ジェフリーと名乗ったタカリの子どもは別口注文だから追加料金と言い張って、賑わい始めた下町屋台通りで散々食い物奢らせやがった。したたかで結構なことだが、おかげで財布の中身が一気にレッドゾーンに突入したぞ。

 毎月の奨学金からいろいろ必要最低限を差っ引くと、自由に使える金なんてスズメの涙しか手元に残らない。特待生は文化的な人間であることを捨てたくないなら圧倒的に金が足りない。
 ……まぁ、国の金でそこまで面倒みる必要あるかっていわれたら、当事者のおれでも「否」だと思うけど。

 学院側もそれをわかって、特待生には時々単発の仕事の斡旋が入る。学生向けに持ち込まれる仕事は危険度も低いし、依頼主の人間性を疑う必要もないから手っとり早く、割もいい。
 まぁ、たまーに学院事務員の選定の目をかいくぐって、時々とんでもないのが混ざってたけど。
 おれがぶち当たった最たるヤバいやつは遺跡探索チームの護衛だったな。日程長めなのを猶予すれば楽な仕事だと高をくくってたら、蓋を開ければ国の委託探索チームは盗掘集団で、気づけばこっちも盗掘の片棒担がされかけてた。結論だけを言えば、全員伸して軍に引き渡したわけだけど。組んでたのがアイザックじゃなかったらああまでうまく事を運べなかった。アイザックは普段は暑苦しくてうっとうしいだけなのに、有事になると頼りがいのある壁……いや、前衛と化す。おかげでおれは最低限の注意を払うだけで盗掘者集団の無力化に専念できたわけだ。

「にーちゃんアレアレ。あの飴ほしい。大袋で」

 っておい、おまえ当面の稼ぎを全部おれで賄おうとしてるだろ。いい加減にしろ。

「おれの財布の中身、底なしだと思ってんの」
「リーダーに会いたくないならいいよべつに」
「よしわかった。これ以上タカるんだったらその分リーダーに代金を請求する」
「なんだよー。わぁったよ」

 露店に並んだ飴袋にかじりついていたジェフリーの目は、おれに促されて歩き出した後も二度、三度、名残惜しそうに飴に吸い寄せられてる。……おい、聞こえたぞ。今舌打ちして「けちくせ」っつったろ。
 ケチで結構。ちょっと今月厳しくて……なんて、なったばっかの上司に金の無心のお伺い立てるとか、マジ勘弁。それともこれは必要経費で請求するべきなんだろうか。あり得ない。何に必要だったかって、めちゃくちゃ個人的な事情じゃん。おれはジョエルを敵に回したくない。

「場所は教えてやるけどさぁ、ウチのリーダー昼間は仕事してるしー、そこんとこのばーさん気むずかしーから仕事中に話とかムリだと思うー」

 猫の通り道みたいな細小路をするするとすり抜けていくジェフリーを追いかけて、次に入ったのもまた大人だったら肩幅でつっかえる幅の路。わざとだな。くそ、おれ小柄でよかった。嬉しくないけどよかった。
 その路からいくらか人の行き交う通りに出たところで、ジェフリーは小さな店の玄関に続く階段を一段跳びで駆け上り、小窓から中を窺ってしたり笑った。

「ラッキー。ばーさんいないっぽい」

 ちょっと待っててと言い含められたおれは店の雰囲気と漂ってくる嗅ぎ慣れた匂い、背の高い雑草に隠れて見えない店名を確認し、基本客の来ない店だと判断した。ところどころひび割れて塗装の剥げた、砂まみれの階段に腰を下ろす。

 小上がりの階段から眺める街は、懐かしいようで見知らぬ場所だった。
 ついさっきジェフリーを追いかけて通った細小路は記憶の端に引っかかった。きっと昔おれも使ったことのある道なんだろう。それが今では案内される立場とは。地面から離れた足で宙を歩いているような心許なさを覚える。
 物理的に高くなった視点。離れていた時間。なによりも、年月を得た価値観の変化。
 そんなものがきっと、かつて日常だったはすの景色を新鮮に、そして遠く色褪せたものに見せている。その中において、黄ばんだ空だけは染みついた記憶のものと変わらない。憧憬ってもんはこんな、置いてきぼりを自覚させるもんなのか。

「……おまえさぁ、なに得体の知れないやつほいほい連れてきてんだよ。アホなのか」
「えー。だってあのにーちゃんヤな感じしなかったしー」

 成人した男の声、そしてジェフリーの声が耳に届く。外まで会話が聞こえてくるとか、どんだけでかい声で話してんだ。でも相手の気持ちすごくわかる。ジェフリーは普通に話してて声がでかかったから、おれもつられてつい声量が上がってた。

「だアホ。悪いやつがわかりやすくヤな感じしてるとは限らんだろが」
「子どものカンセイはあどなれないから大事にしろって言ったの、にーちゃんじゃんか。あーあ。にーちゃんは汚い大人になって、純真な子ども心忘れちゃったんだなー」
「はいはい。侮れない、な。おまえはとりあえずここで純真に謝ってろ。だいたいもう俺リーダーじゃないって言ってんのに……ったく……」

 ぶつくさこぼしながら外に出てきた男を見て、やっぱり、と胸中で呟く。
 緑と茶色のまだらに染まった前掛け姿の、二十歳前後の男がおれを見下ろしていた。拍子抜けした顔なのは、客が想像以上にガキだったせいだろう。特に目立った特徴のない、いろんなところで「似たようなやつを知ってる」と言われてそうな朴訥とした外見。その内側に面倒見の良さと、一度決めた信念を曲げない強さがあることを、おれは知ってる。

「あー、なんかせっかく待っててもらって悪いんだが……俺がアタマやってたのって昔の話なんだわ。何の用があるのか知らないが、また案内させるからさ、そっち行ってくれや」
「いや。おれが話したいのはおまえだから。忙しいなら時間か日を改める」
「はぁ……そりゃ、ご指名どうも? あー……そう。そちらさんが昼まで待ってもいいっていうなら、俺もまあ、話くらいなら……」

 どちらかといえばつり気味の目が、おれを、同時に自分の中のどこかを探るように細められる。渋色に色づいた指をうっすら髭の剃りあとの残る顎に添わせ、上半身を乗り出してまじまじと凝視してくる顔。それがあまりにも変わらなさすぎて、わき上がってくる笑いを、腹筋に力を入れて耐えた。

「……おまえさ。なーんか、どっかでさぁ……」

 それだけ言って、また記憶を掘り起こす作業に戻る様子に耐え切れず吹き出したおれを見て、余計に怪訝な顔になってる。肩を震わせ、おれはどうにか切れ切れに言葉を継いだ。

「思い出せないなら、手伝ってやろうか? リーダーになってすぐの頃、男の箔をつけてくるって……っ、夜の花街に繰り出して、なーにを間違ったのか男娼館の」
「ぬぉあ゛ぁーっ!! 朝っぱらからなに言ってんだおまええええ!!」

 皆まで言わせてたまるかとばかりの魂の叫びに、おれは大人しく口を噤む。うん、それ以上を口にする気はない。いろいろ人生の方向性を危うくする一歩手前で間違いに気づき、方々の体で逃げ帰ってきた、なんて情けない黒歴史、往来の端っことはいえ誰が聞き耳立ててるかわからないところで。まぁ、これ後聞き情報だから、あんまり詳しいこと知らないんだけどさ。当時おれはまだジェフリーより人生経験短いガキだったし。

「おまっ……! ちょ、待て! 待ておまえ! まさかっ」

 前掛けの男は顔色を青くしたり赤くしたりと目まぐるしく変化させ、目を見開いてわなわなとおれを指さした。

「イムザにーちゃんっ?!」

 外から聞こえた奇声に驚いたんだろう。ジェフリーがドアを蹴破る勢いで転がり出てくる。
 おれと男の背中を見比べて狼狽するジェフリーに気づいた様子もなく、男は、は、と短く息を吐き出した。そしてしだいに小刻みに全身を震わせ始め、しまいには体を「く」の字に曲げて抱腹し、近所迷惑お構いなしにさっきの魂の叫びに負けずとも劣らない声を上げた。

「かっ……変わってねぇーっ! あっははははっ! うっわ嘘マジぃ?! ホントに全っ然、変わってねぇっ! はーはははっ! その、無愛想が服着てますよってツラ! やっばい! なんで俺すぐ気づかなかったーっ!」
「そっちは相変わらずの平凡を絵に描いた風体で」
「その減らず口! やべ、懐かしすぎるわ! ちょ、おまえ何年ぶり?! 俺がここ弟子入りしたちょっと前だから……九年?! そりゃでかくなるわけだ!」
「でかくなったって感想、久しぶりに会った近所のおっさんの言うことだから」
「でもって中身はコレでまったく変わってないと。ぶはっ!」

 ひーひー言いながら悶絶する自分の前・リーダーに、ジェフリーがなんとも表し難い顔でなにかを言いかけて、やめた。そりゃ絡みづらいよな。

 ひとしきり笑い続けて気が済んだらしい。顔全体を上気させたまま眦の涙をすくって何気なく辺りを見回し――そこでようやく往来や近隣の目を気にしたようで、イムザは居心地悪そうにおれとジェフリーに屋内へのドアを促した。

「仕事中なんじゃねぇの」

 まだ顔をにやつかせたままイムザが前掛けを外すのを見て苦笑する。

「あぁ? いいのいいの。懐かしい顔見てこんな気分いいってのに、変な匂いの草なんて潰してられっか。店じまい店じまい。どうせ滅多に客の来ない店だし」
「おまえの店じゃないだろ」
「だぁからいいんだって。理由がおまえなら師匠も容赦してくれるだろ」
「なるほど。おれはサボリの口実なわけ」
「そういうコト」

 イムザはすっかり大人のものとなった顔立ちに悪童の面影を覗かせ、にやりと犬歯を見せて笑った。

 外からの見た目に正しく極狭の店の中は、混沌としていた。カウンターに雑然と広げられた本や雑貨、皮袋。内部の中心で異様な存在感を放つでかい壷。壁一面を占拠する小壷と木の小箱の納められた棚。

 『ジルの薬屋』

 店の外に存在を隠すように掛かっていた小さな看板には、そう記されていた。
 それ以上にこの店が薬を扱う店だと主張するのは、入った瞬間に目と鼻と口に侵略する、噎せかえるような匂いだ。
 摘んだばかりの草の青臭さに、腐葉土に近い甘いような酸っぱいそうなむわっとする匂い。そこに混ざった黴といぶし煙の匂いはこれまたごちゃごちゃとした中身の本棚からのものだろう。とにかくいろいろな強烈な匂いが混ざって、狭い店の中は見えない煙が渦巻いているようだった。

「きったないだろ、ここ。俺も片づけたいんだけどさ、ていうか片づけてるんだけど、そのたび勝手に動かすなって元に戻されて怒られるんだぜ」

 擦り潰されかけの茶色の粉末が入った乳鉢といくつもの乾燥した草を脇に寄せ、机の上にスペースを確保しながらイムザはぶつくさ愚痴っている。いやでもそれ、おまえ、端に寄せてるだけだよな。片づけてないじゃん。それ片づけられない人間のやることだぞ。この種類の人間、おれ王立学院で腐るほど見たもんよ。こいつ師匠をどうこう言えない気がする。

「いや……汚さとかの前にさぁ……オレ、やっぱここのニオイどーしてもダメー……」

 ドアを閉めずに鼻をつまんでいるジェフリーに、おれはあぁなるほどと納得する。最初玄関で大声張って用事済ませようとしてたもんな、こいつ。慣れてないなら無理もないと思うけど。

 にーちゃんなんで平気なわけ、と化け物みたく見られ、わりと慣れてるからと言ってドアを閉めた。ジェフリーから恨みがましい目で睨まれる。いや、ドア開けっ放しじゃ砂入ってくるから。気分的にも込み入った話しづらいし。

「はは。そりゃ慣れてるわな。あの姉ちゃんも薬師だったもんな。でもさすがにここよりは片づいてただろ」
「年季入った掃除と整理整頓のスペシャリストがいたから、そのおかげで? でも薬房の匂いはここと変わんなかったな」
「あー……あの白い兄ちゃん?」
「や、黒い方」
「うわっはは! マジで?! あの無口なおっかない方の兄ちゃんが、掃除! しかもスペシャリスト! おいおい、おまえ俺を笑い死にさせに来たわけ?!」

 すっかり笑いの沸点が低くなってるイムザが机をばしばしと叩いて悶えている。勝手に開けた窓の近くでこれ見よがしな呼吸をしていたジェフリーが、しらけた様子で言った。

「にーちゃんたち知り合いだったのなー」

 飴色の半眼は、言ってくれりゃよかったのにと語っている。確かに、そうすればおれの財布の中身は痛まなかっただろうけど……ああ、うん。なんで言わなかったんだろうな。
 この子どもがおれの説明を信じて報酬なしに仕事をしてくれるかどうかが怪しかった。
 理由をつけるならこうだ。今考えた。でも実際はおれが説明するのが面倒だったからだ。無意識に説明の手間と金品の持つ信頼性を天秤にかけて、問答無用で後者が勝った、そういうこと……だと思う。まあ、過ぎた話だ。金は返ってこない。おれだったらこの場合、一度自分のものになったものは返さない。

「おうよ」
「不本意だけど」
「なにが不本意だこのボケ。嬉しいくせに!」

 体格差にまかせてかけようとしてきたヘッドロックをするりと避わし、反対に肘をとって関節技かけてやった。情けない悲鳴があがる。

「図体でかくなっても相変わらず弱っちいのな」
「お、おまえは小器用に磨きがかかってんのな……」

 イムザは肘を抱えておれから距離をとると、「容赦ねぇ」と呟いて疲れた様子で丸椅子に腰掛けた。そりゃあんだけ笑い転げれば疲れるだろ。
 元リーダーがやられているのをけらけら笑っていたジェフリーだったが、おもむろに開けていた窓枠に飛び乗ると「じゃ、オレもう行くわ」と手を振った。


「にーちゃん! ここにいる間にさ、今度イムザにーちゃんの恥ずかしいムカシの話、聞かせてくれよなー!」

 イムザにさっさと行け、余計なことしないでまっすぐ帰れと後押しされ、声のでかい子どもは息の詰まる匂いの充満する店から逃げていった。

 ジェフリーの出ていった窓をやれやれと言わんばかりに閉めてから、おれを振り返ったイムザはそういえばと世間話を始めるような気安さで――しかしさっきまでのはしゃぎようが削ぎ落とされた落ち着きをもって、話を切りだした。

「で? ラト、おまえどした? ただ懐かしがりに来たってわけじゃないだろ」

 ジェフリーは、よく空気を読める子どもだ。貧民街に生きる子どもたちはそうでないと生きていけない。おれもイムザもそうやって空気を読んで、危険なラインぎりぎりに、縄張りを守る猫みたいに生きてきた。自分の身の程を見極めつつ、自分たちを率いるリーダーの意図に逆らわないように。一見無秩序に見えるかもしれない貧民街の人間だが、こういう部分は貴族なんかよりよほど秩序に満ちているとおれは思う。

「まさか。元々は仕事って名前の道楽にくっついて来させられただけだったんだけど。ここ今どんな感じなのか知りたいと思ったらさ、あいつ、ジェフリーに引っかかって」
「ははっ、タカられたか。立場逆転だな」
「おかげで財布が軽くなった」
「悪いねぇ、うちの財源になってもらって。なんならこのまま財布になっとく? 宿代くらいサービスするぜ? 雨漏りしまくり風通し抜群日当たり最悪の我がホームは今日もノミとネズミのペット付き、今なら専属見習い薬師様がついてるぜ」

 悪い顔でにんまり笑うイムザ。半分くらい本気で言ってるんじゃないだろうか。

「最後の一つが余分」
「なんだとコラ。こちとら見習い歴九年だぞ。この店の薬、ほとんど俺が採集して半分以上俺が作ってるっての」
「この店、成り立ってんの?」
「成り立つんだなこれが。旅人向けの店への卸売りと下町への往診でさ。で、師匠今、往診中」

 そういえばそうか、とおれはこの町での記憶と、薬師である養い親から得た知識を思い起こす。

 貧民街は当然、下町でさえ滅多な家じゃ医者なんて呼べやしない。目ん玉が飛び出るくらいの診療代が必要だって聞くし、そもそも呼べる医者の存在が地方に行けば行くほど少ないからな。治癒魔術の使える魔術師なんてさらに眉唾モノで……あ、キャパシティは低いがおれもその眉唾モノの存在になるんだな。そういえば。
 それはともかく、辺境の地では古くからその町や村に根付いた薬師が医者の役割を担っていて――エルシダに何人の薬師がいるのかは知らないが、下町の人間の生命線の少なくとも一部を、この店は握ってるってわけだ。加えてエルシダは交易街。旅人も多いから、安価な常備薬を求める人間もいれば、体調を崩して薬師にかかりたい人間も多いんだろう。
 薬師の基本理念は『先人の知恵の伝承と施し』らしい。だからほとんどの薬師は診療・薬代を誰にでも手の届きやすいものにしているって。それでも、届かない人間には届かないんだけどな。
 ……金を落とす貴族がごろごろしてるおかげで医者がたむろする王都の方がよほどおかしい。学院は学院で医者だけじゃなく治癒魔術師やその見習いまで身近にあふれてるし。そのせいもあるよな、おれの感覚が常識から外れてる一因。ちょっとまずいぞコレ。常識、一般レベルに戻してかないと……。

 いつの間にか自分の原点の常識から遠ざかっていた事実に若干顔を引きつらせ、それを修正するのに咳払いをしたら首を傾げられた。気にしないでほしい。

 気を取り直して単刀直入に訊ねた。
 渋るジェフリーを食べ物で釣り上げ、イムザの元へ案内させた、本題を。

「戻ってきてるって、聞いた。……兄貴」

 兄貴。
 その呼び名を聞いたイムザは、正しく、苦虫を噛み潰した。
 目を泳がせ、なにから話していいものか迷う素振りで「あー……」とたっぷりの前置きをおいてから、頭痛そうに言うことには。

「おまえ、タイミングの引きは昔からよかったっけな……。正直、おまえが姿見せたときからさ、いつその話出されるかって肝冷やしてたわー……」

 音を立てて壁に頭をぶつけ、天井を仰いだイムザの渋面からは、到底明るい話なんて期待できなかった。