貴様のような下賤な輩が国外からも誉れ高い王立学院に潜り込めたことは奇跡的で、なおかつそんな輩に頂点を奪われている今の状況は学院の歴史に残る汚点であるからしてだねーー

 なんて小物臭だだ漏れのセリフを吐きくさってくれたこのお坊っちゃん、っつってもおれより年上なんだけど……あーそんなことどうだっていい。

 とにかくこいつ。
 おれが走ってる道に壁作って塞いで、そこらへんの高い壁にも包囲するよう指示与えて、おれが出口見失ってる様を上から見下ろしてほくそ笑んでる趣味の悪い下愚野郎。

 ああそうだな、お坊っちゃんよ。
 まさにてめえの目論見通り、こっちは八方塞がりの袋小路だこんちくしょう!



 そもそもの話、普通の学生は卒業して仕事につかなくても、本人が生活に困らなければなんの問題もない。
 貴族の多い魔術部……ってか結構な割合でそうなんだけど、たいていの魔術部のやつらは親の財産で十分遊んで暮らしていける。だからどんなに落ちこぼれてどこにも拾ってもらえなくても生きていくのに困らない。

 おれの友人二人もそういう特権階級で、魔術師としてどこかの仕事につくわけじゃない人間だ。
 ただ、ベルテの場合は魔術師を総括する魔術師協会研究員の内定が決まってたのに、親の横やりでふいにされたんだから事情が違う。
 オースティは没落寸前取りつぶし目前って家の長男で、当然その傾きに傾いた家を継がなければならないわけで……そのまま家と運命を共にするつもりはさらさらない野心家のあいつは、在学中にあらゆる手段で作った繋がりを使って卒論そっちのけで開業の計画を進めている。オースティとしては別に卒業できなくてもいいらしい。学院に入った理由が『貴族の子弟連中の弱みを握るため』なんてうそぶいてるし。

 オースティはともかくとして……そういう恵まれたやつらと違って、おれの場合は生活面での切実な問題が出てくる。卒業してから仕事に就くのは当然の選択だ。
 家に戻る選択枝がないわけじゃない。でもそこでなにをするんだよってことになる。そこでの未来が想像できなかった……というか疑問にあふれる生活だったから王立学院に来たわけで、出戻ったら意味がない。立場もない。笑われに帰るなんてまっぴらごめんだ。
 ただしおれが今直面してる問題はまったくもってそこじゃなかった。

 すべては、おれが特待生として学院に在学していたことに原因がある。

 名前の響きから想像できる通り、特待生っていうのは特別待遇ーーここの場合は金銭の免除を受けて学びの機会を与えられた学生のことだ。

 免除される項目によっていくつかのランクがあるんだけど、おれはその中でも最大項目ーー入学金、授業料、寮費、教科書代、その多諸々かかる費用の全免除を受けていた。おまけに多くはないけど生活援助金の支給までついて。
 もちろん食費も免除の中に含まれてる。朝夕は寮で出されて、普通は現金が必要な学食でも指定食堂なら学生証の提示でタダになる。そういう理由でもなけりゃ、あんな量しか取り柄のない食堂になんか通わない。

 そんな特典だらけの、収支で考えればむしろプラスの恩恵がただで受けられるわけがない。当然、制約がついて回る。

 最初に特待生としての入学を認められる時点で既に狭き門。そこを通過しても、考査試験毎に一定レベルの結果を求められる。それに満たなくなった時点で特待資格を剥奪されて、受けていた恩恵を失い、それまでに受けた免除額に比例したペナルティが課される。つまり金返せってことだ。
 でも特待生になるような人間はそもそも金を持っていないからその道を選んだわけで、物理的に不可能なんだよな。
 そしてそのことを学校側もわかってる。だから他の方法で要求する。労働力として。そうなったら人生もうほとんど国の奴隷だって聞く。国立の学校のくせにえげつない。
 王立学院ってところは結局はお貴族サマの入れる寄付金によって成り立ってるらしいしな。えげつない部分は仕方ないのかも。その寄付金の恩恵に預かってる身としては文句言える筋合いないんだけどな。

 そんなディープなリスクがあって、なおかつここ最近の資格剥奪後の実例まで事細かに説明されるもんだから、特待生になろうと考えて門を叩いたやつの多くが話を聞くなりすごすごと引き下がるのは当然だと思う。
 その例に漏れた人間が多くの特待落ちした先達であり、おれでもある。

 実際、一学年に五つある特待生枠のうち、おれの学年の特待生はおれとアイザック、ふたつの指折りで終わってる。毎年一人か二人、三人いたら驚きの数字らしいし、しかもどっちも欠けずに一定レベル以上の好成績を修めて卒業まで残ってる事態はかなりの快挙らしい。
 この快挙のまま進められればよかったんだけどな。

 そうーー特待生に課せられた制約は卒業後も終わらない。
 学院が指定する国立機関への一定期間の就労。機関によっても異なるんだけど、どこもだいたい三年くらいが目途らしい。
 それをもって初めて恩恵からの呪縛から解放される、っていう筋書きだが……さて、ここで疑問が生まれるわけだ。

 その、指定された機関全てから入所拒否された場合、これいったいどうなるよ?

『前例はないが、金銭による返還を要求することになるかと』

 ついさっき、最後に残った指定機関から門前払いを食らって帰ってきた午前中。
 学生課のおっさんの無情な返答に、途方に暮れる以外、もはやどうしようもできなかった。



「これ返却」
 おれの心情を代弁するかのように、返却口に置いた本の山が重々しく着地する。
 卒論仕上げで参考にしたのは貸し出し上限数の十五冊。一つ二つのぺらっちい論文集を除けばどれも角で人を撲殺できそうなくらい分厚い。そりゃ音もするだろう。
 中には結構貴重な本も混ざってる。丁寧に扱うべきだし使ってるときにはそうしてた。だけどいかんせん……昼飯時に発散しそこなった苛立ちが尾を引いてる。
 アイザックのやつ逃げやがって。もう全部あいつが悪い。八つ当たり上等。もっかい言っとく。八つ当たり上等!

 つぅかあらためて見ると、おれ、よくこの小さな棚一段分くらいの本の山、一度に積んで運んできたな……。
 対面式返却口の向こう側で本に視線を落としていた初老の司書は、見慣れた顔を上げるとおれの姿を確認するように眼鏡のブリッジを押し上げた。

「おや、珍しいことがあるものだねぇ。きみがわざわざ断りを入れてくるなんて。明日は空からネズミでも降るのかな」

 この男、おれが学院在学中の四年間、教室以外でもっとも足しげく通った場所と言って過言じゃない図書室の、貸し出し返却窓口担当の司書である。
 無類の話好き……といえば聞こえはいいが、彼曰く、話をするのが好きなのではなく学生を話術で転がしていいように弄ぶのが好きでたまらないのだそうだ。余計タチ悪いだろそれ。

 こいつの蜘蛛の巣のごときペースに絡めとられて授業に遅刻したって話は後を絶たない。事情を知った教師陣から苦情を食らったって聞いたけど……とてもじゃないけど反省したように見えないんだけど。大方、苦言を呈した教師もペースに巻きこんでなあなあにしたに違いない。
 関わり合いになりたくない。しかし図書室に通う以上は避けて通れない関門だ。
 配置換えを心の底から願い続けたのも空しく、結局こいつの定位置が返却口のテーブルの奥から動くことはなかった。
 聞くところによると、来年度に退職する司書長の後釜に座るのがどうやらこいつらしい。現司書長もっと早くに退職しとけよと思ったのは言うまでもない。
 ただし、司書長になったからといってこの男がすんなりとお気に入りの「遊び」から手を引くとは思えないのが怖いところだ。おれはもう卒業するから関係ないけど。

「降ったら捕まえて食いでもすんの?」
「そうだね、降った後のことは考えていなかったけれど。君が捌いてくれるなら味見くらいはしてみようか」
「捌かない。降らねえし」

 司書がくつくつと笑う。人畜無害の皮を被って、実に楽しそうに。

 あー……やっぱ似てる。
 見た目は全然似てない。似てるのは根っこの部分。老獪さ、とでもいうんだろうか。
 この司書はどうしたっておれにあの人を想起させるんだ。

 どこまで行こうが行き止まりだとばかり思っていたおれの世界を、広く広く、開いてくれた人を。

「そうそうラト君。学生課の人が探していたよ」
 もしここに来たら、すぐに来てほしいからそう伝えるよう頼まれたんだ。
 司書の男がまた、にこり。もういい。笑うな。寒気がする。

 つーか……どういうことだそれ。
 学生課の就職斡旋担当職員からは言外に、もう来ても無駄じゃないのと匙を投げられたのが記憶に新しいんだけどってかつい二時間くらい前のことなんだけども。
 思い出したらまたハラワタ煮えくり返ってきた。あの野郎。

「早めに行ってあげた方がいいかもしれないね。随分慌てていたよ?」

 彼が慌てようと私もきみも知ったことではないけどねぇ。
 人でなし発言をさらりとつけ加えて、司書は笑う。黒い。
 まぁ、うん。確かにおれもどうでもいいけど。
 そいつがあの、鬱陶しそうに見下すカンジでおれを追い払ってくれた就職課のやつだったらさらにどうでもいい。むしろもっと困っとけ。

 それにしてもなにか新展開でもあったのか? それがおれにとって有益か有害なのかはさておいて。それとも提出期限切れの書類かなんかでもあったっけか……。まったく思い当たる節がない。

「……わかった。伝言、どーも」
「いいえ。どういたしまして。……あぁ、ラト君」

 君の道行きに、幸多からんことを。

 図書館を出ようとするのを呼び止め、司書は顔だけで振り返ったおれにその詞をかけた。
 厳かな響きをもって司書が口にしたのは神聖教会の決まり文句だ。

 おれは正直、この国の国教である神聖教会も、教徒が勿体ぶったように口にするその文句も好きじゃない。
 昔の一時期、教会にいた教徒のやつらがなんの行動しないくせにこれを言ってきたときには唾を吐きかけてやったもんだ。懐かしい。
 けれど司書が今おれにかけた文句には、定型よりも奥、根底にある「親しい者の幸運を願う」という想いがしっかりあった。

 そういった表に出ない内包された想いを汲みとれて、しかも厚意を素直に受けるようになったとかおれ大人になったな、なんていう、じゃあ以前の自分はなんだったんだとついツッコみたくなる感想を持ちつつ、おれは軽く片手を上げてから図書館を後にした。