してたんだろうか。もしそうだったら、すごい時間かかっただろうな。

「約束の要として」

 言ってる意味はわからなかったけど、顔と雰囲気ほど怖い人じゃないんじゃないか、ってことはわかった気がする。

「そうね。そうしましょうか」

 リィン姉ちゃんがオレの頭に手をのせたまま、にこって笑った。
 その顔、やっぱり好きだなって思った。

「契約は、もうおしまい。これは約束」

 百面相をしてるオレのこと、リィン姉ちゃんはきっと気にしてないんだろうなぁと思うと、少しだけ寂しかった。
 金色の髪がオレンジ色の太陽に透けてきらきら光っている。綺麗だな。

「いつになるかはちょっとわからないけど、必ずここに帰ってくる」
「……約束?」
「うん。約束」
「じゃあ、それでいい」

 約束。
 やくそくだよ。おれは今までちゃんと言うこときいたよ。だから、リィン姉ちゃんも守ってよ。







 そうしてリィン姉ちゃんたちは、夕日に溶けるようにそっといなくなったんだ。







 ねぇ、知ってる?
 おれが見つけた魔法使い。

 魔法使いはホントの魔法は使わなかったけど。


 おれに、約束って魔法を残してくれたんだ。


 また会おうね。
 待ってる。いつまでだって、待ってるよ。




   2009.7.8  (改訂)2010.2.26