この、昨日から吹き荒れるあの人、おれの養い親関連の衝撃の事実と疑惑の嵐。
 とりあえず昨日の侯爵子息サマとの酒盛りで生まれた侯爵子息サマ生き別れのきょうだい説は消えた。あー……昨夜のあれは酒盛りなんて無粋なもんじゃなかったな。おれはともかく侯爵子息サマのは『嗜み』の域だった。寝る前、グラスを傾ける姿を絵にして売ったらボロ儲けできそうだなって皮算用しながら毛布を被ったんだっけ。まあ、それはどうでもいい。

 とにかくきょうだい説は消えたわけだ。ばあさんが嘘をつくメリットなんて、最後にいけしゃあしゃあと言ってのけた「いつか暴露して弟妹分の阿呆面を見るのが積年の夢だった」なんて個人の楽しみ以外にないと思うから、たぶん嘘は言ってない。

 なんだろうな……そのおかげできょうだい説より遙かにインパクトある魔族疑惑なんつーとんでもないもんが生まれたのは。
 ……行方不明はよくあることらしいから気長に待つにして。
 おれはいつかあの人に会えたとき、いったいなにから問いただせばいいっていうんだろう。もう言いたいことはあとでいいから。聞きたいことが多すぎて。

 王都に戻ったら箇条書きにでもして質問優先順位決めておこう、そう心に決めた。



「喧嘩だな」

 おれがエルシダを離れた時から特に目新しいものが増えたわけでもないってことで、おれたちは昔懐かしい根城見学ついでの後輩の様子見に貧民街に向かっていた。その道の途中だった。

 複数人で言い争っている声、そのあとに続く衝撃音が、喧嘩だろうなという情報を得られる程度には聞こえてくる。おそらく今歩いてる表通りの一本隣、裏路地からのものだ。

「こんな真っ昼間から喧嘩とか……むしろ懐かしいっていうか」
「あー。下町っつってもここらはもう貧民街の連中も出入りするエリアだからな。あそこの大人連中は相変わらず一日中酒浸りさね。騒ぎが起こすのに昼も夜も関係ないって」

 イムザを見ると、少しだけ迷っている顔だった。
 トラブルはできるだけ避けたい。野次馬心で見に行って、そこで胸くそ悪い光景を目にしたところで、赤の他人を助けてやるような無償の愛はさすがにイムザも持ち合わせてないだろう。昔に比べればそれなりの強さを手に入れたんだろうが、所詮『それなり』だ。そして偉そうにイムザの強さなんてものを分析するおれ自身、『それなり』の部類に入るんだろう。おれはねじ伏せる絶対の力なんて持ってない。せいぜい、奇襲と小手先でなんとか命を拾えるかって程度の力。
 そんなおれたちが二人揃ったところでできることはたかが知れてる。
 第一、赤の他人にふりかかる暴力を代わって引き受けてやれる自己犠牲精神は、身を滅ぼすことに繋がるしな。

 ーーまた、感情むき出しの声がした。
 さっきより聞き取りやすい緊迫したそれは、明らかに子どものものだった。
 しかも、おれにも聞き覚えのある、一瞬で顔が浮かんだ子どもの。たぶん間違いじゃない。証拠に、イムザの顔からはざぁっと引くくらいの勢いで血の気が失われてる。

「イムザのアニキ!」

 控えめな叫び声が後ろからイムザを呼んだ。
 振り返ると、額からだらだらと汗を流し、全身で呼吸をするおれと同じくらいの背格好をしたちぐはぐな服の少年がいた。
 絞り出すような声でロビンと呼ばれたそいつは、よほど走り回ったんだろう、窮迫した様子でイムザに詰め寄った。

「やっと見つけた! 薬屋に行ってもいないんだからっ!」
「悪い。外で昔馴染みと話し込んでた。……あの人なんだな」

 きっと路地裏の加害者側を指した確認にロビンがしっかり頷くのを確認して、イムザは小さく舌打ちした。

 イムザの言うあの人っていうのは、まず間違いなく兄貴だ。ばあさんの薬房で、戻ってきた兄貴との間でなにがあったのかって追求に言葉を濁し、街歩きをしながら散々話をそこに持っていってものらりくらりとかわされて。結局、なにかのために脅されてるってことくらいしかわかってない。
 なにかを拒んでるからこそのこの事態なんだろう。きっと、イムザにとって譲れないなにかに違いなかった。

「伝達は」
「さっきルイを行かせたよ。ティグのアニキも他のが呼びに行ってる。でもティグのアニキはともかく、あいつらが来るの待ってたらジェフリーが殺されちゃうよ」
「俺が出てくるまで殺さないさ。くそっ! 見つかったらとにかく逃げろって言っといたのに…………いや。俺がちゃんと始末つけられてればよかった話だよな」

 ままならなそうに前髪をかき上げて、おれにまで「絶対来るなよ」と釘を刺し。イムザは腹を決めた意志の宿る瞳を路地裏の影に足を向けた。その腕をロビンがつかんで引き留める。

「まさかあいつらの要求呑むなんて言わないよな?! アニキ、それだけは絶対しないって言ったじゃんかよ!」
「呑むわけないだろ。そんなことしたら連中と一緒に俺もおまえらも破滅だって。……時間稼ぎくらいなら俺にもできるだろってことだよ」

 こいつがなにを言ってるのか本気でわからなかった。おれにすら後れをとる身体能力で、魔術士ってわけでもない見習い薬師が? 十年前の時点で並大抵の大人でも手を焼いてた兄貴に立ち向かおうって?
 無謀過ぎる。ロビンが止めなかったらおれが止めてた。

「なに言ってんの、無理だよ。絶対無理。アニキ弱いんだから! せめてティグのアニキが来るまで待って」
「待ってたら今死ななくても命の危険には変わりないだろ。……そんなマジ不安な顔やめてくれよ。準備する時間はあったからな。俺には俺の戦い方があるんだよ。大丈夫だって。ティグが来たらちゃんと説明しろよ」

 ルイの手を引きはがし、イムザは大股で路地裏の影に姿を潜ませて渦中に近づいていく。

「なんも言わないと思ったら……来るなって言ったろ」

 イムザは後を追ってくるおれを迷惑そうに振り返り、猫を追い払うみたいに手を振った。
 成人男性として少年の手を退けるくらいの力はあっても、イムザのいうイムザなりの戦い方とやらがどんな有効な力でも、兄貴に拮抗できる、そんな図はおれには欠片も思い浮かばなかった。

「今さらおれがおまえの命令聞くと思う?」

 いくつも服についたポケットの中を確かめるようにまさぐりながら、イムザにしては珍しい無表情でおれを見ようともせずに言い放つ。

「おまえは関係ない。おまえは、これ以上関わるな。下手に首突っ込むと二度と太陽拝めなくなるかもしれないぞ」
「だから。おれがそんな陳腐な脅しで本気で引き下がると思ってんの」

 もうすぐ近くまで来たっていうのに、加害者側の下品な笑い声に対し、衝撃音の後に続く子どもの潰れた声はやけに遠い。ここでおれを引き返させるのに時間を費やしてる場合じゃない。それはイムザも承知のはずだ。

「時間稼ぎなら、魔術士のおれが役に立てる。鉄壁と組んでの話だったけど、やばいやつらとの実戦経験もある。イムザよりはうまく立ち回れる」

 苦笑いしたくなるくらいにいい体格した男連中五人に囲まれて、足蹴にされてる小さい体が見えた。
 少しでも内蔵へのダメージを減らそうと体を丸めている子どもの、あの少しくすんだ藁色の髪。間違いようもなく、おれに朝飯をタカってきたあいつ。ジェフリーだ。

 そして、唯一ジェフリーに直接手を出していない六人目。
 まるで猿山の大将みたいに瓦礫の山に鎮座して、丸太みたいな腕を組み、仲間が子どもに私刑を下すのをつまらなそうに見下ろしている、男。

 ああ、そうだなイムザ。
 本当だ。一目でわかるよ。嫌でもわかる。

「……だァホ」

 消え入りそうなため息混じりの呟きは、おれに、ジェフリーに向けたものなのか。それとも兄貴に。
 ただ、憎しみと決意に満ちたイムザの目は、ただ六人目の男にのみ向かっていた。

「戻ったら一切合切全部吐け」
「戻れたらな」

 それはおれの協力を受け入れたことの、証。