今日も学生食堂は賑やかしい。
 学院内に五ヶ所ある食堂の中で断トツの広さを持ってて、さらに一年前に拡張工事までしたくせに昼飯時の混雑はほとんど改善されてないっていう残念ぶり、どうよ。
 ここは値段の割に合わない量が売りで、育ち盛りど真ん中の学生の半数以上が押し寄せる。拡張工事なんてするより方向性の似た食堂を新しく造った方がよかっただろって声が後を絶たないし、おれもそう思う。だからつまり、そういうことなんだろう。

「やっぱりあの試合が納得できなかったんじゃないのかなぁ」

 定番メニューのトマトソースパスタをくるくるとフォークに巻きつけて、十八歳にしては童顔の少女、ベルテがしみじみ言った。

「あぁうん。俺もそう思う。おまえ最後諦めたろ。それが琴線さわったんじゃ?」

 日替わり定食の中で最後に残ったキャベツの千切りにドレッシングをぶちまけつつ、テーブルを同じくするもう一人、オースティも頷く。
 同じ日替わり定食の、半分しか減っていない鶏肉ソテーをつついて嘆息する。そうしたってどうにもならないんだけど、どうにもならないからこそ出るんだよな、ため息って……。

 つーか定食、量多い。肉ぱさついてるし。
 グルメを気取るつもりは毛頭ない。そんなこと言ったらこの二人の方がよっぽど味にうるさい家庭環境で育ってる。
 ただ時々、昔食べてた料理を思い出すとやるせなくなるだけだ。そのもっとさらに昔を思い出すと別の意味で今度は乾いた笑いがこみ上げて……あぁ、もうだめ食欲わかねぇ。

「なにそれ。あの状況で諦めないで食いついてこいとか、あいつがいつそんな好敵手的な上昇志向求めてきたわけ。さっさと沈めってカンジに大魔術ぶっ放してきたあのお坊っちゃんが。本気で死ぬかと思ったんだけど」
「で、でもホラ、ちゃんと先生が止めてくれたし!」
「その前にベルテが張った防御結界がなかったら、頭、消し炭になってたんじゃね? 審判明らかに判定すんの遅かったぜ。あの合成魔術を相殺したのも他の教授だったし」
「あれ助かった。言いそびれてたけど、ありがとベルテ」
「ううん。どういたしましてー……って、そうじゃないってば! オースティも余計なこと言わないの!」
「余計なことじゃないだろー。俺事実しか言ってない」

 一月前、規模の大きい模擬試合があった。
 毎年一回行われる、魔術部最終学年の成績上位者によるトーナメント方式の実戦形式戦。通称、演舞会。
 授業での日常的なものとは違う、外部の人間を招いての一大イベントだ。
 一般公開もされてるんだけど、チケットの競争率がとんでもないんだって話だ。噂じゃ裏で法外な値段で取引するために買い上げる人間もけっこういるんだとか。ちなみに在学生は普通に観覧できる。

 招待客はお偉い貴族サマやら各機関の重鎮やら、リストはそのまま国の有力者の名簿になるっていう。大々的に、時にはお忍びで王族の人間が見に来ることもあるらしい。
 観覧チケットの売り上げ金が大事な資金源だっていうのもあるんだろうけど、一番の目的は、彼らに学院の力をアピールすることだってオースティは断言した。
 多くの学生にしてみれば、そんなんどうでもいいから志望する方面のお偉いさんに将来を有望視されてスカウトされたいっていうのがほとんどなんだけどな。

 で、おれはその演舞会に出場したわけなんだけど。
 戦果は初戦敗退、と。

 ……仕方ねえじゃん。相手、入学からこっち、実技で主席はってる優勝者だぞ。授業でも勝てたためしねえよ。つーかあいつが負けてるのを見たことすらないんだけど。

 第一、おれ成績優秀者っつっても筆記試験の結果が割合の大半食ってるからな。魔力保有量少ないから、運良く勝ててもどう考えたって一回戦分で魔力尽きるし……はなっから勝ち進めると思って出てない。
 でも一回くらい勝てたらいいくらいの気持ちでいたところで、一番当たりたくないやつとの初戦を引き当てた瞬間、心の声は正しく『やばい。死ぬかも』と言った。

 対戦相手の名は、ウェイン・シュタインベルグ。
 四年間学年主席の座を温め続けた公爵家のお坊っちゃん。

 こいつは最初から、おれを同じ人間として見てなかった。
 高い地位を持つやつの中には、そうじゃないやつを『同じ人間』に分類しないやつがいる。こいつもそういう種類の人間なんだとすぐに理解した。たまにすれ違ったりすると、おれを鬱陶しい羽虫を見るみたいな目で見てきたからだ。
 おれは幸いーーというのか我ながら疑問なんだけど、そういう目を向けられることに慣れていた。だから萎縮もしないで平然としてたんだけど……それが悪かったのか、嫌がらせとか結構された。

 最初は鞄の中に大量の虫が入ってた。
 おれ虫全然平気だから、教室の真ん中でおれの反応を期待して冷笑してたウェインにわさわさ動く多節足の虫を選んでぶん投げてやった。
 悲鳴が面白くて次々と投げつけてたら、ベルテが遠くから「ラトくんもうやめて! 虫、捨ててきて! 全部っ!」って涙混じりに叫ばれた。あれは白目剥いてたウェインが可哀想だったからっていうより虫が自分の方に来るのが嫌だったからだろう。

 だいたいがそんな「ガキのいたずらかよ」って鼻で笑ってすませられるものだったんだけど、たまに深刻なこともしてきやがったんだよな。
 そう。
 その中でも今回は、その極みーー

 オースティは今まさにドレッシングの海に沈むキャベツを器用にフォークですくい上げて躊躇いなく口に放りこむところだった。最下層にあるはずの食欲が層を突き破ってさらに減退する。
 とにかく、そうオースティは前置いて、キャベツの欠片と海を残して空になった皿を前に押し出し行儀悪く頬杖をつく。右手が向けたフォークの先が、ぴ、とおれの鼻先を捉えた。

「理由はどうあれ、おまえがシュタインベルグのお坊っちゃんに本気で潰されにかかられてる事実は変わらないから」

「あー……」
 直視したくない事実を真っ正面から突きつけられて、なんか口の中まで苦くなってきた気がする。精神状態が味覚に出てくるとか、だいぶキてる……。

「ラト君、今からでも遅くないから、ウェイン君に謝りに行く? 私、一緒に行ってあげるよ?」
 テーブルに伏せったおれの頭の上で、ベルテがなんか素っ頓狂な提案してるんだけど。

「早い遅いの問題じゃないし謝ってなにか事態が好転するにしても謝る気なんてさらさらないてかおれなにか謝らなきゃいけないことした覚えないから」
「なんだそりゃ。新しく呪いかなんかの魔術でも作ったか?」

 突っ伏したまま自分でも呪詛かなにかかと思うネガティブ街道まっしぐらなテンションでぶつぶつ言ってたら、今度はまた珍しい……ずいぶんと久しぶりに聞いた気がする爽やか系の声が降った。

「呪えるもんなら呪ってやりたい」

 視界が開く分だけほんの少し顔の角度を動かすと、声の主はその辺で余っていた椅子をおれたちのテーブルに持ち込んで、でかい図体をおれの隣に押しこんでくるところだった。

 武道部の特待生アイザック。
 魔術部と武道部、そこだけ見れば接点なんてあるはずない。他の部と違って合同授業とかないし。
 だがこの学院には、ごく一部の生徒が居住する寮がある。そしておれとこいつは寮生で、ついでに入学以来の隣人でもある。

「隣、座んないでほしいんだけど」
「おまえまだ体格差気にしてんの? だったら食えって。半分しか減ってないじゃん昼飯。いらないなら俺もらう」

 またもやこっちがいいって言う前におれが半分残した定食をさらっていった珍入者は、知った間柄とはいえ他人の残飯を躊躇なくかきこんでいく。いいけどさ。いいけど。もう食欲なかったから。
 オースティとベルテも驚かない。もはや時折起こる見慣れた光景になったらしい。まぁ、四年も見てれば当然だろう。つまり四年もこいつは変わらない行動を繰り返してるってわけで、おれの小食っぷりも変わってないわけだ。進歩がない。

「言ってることに整合性がない」
「細けぇなぁ。んなことばっか言ってると将来ハゲるぞ」
「細かくなくて魔術なんて使えない。あと男が将来ハゲるのは宿命ってか遺伝因子に基づくものが大きいらしいから、それは脅しとして成り立たない」
「だぁからいちいち細かいわ! てか俺に他に言うことないのか? ん?」
「優勝おめでと」
「おう。気持ちのこもってない賞賛ありがとよ」

 アイザックは自分の大盛りカツ丼をかき込みながら、図体にふさわしい分厚い胸筋を張った。

 武道部でも魔術部と同じようにこっちは通称武闘会が行われてて、一昨日終わったばかりだ。
 そんでもって、こいつはその優勝者。ホント文句のつけどころのない圧倒的勝利。

 聞けば一昨日は武術部の仲間と馬鹿騒ぎ、昨日は古巣に帰って報告ついでにそのまま泊まってきたらしい。なるほど、寮で会わなかったわけだ。
 興奮有り余る……っていうか普段からそんな感じに高いテンションなんだけど。とにかくアイザックは鼻息高く自分の武勇伝を語り始めた。あのときの間合いがなんとか、相手の足運びがどうとか。知るかっつの、そんな主観。話す合間に食べるのも忘れないもんだから、口が忙しいったら。
 ベルテとオースティが若干助けを求める視線でおれを見るんだけど、無理。ちょっとこれはおれにも止められない。

「そうそう。ラト、おまえまーた新しい噂立ってんのな。今回はマジ詰みっぽいカンジの」

 ネタが尽きたのか話に飽きたのか、アイザックが唐突におれに話を振ってきた。
 水をちびちび飲みつつ話を聞き流してたおれは自分の名前に意識を浮上させ、転換先の話題を飲み込んでーー目元に自然と力が入るのを知覚する。

「シュタインなんとかってお偉いさんのお坊っちゃんだっけ、おまえが負けたヤツ。そいつのおかげでおまえ、内定もらってたとこから取り消し食らって、他んとこも願書すら受け取ってもらえないんだってなー。それ、もしかしなくても奨学金返済しないとなんないんじゃね? マジやべぇじゃん」

 …………はは。
 言った。言ってくれやがった。

 オースティとベルテがおもむろに席を立った。
 じゃあまた、とか言って普通にトレイを持って返却口へと向かってく。

 うん。普通だ。
 あいつらの危機回避機構は通常運転だ。

 アイザックは二人の行動の意味なんて考えてないらしく、「怖いねぇお貴族様の多い魔術部は。気に入らなけりゃ勝った相手でも徹底的に潰すってか」なんて大口開けて笑いやがる。笑い事じゃないのわかってないのか。やっぱり馬鹿だ。脳筋だ。

 ……狙うは、最後に残ったカツの一切れを頬張った横腹。

「ごふぁっ!」

 あぁ、もちろん渾身の一撃だっての。
 遠慮してやる要素がどこにある? おれの傷心部分にダイレクトブロウしてくれやがったデリカシー皆無脳筋野郎に。

 おれの肘鉄を食らい、アイザックは見事に椅子から転落したわけだけども……さすがに受け身は取るのな。取るなよ。衆人観視の中で無様にべしゃっと落ちとけよ。なんか口から出てんだけど。きったね。
 食ってる最中になにすんだのなんだのと喚いてるが、武道部の頂点に立ったヤツがひとまわりもふたまわりも小柄なおれに後れをとってどうすんの。

「じゃ避ければいいのに」
「おまえ初発の行動に気配感じさせねーんだも……って、待て! ちょっと待って! ここ食堂、修練場と違っ」

 おれが魔力を織ってるのに気づいたアイザックは大げさに両手をかざして「待って」のポーズを取った。待たねぇし。
 つぅかなんかいつの間にか食堂全体から注目浴びてる。
 アイザックの声がでかいせいだ。

「なんだなんだケンカ? なんだよアイザックじゃん」
「あ、今来たの?」
「残念。ついさっきまで、あそこにお前の崇拝する女神がいたのに」
「なぬぅう?! どこだ、どこ!」
「もういないって」
「そういやあの魔術部のちっこいの、前、ふつーにうちの実技授業混ざってたの見たんだけど」
「おまえ知らねぇの? 二年のときからたまに混ざってただろ」
「なんだそれ。魔術部連中って頭でっかちじゃねえの? しかもあんなちっこいのが?」
「俺、模擬戦で負けたことある…………」
「マジで?!! おま、そんな弱かったっけ?!」
「だってあいつホント手段選ばないんだって!」
「嘘マジ? やべぇ、超見たい」
「やれやれー。つーかアイザックてめーやられろー」

 ……止める気ないな外野。
 さすが武道部。こういうのが好きだ。
 魔術部とか法政部とかじゃこうはいかない。無視か侮蔑か、本気にしておろおろするか。そんなところじゃないの。例外はいるけど。
 ここの食堂利用層ってほとんど武道部だから許されるんだな。他の部の学生って貴族中心で、もっと静かで高級感ある食堂使う。

「大丈夫。テーブルとかは後でベルテが直してくれる」
「俺への配慮は!?」
「そんなん唾でもつけときゃいいんじゃないの」
「雑っ!」