メルヴィーナは探していた。

 他のなにからも目を逸らして、探しているものがあった。
 そうすることが彼女にできる唯一だと。それ以外に心を向けることは裏切りだと、信じていたから。

 結った髪に銀細工の飾りをあしらい、風にふわりと裾を揺らす少女が二人、メルヴィーナの横を通り過ぎた。少女たちがメルヴィーナを気に留めることはない。気に留めたとしても、関わりあいにはなりたくないと大慌てで視線を逸らしたことだろう。
 少女たちは無意識下で、彼女のことを自分たちと同じ世界に身を置く種類の人間ではないと線を引いたのだ。

 手入れの行き届いていない伸ばしかけのような短髪も、機能性を追及した服装も。
 メルヴィーナのそれは、流れては消えてゆく、ひとところには留まらない者。身に纏う空気も、そこそこ恵まれた町育ちの普通の娘であれば持ち得ないものだ。





 メルヴィーナは探していた。

 店先を、路地を、雑踏をめぐっては人の波に目を光らせ、探していた。
 それが彼女のここ3日間の日課。ため息をついて宿へと退散するのも、また日課だった。


――やはりもう、この町から去ってしまったのだろうか。


 彼女の中で、もう諦めるべきかという思いと、それでも諦めきれない意地とが織り混ざる。背中から伝わるひんやりとした石の壁の感触がメルヴィーナに冷静な判断を促しはするが、どちらの選択もできぬまま、時間だけがただ過ぎる。

 協力を仰いだ相手は本人を見ていない。情報は伝えたが、メルヴィーナはあちらが探し当てるという望みを持っていなかった。

 陰鬱な思いで、大通りの片隅に店を広げる露店のひとつへと目を向けたところで――

「……っ!」

 視認した瞬間、弾かれたようにメルヴィーナは動き出した。


 もしかすれば、停滞に染まった現在の状況を打開してくれるのではないか。行き先を示す扉の在り処を知り得ているのではないか。

 抱いていたのは根拠もなにもない、けれども半ば確信めいた、そんな期待。



「やっとつかまえた……リィン・ヴァロア」



 そうして鍵がメルヴィーナの手中に収まり――停滞はゆるりと終わりを告げる。
 沈黙を守っていた時計の針が、硬い音を立てて動き出す。





その邂逅は必然か否か 1







「……えー……と。どちらさまで?」

 数呼吸の間をおいて返ってきたのは、至極もっともな台詞だった。
 猫の置物を手に取ったまま首を傾げるという、警戒心を感じさせない姿はどこか間が抜けていて。本当にあのとき見た者と同一人物なのかと……メルヴィーナは思わず眉をひそめた。

 金色の長い髪。青味の強い紫水晶の瞳は、そうそうお目にかかれるものではない。

 あのときと違って今は髪が結われているが、間違いない。
 見間違えるはずがなかった。

「……失礼した。私はメルヴィーナ・ロイシンという。とある理由で、あなたを探していた」
「はあ。おっしゃるとおり私はそういう名前だけれど。あなたのお探しの相手かどうかの保証はねぇ」

 置物を展示場へと戻された露天商が、敵意にも似た憮然とした表情をメルヴィーナへと向けた。心外だ。メルヴィーナが邪魔をせずとも彼女がそんな、どこにでも売っていそうな木彫りの置物を購入していた保証はどこにもない。

「いや。私が探していたのは確かにあなただ」
「ずいぶんと断言するのね」
「4日前。見事な手腕を、運よくお見かけした」

 しぱ、と金色の長いまつげが瞬きに揺れる。それまで浮かべていたきょとんとした表情が、嫌そうなそれへ転じた。呟きにも同じ種類の感情をのせて。

「えー……うっわ、やだーあれ見られてたの…………じゃあ見なかったということで」
「……は?」
「無理?」

 『じゃあ』の前後の繋がりが見えない。しかも意味のわからない……意味はわかるが訳のわからない提案に思わず発した疑問符は、効力を発揮した気がしない。
 こてんと首を傾げた姿はひどく可愛らしい、メルヴィーナが自分とは異なると信じている種類の人間のもの。しかしあれの……おそらく本性を欠片ではあるが知ってしまっているメルヴィーナには、とんでもなく胡散臭いだけの仕草に見えるから不思議だ。

 軽い眩暈を覚えつつ、話をどうにか進めようと。

「そんなことはともかく、私は」
「姉さん。買わないなら邪魔だよ、行った行った」

 気を取り直したところで。
 仕返しのつもりなのか、今度はメルヴィーナへの横やりが入った。
 軒はないが、露店の軒先でこんな会話をしていてはたしかに商売の邪魔に違いない。だからといって、なにか商品を買ってまでこの場で会話を続けることに意味はない。

 眼光で対抗してやりたい気持ちを抑えて、メルヴィーナは行き場をなくした勢いも同時に制し、ようやく届いた探しものを探すための鍵の手を強引につかんだ。





 ブローハーゲンは、いくつかの国境が近くに集まる街であり、旅人の中継地点として好まれている。自然、トラブルは日常的。
 旅人の全てがトラブルを起こすわけでは決してない。むしろ余計なトラブルは起こしたくない、巻き込まれたくないと周囲との距離を置く者たちが多くを占める。もちろんメルヴィーナもそちら側の一人だ。

 けれども一部の人間は、なんのメリットも生まないトラブルを望んで引き起こす。
 酒の力に起因するものだとしても、巻き込まれ、害を加えられた側への言い訳にはならない。

 だから、巻き込んだ側が巻き込まれた側に手痛いしっぺ返しをくらったとしても……人々は思わぬ反撃を成功させた者を称賛こそすれ、秩序を乱した迷惑者たちを憐れむことはない。





 メルヴィーナがリィン・ヴァロアと出会った――否、一方的に見知ったのは4日前。
 それは本当に偶然だった。

 闇が腰を落ち着けて久しい、日付が変わった時間頃。メルヴィーナは目星をつけていた情報屋から何の収穫も得られず、落胆して宿への帰途についていた。

 その途中、女と、複数の男の口論が聞こえてきたのだ。
 あまりよくない状況だと、瞬時に理解した。

 後になってよくよく思い返してみると、口論というよりは男たちの側が一方的に好き放題を言っていただけで、女の声は平静そのものだったような気がした……のだが、とにかく、そのときはそう判断したのだ。

 まさか看過はできず、メルヴィーナは口論を辿り、とりあえず状況を見ようと窺い見た先で――とんでもない光景を見た。



 大男が舞っていった。



 それはもう、読んで字のごとく舞っていた。放物線を描いて舞い、べしゃっと重力に平伏した。
 我が目を疑っているうちに、第二弾がまた眼前を通り過ぎる。思考がついてゆかず、ぽかりと口を開け、視線で落下を追うのが精一杯だった。

 ひぃっ、という別の男の悲鳴で我に返り、呻いている物体二つが舞ってきた方向に首を動かすと。

 闇に浮かび上がる、小さな影。
 その影は二回り以上も大きな男の胸倉をつかみ上げ、まるでボールを投げるような気安さで――男の体を空高く放った。



「おーよく飛ぶー」



 仄かな月明かりが照らし出す、風にふわりと遊ぶ金色。



 それが流れる髪の色だと認識したメルヴィーナは、この光景を作りだしたのは彼女だということをようやく認識し、理解した。
 自分でも信じられないが、メルヴィーナは理解したのだ。こんな、幻か夢のような光景を。

 しかし本当は理解したのではなく――女が発した言葉に、幻や夢で片づけることを放棄しただけなのかもしれない。

 闇の中だというのに鮮烈な輝きを放つ青紫の瞳が、笑んだ気がした。



「私にあしらわれるくらいでは、楽しそうに計画していた魔族狩りとやらは諦めた方がよさそうねぇ。先に教えてあげたことを感謝なさい? 私の知っている魔族は、私みたいに優しくないのよ?」



 その瞬間。
 たしかにメルヴィーナの時間は、止まった。

 そして再度彼女の意識が時を刻み始めたときには、累々と倒れ伏した男たちを残し、女は姿を消していた。



 『私の知っている魔族』



 その言葉は、メルヴィーナの心臓を激しく跳ねあげさせた。

 彼女は鍵だ。
 目的を達成するための、鍵。

 それは何の根拠もない、けれども絶対的な――確信。





 彼女を探す、そう決めたメルヴィーナの行動は早かった。
 外見特徴を手掛かりに、騒ぎのあった界隈の夜の店に聞きこみをすると、拍子抜けするほど簡単に素性は知れた。

 リィン・ヴァロアという名の歌うたい。
 白い犬と黒い猫を連れている。
 昨日の夜はどこそこの店で歌をうたっていた。昼間は街の入口あたりでうろついているのを見た。

 過去の情報はずるずると出てくるのに、その時どこにいるのかは決して知れなかった。
 そんな悪くいえば落ち着きのない、探す方にとっては傍迷惑な人物を、メルヴィーナはようやく捉える事ができたのだ。



「あなたは魔族を知っているのか」
「そりゃあねぇ。存在は子どもでも知っているでしょうねぇ…………なんてしらを切るのは、だめ?」

 非難の込もった視線が止まないのを知り、リィンは短い、投げやりな息をついて目を伏せた。

「まぁ、なんの期待かは知らないけれど? ご察しの通り。それで……あなたは私になにを期待して、私のことを探していたのかしらね?」

 メルヴィーナは彼女を探し求めた。

 けれどもそれは、決して彼女自身を求めていたからではない。

 求めていたのは、彼女の持つ鍵。
 情報という鍵を。



「私は、紅の瞳持つ魔族を探している」



 興味なさげにメルヴィーナを窺っていたリィンの眉が、ぴくりと動く。

「ふぅん? なんのために」

 計られている――意図を感じ、メルヴィーナは小さくこくりと喉を鳴らす。ここで間違うわけにはいかない。

 メルヴィーナには予測をもとに計略を張り巡らし、相手を転がす手腕はない。だからありのままに、繕わない言葉に真摯をのせることしか、彼女に思いを伝える術を知らない。

 紅の瞳持つ魔族――メルヴィーナは口にしただけで凝り固まり、引き結んでいた唇を解く。

 ゆらり、と。
 胸の奥に揺れる、赤い紅い、仄暗い炎がある。

 想い果たさぬままに消すことを拒否したからこそ、メルヴィーナは今、ここにいる。





「あれに命を刈り取られた母の無念を、晴らしたい。協力してほしい」





 メルヴィーナは探していた。



 絶対を奪われた空虚の心に憎悪の炎を燃やし続けて。
 その炎を消すまいともがき続けて。

 哄笑こだまさせる影の、見えない背中を追い続けて。





   2010.4.22