五人のうち一人だけ、異彩を放つやつがいた。
 イムザの手前平静を装った。
 イムザにばれてないだろうか。そいつを確認した瞬間、冷や汗が背を伝った、おれの焦りを。

 筋骨隆々とした体格に壊滅的にセンスのよくない服を纏わせて、いかにも腕に自慢のあるごろつきですって体言してるような奴らに混じって。そいつだけが、もしかしたらおれよりひょろいんじゃないかって体型をしてた。体格は違っても、他のやつらと一緒にぼろぼろの子どもを小突いている、醜悪な薄ら笑いを浮かべたそいつは。

 魔術士だ。間違いなく。

 ああも見た目でわかりやすければ事前に心の準備はできる。イムザにも魔術士がいると言ってはおいた。
 さすがにウェインやベルテ並みの実力持たれてたらおれ程度でどうにかできる相手じゃない。詰みだ。

 魔術士が一人混じってるだけで、その集団の戦力は馬鹿みたいに引き上がる。
 もちろん魔術士の力量にも左右される。それでも、たとえ相手が子どもの見習い魔術士でも、そうでない普通の人間には十分脅威になる。戦術パターンがほぼ無限に広がるから相手が知己で手持ちを知り尽くしてるとかでない限り、予測なんて無理だ。詠唱と展開の様子からある程度予測できなくはない。できなくはないけど判断に迷ってる暇はないし、そもそもそいつの他の仲間が暇なんて与えてくれないし。

 じとりと湿った手を服の裾で拭い、道の端っこに落ちてた木の棒を握りしめた。
 部屋から一時撤退するだけのつもりだったから宿に剣を置いてきたのが悔やまれる。
 ないものはない。仕方ない。手数が一つ減ったってだけ……いや、だけっていうには無理があるか……もしやむを得ず接近戦になんかなった時は一撃でへし折れるのを承知でこれを使うしかない。むしろこんな棒で一撃防げれば御の字だって。

 ああもうあの魔術士ひとりをどうにかすれば勝てそうな、見てくれだけの肝の小さい連中だったら楽なんだけど! 心中で悪態をつきつつ術式を組む。

 落ち着け。時間はまだある。震えるな、手。

 いつもの切羽詰まった即時展開より時間をかけて。網を綯うように丁寧に。魔力を術式で編みあげる。
 アイザックと組む時は意表をつく役回りが多かった。対戦式の実技授業では、いかに相手の詠唱を先回りするかに重きを置いた。術式構築の早さばっかり追求してきたせいか、こうやって、精度を重視してゆっくり術式を立ち上げるのに違和感を拭えない。
 でも。これが今の、おれの役割。

 そしておれがこうして身を潜めて準備を整えている間、時間を確保するのが――



「お、喜べチビ助。保父さんのご登場だぜ」

 誰かがそう言ったのをきっかけに、連中はやつらが言うところの「チビ助」を小突くのをやめた。

 縮こまらせていた体をかすかに弛緩させた子どもは、詰めていた息を全て吐き出すくらいの勢いで激しく咳込んだ。
 濡れた咳だ。喉の奥にからんでいるものは胃液が反吐か、それとも血かは確認できない。でも、あれだけ咳込める力が残ってるなら今すぐ命の有無には結びつかないだろう。と、思う。

 連中は確かにイムザが来るまでの「お遊び」として、ジェフリーが死なないよう手加減していたわけだ。

「遅かったなイムザよぉ。暇ぁ持て余しすぎてよ、このガキ殺しちまうとこだったぜ?」

 ああ。覚えてる。
 今は落ちた影で暗いあの褐色の髪の輪郭は、日に透かされると燃える炎みたいに輝くんだ。
 おれたちはその炎を遠目に見ながら、兄貴がつくってくれるはずの世界に、期待をふくらませてた。

 覚えてる。思い出したよ。

 十年て時間は、もともと体格に恵まれた少年だった兄貴を、さらに一回り二周りも大きくしていた。力勝負だけならアイザックが押し負けそうだ。むき出しの腕も服の下に隠された体も筋肉質で、侯爵子息サマとはまったく別種の迫力に満ちている。
 そんな兄貴を距離があるとはいえ前にしたイムザは、両者の間でのろのろと頭を持ち上げたジェフリーの「ごめん、イムザにいちゃん」という消え入りそうな声に鼓舞されて、確かに兄貴と対峙していた。

 兄貴は現れたイムザが味方の一人も従えていないのを、顎をしごきながら意外そうに見下ろした。

「一人か? まさかなぁ。こういう腕っ節の要ることに関しちゃてんで役立たずの愚図だが、おまえは馬鹿じゃない。どうせそこらの影にでもナイト様を潜ませてるんだろ? そいつらも可哀想になぁ。お姫様がこんな冴えないなよっちい掃き溜めあがりなんてよ」

 イムザは一言も発さずに静かに兄貴を見据えている。そう見えるだけで、おれと同じで意志に反して震える体を必死に押し隠し、虚勢を張っているだけかもしれない。それでも、竦みあがって動けなくなるよりずっといい。理性が体を支配してるなら、少し震えるくらいどうってことないだろ? だって、怖いものは怖いんだから。

 連中を見下ろす位置から、編みあがりつつある術式に意識の重きを置いて固唾を呑む。

 伏兵の存在は看破されてる。
 でも、まだ、それだけだ。兄貴の意識がおれの方に向いた感はない。数と、位置までは把握できてないのか。それともあえて逸らしてるのかは判断つかない。まさかこっちにも魔術士がいるとは考えてないだろう。……そう願いたい。

「だんまりか。冷静な顔取り繕っちゃいるが、怖くて言葉も出てこねえと。……さて、それじゃ早速、お待ちかねの取引の時間と洒落こもうか。わかってるだろうが、例の話におまえが頷く、それだけでこのガキが生きてるうちに返してやる。な? 簡単だろう」

 兄貴は粗暴な雰囲気を引っ込める代わりに右手を差し伸べ、表情ばかりか所作までを、まるでイムザを救いに颯爽と馳せ参じた騎士みたいに変化させた。

 ……なんて変わり身だ。
 なにも知らない人間なら騙されるかもしれない、そのくらいに、所作が堂に入ってる。
 確か昔から兄貴は演技が巧かった。たいていの人を圧倒する外見をしているくせに、そういう表情がなぜかちぐはぐにならず、はまるんだ。

 そんな慈悲深ささえ思わせる表情は完璧で――けれども、おれに、そしておそらくイムザにとっては、どこまでも嘘くさい茶番劇。

 絶対に騙されない。
 どんな思惑があったとしても。本当に、本気で、相手のために差し伸べられた手を、おれは知ってる。

「……ひとつ聞かせてほしい」

 意を決した風に兄貴を真正面から見据えたイムザが、躊躇いがちに口を開いた。

「なんで今更、復讐なんてしようとするんだよ」
「あァ? そりゃ、お前。絶好の機会があっちから舞い込んで来るって教えてくれた、親切なやつがいたからさ」

 兄貴が無事イムザの時間稼ぎに乗ってきたことに、胸をなで下ろす。

 一人頭の戦力どころか数すら半分。しかも一人は動けない要救助者で? もう一人も腕っ節に関してはてんで役に立たないし。そしておれまでこの有様。大変によろしくない。

 けど、完全勝利だけが勝ちじゃない。
 おれの準備は整った。組み上がった術式は、いつでもこの手から解き放てる。

 あとは待つだけだ。そのときを。

「その情報源、本気で信用できるのかよ」
「信用! 利用の間違いだろ? 俺はだれも信じねぇ。この世界に信じられるものなんて、自分と、金と。あとは酒くらいだろ? 利益が一致すりゃつるむくらいはするが、それだけだ。こいつらともな」

 足下に這いつくばってるジェフリーに興味を失ったらしいごろつき連中はだれも、それを聞いたところでにやにやした嫌みったらしい顔を動かさない。本当にお互い、そういう関係だってことか。

「利害関係だけ……って、兄貴、それ本気で言ってるのか? そいつらも、情報よこしたやつも、全部?」
「……ぬるま湯に浸かって満足してるてめぇには、わからねぇよ」

 それまで表面上の穏やかさを貼りつけていた兄貴の表情が、くっと憎々しげに歪んだ。
 イムザを見下したまま、瓦礫の上で兄貴が足を踏みならす。振動で、がらがらと煉瓦の欠片が音を立てて落ちていった。

「あの箱入り坊ちゃんのおかげで、俺はあんな腐った豚箱に放り込まれて! やっとの思いで逃げ出して、さぁウルスペディア側の傭兵にでもなって気に食わないイヴァンの軍人連中殺しまくって憂さ晴らししようかってところで、肝心の戦争が終わっちまいやがった! あの坊ちゃんが最終前線に出てたなんて絶好の機会に、あと少しで届かなかった! その後は、てめぇが草むしりしてる間、俺はあいつに復讐することだけを考えたさ。騙されて、騙して、やっとの思いで生きてきた。腕を磨くために下げたくもねぇ頭下げて師事もした。くたばりぞこないのババァに顎で使われてへこへこしてるてめぇにはわかるわけもねぇだろうよ、この屈辱は!」

 おれは初めて、こんなに感情むき出しに怒鳴り散らす兄貴を見た。

 ……あれは、だれだろう。
 だっておれの知ってる「兄貴」って人は、仲間みんなに頼られて、いつだって自慢にあふれてて。絶対なににも負けない英雄なんだ。

 この期に及んでおれの記憶中の兄貴像が未だに壊れてないのは不思議なことだった。美化された記憶が、現実と重ね合わせることを拒んでるのかもしれない。
 そんな心の兼ね合いを置いてきぼりに、ああ、そうかと頭だけが認識する。

 復讐、か。
 身に覚えのある激情だ。ひとたび囚われれば簡単に飲み込まれて、それ以前の自分を見失いもする、負の感情。

 兄貴だって万能なんかじゃない、一人の人間だったんだ。
 程度は違うけど、憎しみを昇華できない、しきれないって部分で、おれと同じ種類の人間だったんだって。

 そんなことを、思った。

「わかんねぇよ。どんなに頑張っても自分のためだけにしか頭下げられないあんたの気持ちなんか」
「……なんだと」

 もはや開き直って兄貴をこき下ろすイムザの言葉に、一段と低い声が応える。

「あんたはいつまでも、人を騙して、傷つける生き方しか認められないんだな。それでも、昔のあんたが昔の俺たちにとって英雄だったのは変わらないよ。悔しいけど……変わらないんだよ。兄貴。でも……今の俺には、あんたが、最高に小さくて、恰好悪い、最っ低のクズに見える。俺はあんたを軽蔑する。あんたの身勝手な復讐の片棒なんかだれが担いでやるもんか。俺の下積み九年を! そこらにいくらでも転がってる三流チンピラに成り下がった自分本位のクソ野郎に使い捨てられて、たまるか!」

 それは実に、清々しいまでの、徹底的な拒絶だった。

 いや……そこまで言う必要はなかったんじゃないのイムザ……。確かに、うん、確かに、間違ったこと言っちゃいないとおれも思うけど。それをここで正々堂々言う必要性って……?
 あの短い時間での打ち合わせで、確かに兄貴たちを激高させて判断力を殺ぐって言ったけど。もうちょっとこう……相手側に混乱をもたらす系のやり方はできなかったのか。これ、ただの抗戦宣言にしかなってないんじゃ。

 あああぁ! ほら! 兄貴たち腹抱えて笑ってるだけじゃん!! あれぇ? みたいな顔して視線泳がせんなイムザ! こっち見んなよバカ! あぁもう頼りになんねぇなっ!

 ……って。
 なんか、ジェフリーの位置が、さっきより連中の足下から離れて……自力で、這いずって移動してる……?


 やるなら、今だ!


 判断と同時に、完成させて留めていた魔術式を一気に解き放つ。位置と範囲に精密に照準を定めた、おれが滅多に使わない複数対象魔術。

「なんだ……っ!」

 地面を割って急成長する植物の蔓が、瞬く間に六人の男に絡みつき、手足の自由を奪う。兄貴も他の五人も顔に驚愕、そして憤りを浮かべてもがいている。

 イムザはその様に若干引いてたけど、すぐに、おれの魔術に巻き込まれるぎりぎりの範囲外に逃れてくれてたジェフリーをひっさらうみたいに抱え上げて、猛然と撤退していった。

 地面に必ず存在する植物の種子に魔力を与えて一気に成長させる、おれの十八番の捕縛魔術。
 騒ぐ暇も、敵の魔術士が反撃する機会も与えない。詠唱を阻むよう、気休めなんだろうけど口も塞いである。最悪、無詠唱で魔術を使われるかもしれない。でもそれは本当の最悪の事態じゃない。許容範囲だ。

 一番重要なのは、敵にも魔術士がいると思わせること。おれたちと同じだ。魔術士が、どこからなにをしてくるかわからないから、慎重になる。一瞬の躊躇が生まれる。

 捕縛の蔓を兄貴や他のやつらの腕が引きちぎり、抜き放たれた剣が切り裂いた。
 激高した兄貴の仲間がイムザを逃すまいと罵りの文句を叫んで走り出す。自由になった魔術士の口が詠唱を紡ぎだす。

 ジェフリーを抱え速度の出せないイムザがあと少しで路地の角にたどり着くっていう刹那。

 イムザが不意に後ろへ向き直り、ズボンのポケットに突っ込んだ手を振りかぶろうとする。向かい来る連中の一人が即座に反応した。そいつが投げつけたなにかがイムザの右腕をかすめた。当たったのは短刀だったのか、イムザの腕からは多くはなかったけど血が流れ出ていた。

「これでもうお得意の攻撃は使えねぇぞ。さぁ追いかけっこの始まりだ。どこまで逃げてくれるかなー?」

 地面に落ちて中身のこぼれた袋を見て、生理的に受け付けがたい表情を浮かべた男たちの足が速度を緩める。魔術士も、ほとんど組み上がってた魔術をかき消した。どうやら趣味の悪いリアル鬼ごっこに興じる気満々らしい。

 やつらは気づいてない。
 ジェフリーを抱えて角を曲がったイムザの、苦悶を貼りつけていたはずの口元が、かすかに笑みを刻んだのを。

 そして、完全にイムザを舐めきったそいつらの頭上を抜けて、足下に。小袋が落ちた。
 それは、イムザが取り落としたのとまったく同じもの。

 状況を理解できても、今度はもう対応する暇はない。
 落下の衝撃で中身が袋の口から一気に膨張して噴き上がり、緑がかった白煙が男たちを飲み込んでいく。

「しま……っ!」

 続く言葉はなかった。一斉にごほごほと咳込みえずく音だけが聞こえる。

 おれにもイムザたちにも煙は届かない。
 投げた袋が狙った場所に着弾したのを見届けてから編んだ魔術の微風が、おれたちを守っている。

 煙が時間をかけることなく薄れていくまでを、おれは袋を放った場所、一部始終を見渡せた廃墟の二階の影から見下ろしていた。

 そして煙が晴れたあとの地面に。
 まとまって四人。少し離れて魔術士らしきやつが一人。全身を痙攣させて倒れ伏していた。

 おれたちが望める勝利条件は、離脱。
 チェックメイトは必要ない。

 ……こいつらに関しては若干、チェックメイト感もするけども。