「いやぁー仕事を楽にしてくれて助かりましたよ。なにせ貴方たちときたら、あっちこっちでばらばらと痕跡を残していってくれたものですから。こんなに楽な捜索活動は久しぶりでした。急ごしらえの相棒との初任務だったんですけどね、これがそりゃもう無愛想で口が悪くて。まったく、可愛い女の子だったらまだよかったものを。そう思いません?
あ、そうそう。ここの鴨肉のローストは結構いけると評判らしいですよ。君、それを頼めるかな」

 注文を受けたウエイトレスが頬を赤らめて足早に離れていく。ほどなくして、彼女が消えた厨房からはきゃあきゃあと黄色い声が上がった。

 この男、合席を求めたにもかかわらず、返答を待たずに空席に腰を落ちつけた。
 メルヴィーナとアドルを無理やり椅子に押し込んで。

 頬杖をついて憮然と顔を背けていたメルヴィーナが一言、なんのつもりだ、と呟いた。平静を装っているようだが、機嫌の悪さは誰の目にも明らかだ。

「なんのつもりかと訊かれても。とりあえず、仲良く食事をしようというつもりです」
「それだけで済ましてくれるのか? 白々しい」
「こわいこわい。そんなだから男が寄りつかないんですよ」

 爽やかな爆弾投下だった。
 アドルがあからさまに顔を歪めて凍りつく。我関せずとばかりに追加注文していたデザートの皿に手を伸ばしかけていたリィンも手を止めた。

 元来短気で、機嫌も最低。男の発した軽口を露とも思わず受け流すスキルも持ち合わせていない。
 と、なれば。

「ハラルド・ソナー…………――っ!」

 地の底から這い上がるような震えた声が、メルヴィーナの喉から迸る。

「ほらまたすぐにそうやって感情的になる。
少しは大人になっているかと思えば、無駄に年をとっただけですか。勿体ない時間の使い方しましたね」

 火に油を注ぐというのは、正にこのことを言うのだろう。




紡がれゆくもの 3






「あれ、どうしました? 冷めますよ」

 自分の作りだした空気を露ほど気にしていないらしい。男は慣れた手つきで肉を取り分け、まずはリィンに差し出した。流れるような動作で皿を押し戻されていた。
 じゃあ、とメルヴィーナに渡そうとしたものの、威嚇されて大人しく引き下がる。
 無言の拒絶から男を救ったのは、しかし珍しく淡白な――隙を感じさせない覇気を纏ったアドルだった。

「……さっさと本題に入るか、そうでなければ手ぶらで帰ってほしいんだけど。できれば帰ってくれる方希望で。メルが飛びかかる前に」
「えーそんなこと言われてもこっちも仕事なんですよね。逃げようとかいう考えは捨ててもらえません? それに、この猛獣くらいだったらどうとでもなるし」

 猛獣と称されて指さされたメルヴィーナが、その表現にぴったりの形相で男を睨んだが、すでに当の本人はわざとらしく視線を背けている。

「貴方だって俺に勝てたことなんて一度もなかったでしょ? なんならもう一度証明してみます?」

 表面だけの軽い調子で鴨肉の皿を寄こしてきた男に、アドルは苦笑とともに穏やかな返事を返す。

「遠慮しておくよ」
「あれ。前は簡単に挑発にかかったのに……いつの間にか大人になって! おにーさんは嬉しいっ」
「きみみたいな兄だったら欲しいと思ったのかもね」

 一人で盛り上がっている男の影に隠れるような、小さな言葉。
 唯一それを耳に拾ったらしい男は、視線を泳がせ、わずかに表情を苦くした。そこから話題を膨らめることもせず、結果的に男性二人の目の前にしかない鴨肉に、ようやく手をつけはじめる。

「30過ぎて油断してると一気に出てくるらしいぞ。腹」

 メルヴィーナにとってはささやかな意趣返しのつもりだった。
 だが。

「残念ながら俺はまだ29だし、無駄な脂肪をつける余裕がないくらいの運動量はとってるつもりですよ。
そういう貴女は好き嫌いばかりで動物性のものを食べなかったから、つくところにもつかなかったんじゃ? そこの彼女と違って」

 厭味ったらしい触れてほしくない部分への反撃を受け、メルヴィーナは言い返す言葉に詰まる。
 自分の中の女の部分は捨てたつもりだった。だが、その前から気にしていた部分について他人から――特にこの男からとやかく言われるのは、我慢がならない。ならないが、力で勝てる自信もない。
 殴りかかりたい衝動を必死で堪え、精一杯の虚勢を保って彼女は言った。震える声で。

「そいつは、菜食主義者。だそうだが」
「成程、それで。いやそうとは知らず失礼しました。他になにか、お気に召すものを注文しましょうか?」
「お構いなく。関わりたくないので」

 非のつけどころのない笑顔。
 興味がないと言いたげに視線を外され、男は構ってほしいと犬のように尻尾を振る。

「そんな寂しいこと言わないでくださいよー。ほら、こうやってお会いできたのも何かの縁ですし。
ていうか俺がこの二人とどういう関係で、どういう知り合いなのかとか興味ありません? どう考えても怪しいでしょ」
「いえ全然。面倒事を背負った縁とは極力さようならする方針で生きていますから」
「え、俺、面倒です?」

 リィンはわざとらしくにこりと微笑んだ。これ以上の問答を続ける気はないらしい。

「こっちの二人の方が、俺よりよっぽど面倒背負ってると思いますけど。ま、いいでしょう。
そういえば貴女ですね? ジョエルの不躾なナンパを受け流されたのは」

 思い出した、といった調子で男が話を再開した。

「……ジョエル?」
「ブローハーゲンで声をかけてきた軍人がいたでしょう。あれ、俺の同僚でして」

 それほど間を置かない話の転換から考えて、初めからこの話題を振る気だったに違いなかった。
 リィンはしばらく目線を泳がせ、記憶を探っていたようだ。しばらくして、ようやく思い当ったのだろう。宙を見つめたまま、あぁと短く感嘆する。

「残念です。あの時のタイミングがよければ、もっと早く貴女にお会いできたのに。それにしても……いや、あいつが言っていた通りの方のようで。王都でも滅多にお目にかかれないレベルの端麗なお方ですね。このじゃじゃ馬と違って」

 男の口からメルヴィーナの癇に障る一言が発される度に、アドルの口元は引きつっていた。
 風船のように機嫌の悪さに拍車をかけてゆく姉。アドルは泣きたい思いだ。

「それで、騎士さまのご同僚が私にどんなご用件で」
「いやですねぇ、しっかりわかってるんじゃないですか。
――知人、ですよね?」

 人の悪い笑みを浮かべ、男はメルヴィーナとアドルを目で示した。
 姉弟の体に緊張が走る。
 この男――ハラルドが現れてからずっと恐れていたことが、とうとう訪れたのだと。

「その後にこういう状況になったという可能性もあるのではなくて?」
「それはそれで、通報義務を怠ったという解釈になりますが?」

 そんな二人の様子に気づいていないのか、気づいていても気にしていないのか。リィンは湯気の立つコーヒーの渦に視線を落としている。

 彼らが入ってきたときに盛況を見せていた店内は、いつの間にか空きテーブルが目立つようになっていた。
 料理の乗った皿があるのは彼らのテーブルだけで、その他は数人、食後の別腹に舌鼓を打つか、飲み物を手に談笑している人々しか存在しない。



 入り口の鈴が高い音を立てる。
 音とともに現れた人間を横目に確認し、ハラルドは、ぽんと両手を鳴らした。

「さ。お喋りはここまでだ」

 立ち上がって腰に佩いた長剣を主張し。
 男は小声ではあるが芯のある声を張らせた。



「メルヴィーナ・イオニア・エレン。
並びに、アドルラージュ・イオニス・エレン。
グラフィナ統治途上区条約違反で捕縛しますので、どうぞ大人しく」



 苦々しい吐息がアドルの口をついた。
 メルヴィーナからは、聞えよがしな舌打ちが。

「もちろん貴女も逃走補助の重要参考人としてご同行願います。拒否すれば軍務執行妨害に格上げですからお気をつけを」

 丁寧な付け足しがリィンに飛んだが、彼女は感情の読めない瞳を入り口の方に向けているだけだった。





   2012.5.11