つーかここ、呼ばれたとはいえ王立学院の学生って以外なにも身分を保証できない平民が普通に入っていっていい場所なのか……?
 だってさ、貴族の中には自分の屋敷に平民が入るの嫌うやつらもいるって聞いたし。

 いつだったかな……オースティが『うちはわりと新興の傾きかけ商家男爵家だから気にもしないけどな』なんつって自虐ネタ混じりに話してたのを覚えてる。で、そういうこと言うやつはだいたいが、居丈高な振る舞いの目立つ貴族の中でも距離を置かれる家なんだとか。
 そんな予備知識を持ってたから、ここはそんなに選民意識の強くないとこなのかな、なんて思った。

 エルディアード家っていうと、代々将軍を輩出してて、軍事を牛耳ってるいうくらいしかおれは知らない。

 周りの同窓ほとんどそうだったって状況だったのに、おれは今さらになって驚くくらい貴族について知らなさすぎた。
 知ろうと思えばオースティやベルテからいくらでも情報貰えたってのにな。どんだけ周りに興味なかったんだって話だよな。うん、正しく興味なかった。おれの興味はもっぱら知識欲と、おれを理解してくれる友人くらいにしか向いてなかった。
 自覚はあった。なかったのは社交性だ。

 おれここまで案内してきた門番は、おれをだだっ広いエントランスホールに通したあと「それじゃ健闘を祈る」なんていう意味深な言葉を残して行ってしまった。

 ……健闘?
 なに健闘って。
 ついでになんでちょっと笑いをかみ殺した、おい門番。ていうかおれ、置き去りにされてどうすればーー

「ようこそ、ラト・ヴァロア」

 いいんだよ……って……。
 背中で音を立てて閉ざされた扉に肩越しの視線を送っていたおれは、名を呼ばれ、思わず肩を跳ね上げた。

 どっから出てきたんだよこのヒト……!

 人好きしそうな笑顔とともにどこからともなく、たぶん柱の影とかから姿を現したのは、二十代半ばくらいの身なりのいい男だった。
 執事、という役職の人間だろうか。……侯爵家なんてど偉い貴族サマの屋敷の執事が、こんな若いもん? 何回か行ったことのあるオースティんちの執事は背筋のぴっと伸びたじいさんだったけど。

「急な呼び立てに応じてくれて感謝するよ」

 おれのおそらく不躾な視線に眉一つ動かさないで笑顔を浮かべている男は、闇に溶ける漆黒の髪色をしていた。
 色素の薄い髪を持つ人間の多いこの国で、町に下りたらさぞかし人目を引くだろうなって色。
 それを見ても、ぶっちゃけおれはなんとも思わなかった。知り合いにもいるし。いや、実際には思う暇もなかったんだけども。
 それよりずっと衝撃的な、視認した瞬間におれの心を捉えて離さなかった色があったから。

 底が見えない深さと、月光の淡さを併せ持ったアメジスト。

 それ自体が魔力を持っているのかと錯覚するような、力を持った瞳。
 惹かれて、引き込まれて、気づいたときには囚われる。
 そんな、絶対的な存在感を持った。

 おれは、これとまったく同じ瞳を持った人間を。知っている。

 似た色なんかじゃない。これは『同じ』。
 同一の、ともすれば吸い込まれてしまいそうなーー

 紫色の相貌に意識を奪われていた最中だった。
 ホールに円形状に立ち並ぶ柱のうち、左斜め後ろ。
 一気に存在感を膨らませて飛び出した影が、一つ。

 瞬間、脳が「危険」だと信号を送った。ぶわりと全身の毛穴が広がって、弾かれたくらいの勢いで後ろに跳ぶ。
 呼吸する間もなく、びりりと空気を震わせる余波が首をかすめた。

 ちょっ……なに、今の尋常じゃなく鋭い太刀筋……っ!

 ほとんど一瞬前までおれが立っていたのと同じ場所で、影ーー男が一人、剣を横凪ぎに払った低い姿勢で立っている。

「へぇ。うまく避けたのな」
 男は暇を置かずに腕を体幹に引き寄せてーーいつでもこっちに踏み込んでこれる体勢で、好戦的に口角をつり上げた。

「避けなきゃ死んでるだろっ!」
「そうそう。その調子で避けなきゃ死ぬぞ、っと」

 軽い口調の言葉を伴って振るわれる剣戟は、踏み込みの段階からして「軽い」の対極なんだけど! しかも速っ!

 今度も後ろに跳んで柱の影に隠れようとしたところで、流れるように閃いた刃が二撃目になっておれの喉を狙ってきた。ちょっ、待、これマジやば……っ!

「避けられるかっ!」

 やけくそで叫ぶと同時に張った防御壁が高い金属音をあげた。
 魔力の壁が軌道を阻む。壁は剣戟の勢いを殺しはしたものの、大きくたわんだ刹那、崩れて消える。
 相変わらずの耐久性だ。それでも防御壁の意味がないくらいの紙装甲じゃないだけマシか。ちゃんと仕事はしてるもんな、よし。

 『襲撃者』が攻撃の手を止めて感心したみたいに防御壁の残滓に目を留めている隙に、おれはクソ珍しい二つの色を持つ男を視線で探す。

 いた。
 壁まで下がって腕組んで見物してる。しかもおれの視線に気づいて笑顔返してきやがった……イイ笑顔だなちくしょう!
 ……おかげで確信が持てた。
 これ、つまりアレだろ。試験とかそういう系だろ。

 初撃の段階で予想はついたよ。そうでもなけりゃおれを狙う意味がわからないし。こんな真っ昼間から、大貴族の屋敷で。しかも斬りかかってきた相手、よく見たら執事? とデザイン似てる服着てるし。動きやすそうな洗練された感じの服。確実に身内だろこれ。
 祈られた健闘がわかってすっきりはした。
 でも状況としてなんの解決にもなってない!

「エントランスを壊さないように頼むよ、ハラルド。ジョエルに修繕費の明細を突きつけられて説教を聞かされたくはないだろう?」
「そりゃあ心底勘弁願いたいね。つかそれ、むしろこいつに言ってくれない? 魔術ぶっ放してくれるなって」

 それはなにか。つまりおれが、後先考えず侯爵サマんちの玄関で破壊活動に勤しむように見えるってことか? 
 なにその偏見。しないって。んな奨学金返済人生コースに直線猛進しながらハードル増やすみたいな真似、だれがするってんだ。もし修繕費は気にしなくてもいいって言われても、後で絶対引き合いに出されるだろ。しないし。

「というわけで。ほれ」

 執事? にハラルドと呼ばれた男が投げてよこしてきた棒状のものを反射的に空中で受け止める。
 腕に覚える、ずしりとした重み。ひんやりと冷たい感触。

「使えるんだろ?」

 男が悪戯を思いついた悪ガキみたいな嫌みのない笑みを浮かべた。

 渡されたのは、剣。
 男に注意を払いながら、申し訳程度の装飾の施された鞘から数センチ引き抜いてみた刀身は、磨きぬかれた鋼の輝きを少しも潰していなかった。向けるものを傷つける刃だ。今もまた、おれに向けられているのと同じ。

 すぅっと心が冷えた。
 冷静を得た。

 おれには自覚がある。
 魔術だけじゃ世の中を渡っていけないっていう、自覚。
 それは謙遜でもなんでもない事実だ。

 おれの魔力は魔術師になるには致命的なくらいに少なくて、弱い。
 魔術を使える人間から見れば子どもだまし程度のもの。最近のウェインとの試合を振り返ればよくわかる。相手の攻撃を防ぐことで手いっぱいで、こっちから仕掛けられることっていったら隙を見計らっただまし討ちくらいだった。結局それも防がれて、清々しく負けたけどな!

 おれの魔術は決定打にならない。
 けど、おれにはそういう自覚と一緒に魔術師連中に対する強みも持ってる。
 それは今、おれの手の中に飛び込んできた。
 使う術を教えてくれたのはあの人だ。諦めることしか知らなかったおれの人生を変えた人。

 しゃりりと鞘走りの音をさせて、刀身を完全に抜きはなつ。小剣に分類される直刃の剣は相手のものよりずっと短くて小振りだ。でも、身長も体格も同年代にすら追いつかない小柄なおれには丁度いい。型も重さも刀身の長さも、普段手に慣れたものにかなり近い代物だ。
 明らかに、おれに見立てられたもの。いつ見立てたんだって疑問はどうでもいい。扱いやすいものをあてがわれた幸運とでも思っておけば。
 ただ……他の要因があって、コレうまく扱えるかなっていう心配はある。
 でも、ないに比べりゃ千差万別だ。

 柄にぐっと力を込めて構えの姿勢に入ったおれを、男が軽薄なーー余裕たっぷりの面もちで見据えている。

「さ。どれだけやれるのか、オニーサンに見せてみな?」
「……おっさんの間違いじゃないの」
「俺まだ二十代よっ!」

 怒気混じりの気迫を発して、男が大理石の床を蹴る。
 次々と繰り出される連撃は一縷の迷いも感じられない。どれも鋭く、気を抜いたら本気で腕の一本くらい持っていかれそうだ。

 授業で合わせた武道部のだれも、もちろんアイザックだって比肩できない重さと速さを兼ね備えた剣。
 そんな冗談みたいなものを、この軽薄な印象の男は息も乱さず繰り出し続けている。当たったら致命傷になりかねないような軌道はわざわざ外して。
 おれはそれを防御壁で防いだり、時には髪の一筋を散らして避けたりしながらなんとか直撃だけは免れていた。
 武器を持たされてもやっぱり避けるしかできないって、どうなの。……だって、まともに受けたら弾き飛ばされそうなんだもんよ。競り負けるってレベルにも追いつかない。

 ていうか、狭いよ。場所が。
 エントランスにしては広すぎる空間とはいえ、修練場とはわけが違う。飾られている調度品はどれもこれも高級そうにしか見えず、そんな障害物をまさか盾にする勇気はない。さっきの『修繕費が〜』という会話を聞けば尚更。
 根っからの小市民、しかも心象を悪くしたくない身としては、それらを傷つけないようにと思ってしまうのは自然なことだと思う。ていうかそこ気にするぐらいならあらかじめ全部取っ払っておいてくれればよかったものを。
 そんな余計な気を回したせいで、自然、間合いが近くなってやりづらい……っ!

「避けろとは言ったが避けられるばっかじゃこっちもつまんないんだが?」

 おれの左肩を袈裟掛けにしようと肉薄する刀身が、残像を伴っていやに鮮明に映る。

 これ、今いける。

 思うが早いか華奢にすら見える小剣を持つ腕を動かした。体の前じゃない。いかにも諦めた風に腰を落とし、無防備に脇を開いてうろたえる風を装った。

 おれに避ける余裕がないのをやばいと思ってくれたらしい。振り下ろされる剣の勢いががくっと落ちた、瞬間。

 重心を落とし横すべりに移動したおれは、ぎょっとした目でおれを捉えつつ対処に移れない姿勢の男の横っ腹に、渾身の蹴りをぶちかました。





「あれずるくねぇ?! わざわざ剣見繕って渡した意味あるか?!」
「ないね。しかしずるくはないよね。こちらはルール提示をしたわけではないのだし」

 男はしばし脇腹を押さえて悶絶していた(それでも踏みとどまって膝をつきもしなければ、剣を取り落としもしなかった)が、眉をきゅうっと寄せた苦悶の残る形相をなぜかおれではなくて黒と紫の色を持つ執事? に向けて噛みついた。
 しれっとした笑顔で一蹴されてる。力関係が見て取れる。

「……それで、これで、そちらサマの出迎えは、終わりってことで、いいの」

 そこらに放っていた鞘を拾い上げて刀身を納めてから、上がった息で切れ切れに問うおれに、執事? は得体の知れない綺麗な笑みでもって返してみせた。

「まあ、満点をあげるわけにはいかないけれどね」

 妙な色気を醸し出す視線を流した先。それを認めた瞬間、寒気が走った。

 とっさに手を当てた胸元に、服を通して確かめられるはずの感触は存在しない。

 ぶつりと切れた革紐。
 少し離れて、緑色の石。
 おれの首に下がっていたはずのそれらは、少し離れた床にころりと転がっていたんだから。

 服の下に下げていたはずのそれは、紐を切られてなにかのはずみで外へと飛び出してしまったんだろう。
 落ちたのがどこかの道ばたでなくてよかったと前向きに捉えるべきなんだろうか。落としても魔術で探索すれば済む話だが、手間がかかるし、なによりーー

「そんだけ顔色変えるってことは、さては女からの贈りもーー」
「触るな!」

 石を拾い上げようと屈んだ姿勢で男が動きを止めた。
 一瞬丸くなった目が人の悪い楽しげな色を帯びていた。

 ずかずかと大股で毛足の長い絨毯に埋もれかけた石を、次いで革紐を、奪う勢いで拾い上げる。
 くそ、この絨毯も悪い。落ちたときに音がしなかったから余計に気づかなかったんだ。

「なんだよ。図星突かれて恥ずかしがってんの? 事前情報とすかした見た目に似合わない年齢相応なかわいいとこもあるんじゃん」
「うるさい」
「あ、否定しないのか。へぇー。そのへん後で詳しく話そうぜ。なぁ」
「だからうるさい」

 ていうか絡みが鬱陶しい。馴れ馴れしいノリが武術部に似てる。剣を握っていたときの精悍さがどこにいったのか……いや、そのときから軽薄だったか。まんまじゃん。

 絡みはともかくあの初撃、真実首をかすめてたってことだ。切れた革紐がそれを証明してる。
 ……危なかったなんてもんじゃなかったのな……。
 もしかするとこいつが狙ったのは最初から首じゃなくて革紐だった? その気だったら簡単にーー。

 おれが切れた紐と石をコートの内ポケットにしまいこむのを見計らったように、それまで楽しげな笑みを浮かべて静観していた執事? が口を開いた。
 ……クロウって呼ばれてたっけ?

「突然このような真似をしてすまなかったね。私が君を呼びつけたクロヴィス・シエン・エルディアードだよ。改めて、我がエルディアード邸へようこそ」

 ……執事だなんて、とんでもない。
 わざわざエントランスまで出迎えに出てきてこの茶番劇の一部始終を観察してたのは、おれをこの屋敷に招いた侯爵子息サマその人だったって事実……なぁ、どうなのよ?