目に痛い青空。容赦なく吹きつける潮風。
「そして港のすみっこでひとり寂しく黄昏れるぼく……」
港はそれなりに賑わっている。
しかし皆、荷の運搬をしていたり、ガラの悪い人たちが影でささやき合ったりと自分のことに忙しく、構ってくれる者はだれもいない。暇を持て余しているのは彼だけだった。
「あうぅ……地べたに根が生えそうぅ……」
がっくりと肩をおとす彼の赤い瞳が、穏やかに揺らめいて光を反射する水面を見つめ――伏せられた。
潮騒の唄 1
手にしては戻し、また手にしては戻しを繰り返すこと数十分。
それは彼が待ちぼうけを喰らっている時間と等しく結ばれていた。
こっそり外から店の中を窺ってみると、そのひとは選び抜いたらしい品物をようやく店員の所まで持っていったところだった。だがそれで速やかに事が進むなどと彼は思わない。そのような、愚なことは。
「4000シルグは高いわよねぇ?」
彼の予想と違わず、それはそれは殺人的な笑顔で値切り交渉の始まりは宣言される。だが店員も負けてはいない。営業スマイルで立ち向かう。
「お客さま。申し上げにくいのですが、そちらの品はそれ以上は……」
「でもここ、ほら。ちょっと縫製がほつれてるし。それに特価品ということは売れ残っているのでしょう? なら少ーし安くしてでも売れてしまった方がいいのではない? というわけで2000」
半値は決して少しではないだろう。
いくらでくるかと身構えていた店員は挑戦的な額を言い渡され、今度は頬を引きつらせた。
「今ここで着て行っちゃうから包装代もかからないし」
「……3500ではいかがでしょう」
「2000」
もはや言いがかりの域ではなかろうか。彼でもそう思うのだから、店員はたまったものではないだろう。
片方が全く譲らない攻防の末、購入したばかりのジャケットを着て外に出てきたリィンは実に晴れやかだった。言い値で落とせたに違いない。
「やっと落ち着いたー」
ラスティとの交戦時に使いものにならなくして以来、新調の機会を失っていたジャケットだ。肩を上げ下げして感覚を懐かしんでいる彼女に言うともなしに、彼はぼそりと呟いた。
「金に、困っているわけでも」
「値切りというのは楽しむためにするものよ?」
ないのに。と続く言葉はさらりと遮られる。
彼――ファルはそれ以上の言及をやめて中身の詰まりに詰まった紙袋を抱え直し、何事もなかったかのようにすたすたと歩き出してしまったリィンを追った。
大陸の片隅に位置する港町アスタルは、交易地としてさして重要な港ではない。
港もそれほどの深さも大きさもなく、着けられるのは船底の浅い中型の船がせいぜいだった。
近郊にはもっと利便性の高い港町があるので、多くの船はそちらへと向かう。そちらは当然、船の審査も厳しくなるが、町側からしてみれば安全性を求める上で当然の措置だろう。国から発行された入港証を持たない船は港に入ることもできず、表立った密入国を防ぐため、客船に乗るにも身分を証明するものが必要となる。
そのため入港審査がないに等しいアスタルに集まる船は、国家からの締め出しをくらった、少し以上の後ろ暗さを持つもので占められている。
違法な品、そして圧倒的割合でそれを扱う海賊が集う町。
もっともそれは裏事情であり、安全は保証しない代わりに、身分証明など持たない大方の一般人に船旅を提供する業者も多くいる。
大衆の認識でこの町は、旅人の交流地で中継地点なのだから。
「まったく、どうしたものかな」
それなりに賑わう大通りを、周囲から浮かない程度にゆったりと歩きながらリィンが独り言ちた。
ラムロット村では何かと目立っていた彼女だが、アスタルでは雑踏に紛れて悪目立ちするほどではない。それでも彼女は、通りすがる者の何人もが思わず振り返るほどには人目を引いている。
今も声を掛けようと若い男が一人近づいてきたところだが、斜め後ろを歩く黒ずくめの男のよろしくない眼力にあてられ、視線と共に方向を逸らして人の流れの中に消えていった。
「やっぱりレナードとは連絡つかないの?」
「……反応が、絶たれています。あの村にいる時までは、正常に……繋がっていたのですが」
「まぁこの町でおち合うことまではお互いの理解のうちにあるし、まだ来てないみたいだから原始的にセレンに見張ってもらっているし、いいんだけれど」
「…………あの」
普段は自分から話しかけることなどほぼ皆無のファルが、遠慮深げに口を開いた。どうしても、それだけは言っておく必要があったのだ。
「見張らせる、必要……ないのでは」
自分たちが待っている者は目立つ。いろいろな意味で目立つ。
だからこの町にいる限り、やって来れば探さずともわかるのに……と。
「うん。私もそう思って」
珍しく真面目な顔になったリィンは軽く流した。
「でもねぇ、思ったのはセレンを港に行かせた後だったから。あの子も疑問に思ってないみたいだったし、まぁいいかなって」
「……呼びますか?」
「んー、荷物持ちはファルだけで十分だから……あ、待った。待ってて」
一度通り過ぎた店に目を止めたリィンがおもむろにふらっと引き返し、金色の尻尾がドアの向こうに消えてしまう。
あまり意味なく待ちぼうけを食わされた相棒を少しだけ哀れに思い、彼は壁に寄り掛かって目を閉じた。知らせてやろうかという考えが一瞬彼の頭をよぎったが、別にここに来ても港にいても大して変わるまい、と瞬時に打ち消す。
リィンがドアに消えた店の看板には、『書店』の文字。
また荷物重量が増える、考えて、ファルは肩を落とした。