なにをどう言い表せばいいんだろう。この、今の状況にあたってのおれの心情。

 散々オースティに『心臓に毛が生えてる』って評されたおれでも気後れくらいはする。
 大体内蔵に毛ってなんだ、毛って。生えるか、んなとこに。

 目の前にそびえ立つのはおれの背丈の二倍を越えそうな堂々たる門扉。所々に修繕の跡を残す門からは、歴史建造物的な嫌みのなさを受ける。
 うん。嫌いじゃない。建造物としては嫌いじゃない。
 ただし、ここからではどこまでが所有面積なのか把握できない敷地をぐるりと取り囲むこれまた背の高い外壁とか、外壁の隙間からのぞく邸宅とか、門扉の前に立ってさっきからちらちらとおれを窺って、時折鋭い牽制の視線をよこしてくる二人の門番とか。

 総合すると、一般人を寄せ付けようとしない閉じた威圧はこれまでに感じたことがないくらいに重々しい。

 それでもおれはこの雰囲気に怖じ気づいて立ち去るわけにいかない。こんな風に、目的を前にして、ただ棒立ちに柄にもない緊張に使っている暇なんてないはずだ。

「あの、ちょっと」

 嘆息と、ひと呼吸の逡巡のあと、自分でも不躾だと自覚のあるいつもの口調で話しかけたおれに二人分の胡乱な目が注がれる。
 ……不審だよな。
 さっきからちらちら自分たちの警備範囲をうかがってる学生だ。制服着てきたから身元は割れてるだろうけど、中身は偽物の不埒者の可能性も十分ある。あのままもう少し経っていたら門番から警告を受けるか、下手をすれば中から人を呼ばれてたかもしれないなんて嫌な想像が頭をよぎった。

「何かな。王立学院からの伝達でも任されたかい?」

 意外と丁寧な応対の最中に鳴った、ちゃき、という金属質な高い音をおれの耳は逃さなかった。
 剣の鍔と鞘が離れるわずかな音だ。

 訂正。
 もう十分不審者扱いだった。

 ほとんど反射で動いてしまったおれの視線に気づいた門番の目に、打って変わった険しさが乗る。表面上浮かべていた穏やかそうな微笑も、ふっと落ちるように消えた。
 門の前から動かないもう一人が、剣の柄にかけた右手。おれからは死角になるはずの位置。
 そこに留まったおれの視線は排除するに値する行動だったってことらしい。鞘走りを立てて抜き身になった真剣の切っ先が、流れるような所作で鼻先に突きつけられた。

「ちょっと待って。おれ怪しくない」

 取ろうと思えば間合いは取れた。
 取ったところで新たな不審感を植えつけるだけなのは明白だ。だからあえて動かなかったわけだけども。
 ……逆効果だったなこれ。門番の目力増した。こわっ。なんかもう一人も剣抜いてるし!

「この状況で平静でいられる輩が怪しくないと主張して、信じるとでも本気で思っているのか」
「や。こう見えてぜんっぜん平静保ってないから」
「何処の手の者だ。ここをエルディアード侯爵邸と知っての狼藉か!」

 いや狼藉って。まだおれなんにもしてない、つかこのあともなにもする気ないって。

 ……ていうか、だ。
 なんで門番に話しかけただけで、おれこんな疑われてんの。

 ちょっと踏ん切りつかなくてうろうろしてて、用心のために剣の柄握ったなって注意をそっちに持ってっただけじゃんよ。
 そりゃ侯爵家サマの門を預かるんだからいくら用心しても足りないってことはないだろうよ。でもさ、それと聞く耳持たないのとは別だろ。持てよ。聞く耳。

「話になんねぇ! これ学生証、こっち書状! 来いって呼ばれたから来ましたがなにか!」

 というわけでおれは軽くキレ気味に、ベルトのチェーンからむしり取った学生証と、上着の内ポケットに潜ませていた書状を矢継ぎ早に門番に押しつけた。
 上着に手突っ込んだとき制止されたけど、凶器出すとかじゃないから無視したし。

 面食らった顔でおれに視線を残しながら、門番は押しつけられた学生証と書状に目を落とす。書状の最後のあたりに視線が動いたのを見計らって、おれは機嫌が悪いのを隠す気にもならずに主張した。

「話、通してほしいんだけど」
「……確かに。エルディアード家の印樟に、クロヴィス様の直筆書き……。いや、すまない。君については伝達はあったんだ。ただね、その……今年卒業の学生と聞いていたものだから。まさか君がそうだとは想像もしなくてね」

 って言いながらもまだ疑いを残しているのか、書状と学生証、おれを見比べては難しい顔をもう一人の門番と顔を見合わせている。信じろよ。本物だよ。

「……悪かったねチビガキで」
「そう睨まないでくれ。案内しよう」

 どうやら信用してくれたらしい。
 学生証を返すその手で門番の手で開け放たれた扉は、門の堅牢さからは想像できない質量の軽さだった。遠目には重々し鉄扉に見えたそれは、近くで見ると塗装された木製で、鉄は補強と接合に使われている程度だ。……経費削減? 王都の一等地に広大な居を構える大貴族が、もっとも見栄を張るべきだろう部分で?

「不思議に思うかな」
 口振りからしておれの疑問を正しく理解している門番は、にやり、と表現するのが正しい表情を見せた。

「今では侯爵という貴族の中でも最高位の爵位を賜っているが、元来エルディアード家の本分は守護者だ。古の、建国前の時代から王家の傍らに侍った剣であり盾。現代まで損なわれたことのない篤い信頼を王家より賜っているからこそ、このように王城のすぐ膝元に居することを許されている。有事の際は誰よりも早く駆けつけ、登城できるように。この扉はその表明ということさ」
「扉が重いと開けてる時間分、遅くなるからって?」

 門番は軽く眉を上げて肯定の意を示すと、もう一人の自分の相棒に本分を任せ、おれについてくるよう手招いた。

「んな決意表明するより、こんなすぐ破られそうな扉とか防犯上の問題あるんじゃ……」
 建物へと延びるアプローチの長さに辟易しつつ、ぶつぶつ言いながら門をくぐった瞬間、外野からの尤もぶったおれの言い分の続きは綺麗に頭から吹っ飛んだ。

 魔術壁。
 敷地に足を踏み入れた瞬間に感じた、膜が体をすり抜けるような感覚。
 慣れ親しんだ王立学院に張り巡らされているものとほとんど同じ。

「ふむ。まだ学生とはいえ、さすがは魔術士ということか。わかるのか」

 門番はこの侯爵家の立ち位置を誇らしげに語っていた熱っぽさはどこへやら、この門番は自分が守っている境界線に敷かれているものがどれだけすごいものなのかまるで理解していないらしい。

 この種類の魔術は、魔術陣があれば式の構成と構築の段階をすっとばせる分それほど難しいものじゃない。陣に記された魔術式を読み解いて理解するのが大変だが、一度それができてしまえば発動させるのは割合簡単な部類に入る。
 ただ、陣の構成が複雑であればあるほど、大きくなればなるほど、発動にかかる魔力は比例して多くなる。
 難しくないっていうのは、あの学年次席ウェインとかベルテみたいな化け物級の魔力を持ってるやつにとっては、だ。たいてい魔術陣なんてものは大がかりな魔術のための下地だからな。

 王立学院の陣は書面でしか見たことがないが、ベルテが学院に使われているものを参考に自作した魔術なら見たことがある。
 実技試験では発動だけでだいぶ消耗してた。そのときのはまだだいぶ粗があって、後でおれも手伝って修正したらすごい使い勝手のいい防御結界になったんだけど。
 ……いや、ほとんど修正丸投げされた、の間違いだな。
 だいたい元の陣がひどすぎたんだよ。粗どころの話じゃない、ベルテの魔力量に任せたごり押し魔術。あれを合格にした試験官の審査眼を疑う。

 それはともかく、たぶんここで使われてるだろう魔術陣は、ベルテのあの防御結界より変換効率いいんだろうけど……常時維持となると、難易度どころじゃない。もう精神論だ。
 どんなに化け物級の魔力を持っていても、調整が苦手で魔力の瞬間爆発型なベルテには無理だし、細かい調整が得意でも短気なウェインにも向かない。
 おれはといえば、比較に出すのもおこがましい。

「こんな大がかりな結界、よく維持し続けられると思う」
「ふむ。俺は魔術は専門外だからよくわからないな。ただ便利だくらいしか思うところはなかった。それほどのものなのか」
「すごいなんてもんじゃない。要の魔術陣があるんだろうけど、これが常時展開されてるとしたら発動させてる術者の魔力と結界魔術の適性が相当ないと無理。あと精神力も。これやってるの、だれ」
「……それはまだ、君には教えられないな」

 門番が立ち止まる。
 なにかまずいことでも言っただろうかと自分の言葉をふりかえる途中で、目の前に石造りの邸宅の玄関口があることに気づく。魔術壁について思案しているうちに、いつの間にかあの長いアプローチが終わっていたらしい。

「あ、そう。いいけどさ」

 あんまり深入りしたくないし。
 続く理由は口にしなかった。
 深入りしてしまう、せざるを得なくなるだろうというよりも、そうしなければ本当に首が回らなくなることは自明の理だったから。

 昨日の昼過ぎ図書館から向かった学生課で、エルディアード侯爵家の紋章の入った書状を受け取ったときに覚悟したはずだったのに。

 おれが思わずため息をもらすのを見て、門番は「緊張するのはわかるぞ。大丈夫、悪い人間はいないから」とおれにしてみれば見当違いの気休めをくれた。そっちの緊張もなくはない。一応ありがたくもらっとく。

 門番が邸宅の玄関口に立つ警備の人間に話をしている間、まったく関心を払わず歩いてきた道を振り返る。
 芝生は綺麗に背を整えられ、花壇に整列する花たちは初夏にふさわしく鮮やかな色調をそろえて咲いている。
 綺麗、と素直に賞賛できる庭だ。
 けれども人工的と思ってしまうのは、おれが学院に入るまでの数年を過ごした「あの場所」の、自然すぎるほどの自然を知っているからなんだろう。

 今考えても人が住むような場所じゃなかった気がするあの場所が好きでたまらない、というわけじゃない。
 でも、懐かしい。
 帰りたいと思うほどには愛着を覚えた場所。そことは似ても似つかないこの場所に、きっとこれからおれは縛られる。

 生まれも育ちも「侯爵サマのお屋敷」とあまりにも場違いな自分が滑稽で。
 呼びかけられても反応しないのを訝しがった門番が肩を叩いてくるまで、おれは昔よく顔に出してはあの人に「もう、そういう人を馬鹿にした顔はやめなさい」と散々言われた表情で、庭園を睥睨していた。