そろそろ戻ってきていてよいはずのセレンの姿が見当たらない。
宿の一室に戻ったファルは相棒の姿を探し、眉を寄せた。
もしや未だに港で待ちぼうけているのではという憶測と、鮮明な映像が彼の頭をよぎる。それはそれでまだ気づかないのかという呆れを抱くのも確かだった。
あれは余計なことにばかり気を回す反動か、普通気づくだろうというところが抜けている――彼は相棒にそんな批評を下した。
夜闇は刻々と色を濃くしていたが、相手はもう、とうの昔に子ども時代を終えている。彼が帰りの遅さを心配して探しに行くという時期は過ぎて久しい。心配があるとすれば厄介事に首を突っ込んではいないかということだ。彼の相棒は本人の関与の有無にかかわらず、トラブルを引き寄せることが多々あった。
夕方部屋を出た時には開け放っていったはずのカーテンが閉め切られている。
彼が不審に思い、もしや……、と注意を向けると――青色のカーテンがもぞりと奇妙な動きを見せ。
「……ひどいよ…………ファルくん……………………」
カーテンは、這いずるような呻きを発した。
潮騒の唄 2
カーテンの裾に包まって顔だけを出す、という普通の大人であればまずやらない行動を見せてくれた相棒に、ファルは全身の力が吸い取られるのを感じた。言葉も出ない。
「ひどいよねぇ…………?」
セレンは恨みがましい声音でもう一度繰り返すと、じわりと赤い瞳を潤ませた。
「なぁんで教えてくれなかったのぉー…………? ぼく、すっごい寂しかったんですけど……」
相手にしない、という選択肢はすでにない。セレンを見つけてしまった時点でそんなものは消えている。駄々をこねてぐずるセレンをなだめるのは彼の義務であり、権利でもあったから。
ファルは小さく息をついてソファに腰掛ける。
彼の知らない間にリィンにからかわれたのは明白だった。どちらが悪いかと問われれば――まぁ普通に考えて、どちらが悪いという話ではない。笑い話で終わるレベルだ。だが残念なことに、セレンにとっては笑い話で終わることではなかったらしかった。
「……知らせなくともいい、と、言われた」
「それはリィン様にも言われたよっ」
ファルは決して言葉を畳みかけることはしない。しないし、できない。ただ事実のみを言う。
「おまえも、気づかなかったのだろう?」
「そりゃあそうだけどぉ……地べたと親交深めながら延々と待ってたっていうのに、結局それまったく意味ないってひどくないっ?」
機嫌を直せとも、せめてそこから出て来いとも彼は言わない。言っても素直に従うことはないし、むしろますます意固地にさせる。だから無駄というものだ。
子どもは苦手だった。
なにを言っても、なにをしても泣きやまない。
どうしたものかととりあえず声をかけただけで、音声と形相が余計に盛大になるばかり。
彼以外のふたりが簡単に子どもを手なずけてしまうので、そういう場面で彼が必要性とされることはない。それでも、直面せざるを得ない状況が起こることもあったのだ。
自分はそんなに怖いだろうかと、以前鏡を睨みつけてみたことがある。
それを運悪くセレンに見つかり腹を抱えて大笑いされたのは、そう最近のことではない。
『わ、笑う練習してるのかと思ったのに、睨んでちゃ逆効果でしょぅー』
……セレンにちょっとした殺意を抱くのは、割と彼の日常だ。
ファルは慰めの言葉を知らない。安らぎを誘う要素も持たない。
だから彼に出来るのは、事実を事実として伝えることだけ。そうやって自分を見つめさせることだけ。
彼はそうやって、セレンを育ててきた。
「そりゃあさ、馬鹿正直に『待て』に従ってた疑問にも思わなかったぼくもぼくだけどさぁっ」
静電気ですごいことになっている頭をさらにぐしゃぐしゃとさせながら言い募る。
「いーよもう、ぼくはどーーせただの治癒魔術要因だもん。それもレナードには全っ然及ばないもん。別にいてもいなくても大して変わらないんでしょー? ぼくがいなくなってから後悔しても遅いんだからっ。お茶入れてお菓子作るのがいなくなってから困っちゃえばいいんだよぅっ」
鼻をすすっていじけた姿も物言いも、完全に子どものものだった。
体だけが意図せず大きくなってしまったような子ども。
セレンがこのようになってしまったのは自分にもリィン様にも問題があったのだろう――彼はそんな、何度目かもわからない後悔に似た思いを噛みしめた。
「……少しは、気が晴れたか」
「…………うん」
当たりに当たってすっきりしたに違いない。まだふくれているが、先ほどよりはよほどましな顔になっている。
「こっちは、荷物持ちだった」
カーテンに包まったままではあったが、セレンがようやく、いつものへにゃんとした力の抜ける顔を見せた。
「うわ。それもやだなぁー。リィン様、買い物すっごい長いんだもんー」
それでも、一緒に来たかったのだ。
虚勢をはっても真意が透けていると、セレンだってわかっているのだ。それでも軽口をやめないのは性というものだろう。
余計なことは頼まなくとも言うくせに、肝心な吐き出さなければならない感情を溜めこんでしまう。それはもう定着してしまったどうしようもない性格だ。
だからこうして、たまにガス抜きをしていればよい。それですむのならよい。
子ども以上に子どもらしい、放っておけない弟分なのだから。
「ねぇファルくん」
呼びながら、セレンがやっとカーテンから這い出てくる。うわーばちばちするー、と顔をしかめて髪を撫でつけて。
「レナードさぁ、どうしちゃったんだろうねぇー」
答えはないと知りながらの問いに、ファルはゆるりと頭を振った。
今はわけあってある離れているけれど、この世界で3人だけの仲間。なぜか連絡が取れなくなってしまった、ファルとセレンの弟分。
心配ではある。だが心配するだけでは何の解決にもならないことを知っている。
「この町でおち合おうって連絡とってから一月も経ってないのに。なにかあって来れなくなったんなら普通連絡よこすよねぇ。このまま、ただ待ってるだけじゃホントに意味ないんじゃないかって思うんだけどー」
喋り方は実にのんびりしているくせに、セレンは待つことが苦手だ。
つまり早くも待ちくたびれてしまった、なんか行動起こすべきじゃないかと言いたいらしい相棒に、ファルは伝えるべきことがある。
忘れていたわけではない。タイミングがなかっただけだ。
「海の一族の船が、ここに向かっているという、情報を」
「ソレ先に言おうよぉ! ちょっとファルくん、ぼくの心配返してー!」
先ほどリィン様が情報屋から買って――と最後まで言い終わる前にばしっと軽いつっこみが入る。
――これでようやく元に戻ったか。
彼はセレンに気づかれないよう少しだけ顔を背ける。その口元は、微かではあるが笑みの形に緩められていた。