曲がった腰に鉤鼻、小さな背丈。人好きのしない目つき。まるっきり子ども向けの絵本から抜け出した『魔女』そのものの風貌で、老婆は腰を半分浮かせたイムザをじろりと睨みつける。

「あたしがいつ、サボっていいって言ったのかね」

 低いしわがれ声がまた、魔女感を煽る。人の根元部分に寒気を走らせる種類の声だ。逆らっちゃいけないと芯の部分が囁くカンジの。
 ここまで気難しさ全開のばあさんに会うのって初めてだ。正直、すみませんでしたって一言断ってダッシュで逃げたい。それこそジェフリーみたいに窓からでもいい。

 再会したばかりの旧友を見捨てるべきかおれが本気で悩んでいる間に、老婆の視線を受けて石化していたイムザは復活し、しどろもどろと言い訳にもならない句を継いでいた。

「あ、いや。その。あ、……え、えーと、ですね」
「朝一番の仕事を済ませて帰ってきた師匠におまえは労いの一言もないのかい、ええ?」
「おつとめお疲れさまです! 師匠!」

 どこのチンピラのセリフだよと目眩を覚える労いの言葉を弾かれたように叫び、敬礼の真似事までするイムザ。それでいいのか。
 弟子の労い?をつまらなそうに一瞥した老婆は、のっしりした足取りで店の奥、つまりおれたちの方に近づいてきた。いや、この人にとっては自分の店なんだから当たり前だよな、中に入ってくるのは。それなのに、うわ、来た、と思ってしまうのは……ああもう薬師ってろくなのいない……!
 よしとりあえずイムザを盾にしようと決め、下がろうとしたおれの両肩を、後ろからがしっとつかむ手が。

「ちょ、おま……っ!」

 身を翻して逃れようとするも叶わず、そのままぐいぐいと前に押し出され……、っておいイムザ! おまえどこにそんな力があった! くそっ、やっぱまだ純粋な力じゃ勝てないっ!

「なんだね、これは」

 気づくと、すぐ目の前にしゃんと背中を伸ばし、これ呼ばわりしておれを見上げる老婆。見上げられているのに見下されてる気がするのは、きっと気のせいじゃないに違いない。皺に埋もれた小さな目は、そこらのチンピラどころかエルディアード家の門番と比べても遜色ないんじゃないかってくらい迫力に満ちていて、圧されてつい仰け反った。

「み、見覚えありません?! ほらーこのふてぶてしいツラとか」

 おれを物理的に盾に、なおかつおれをダシにして、サボっていた事実をなあなあにしようとしてやがるな、こいつ。
 ごり押しでごまかされるばあさんには見えないんだけど……つーか、ダシにするのは十歩譲っていいとして、板挟みにするのやめてくれる……? せっかくハラルドにジョエルとの板挟みにされそうになったの逃げてきたのに、ここでもか。まさかの展開だ。

「あぁん? 年寄りの忘却力を見損なうんじゃないよ、若造。ふてぶてしい子どもなんていくらでも転がってるじゃないかいエルシダには。もし会ったことがあるにしてもいちいち覚えてなんぞいやせんわい。どうせおまえのところのろくでなしだろう。その割には身綺麗に見えるがね。そんなことより、あたしが言いつけておいた仕事は」
「いやいやいやいやこっちこそそんなことより。九年前、俺を師匠に紹介してくれた薬師の姉ちゃん。こいつあの姉ちゃんがここから連れてったやつですよ! ほら、ラムロットの!」
「ラムロットぉ?」

 おれの頭の横へと向かっていた人を刺殺できそうな目が、イムザが口にしたラムロット、その単語と同時におれに突き刺さった。
 がっちりと肩をホールドされて動けないおれが最大限身を引かせ、視線を埃の積もった梁へ逃している間、遠慮もへったくれもなくじろじろとばあさんに観察される。穴が開くほどの視線とか言うけど、ホントそんな感じ。見られて息が詰まるとか、おれ、初めてかもしんない……。

「あんた、名前は」

 問いかけは意外にも喧嘩腰ではなかった。とっつきにくさはそのままだったが……これはなにかに興味を惹かれた者が探求心を満たすための譲歩の姿勢だと、すぐに気づく。学院で、初めは敵意むき出しだった同級生が知的好奇心をくすぐられたらしく近づいてきたときと同じだ。

「……ラト・ヴァロア」

 ばあさんがおれを見て、イムザを見て、またおれを見る。
 そうしてからややあって嘆息し、抱えていたままだった籠をカウンターに置いて、ゆるゆると首を振った。驚いてるんだか、呆れてるんだか、どっちともつかない様子だった。どっちだったとしてもなんでそんな反応になるのか見当がつかなくて、眉間にしわを寄せて怪訝な顔を向ける。ばあさんは鼻を鳴らし、猛禽類に通じるところのある小さな目をぎらりと輝かせた。

「あの時の小汚かった子どもねぇ……。人間なんてのは簡単なもんだ。置かれた環境でこうも変わる」

 どうもおれのかつての小汚さがばあさんの忘却力に勝ったらしい。嬉しくない勝利だなおい。
 これ見よがしにおれとイムザを見比べて、ばあさんは鼻で笑う。イムザ、言うほど小汚くないと思うんだけど。むしろ昔より身綺麗に見える。ジェフリーもそうだった。ノミとネズミがペットとか言うわりには、けっこう衛生状態改善されてんじゃないだろうか。

 嵐が方向を変えて弱体化したのを見計らって、イムザがようやくおれの肩から手を離した。おまえ覚えてろよと軽く睨むとジェスチャーで謝罪が返ってきた。神妙な顔を作ってはいるけど明らかに頬が緩んでる。……まぁ、いいけど。

「……ヴァロアの名を貰ったのかい」

 ばあさんがぽつりと呟いた。
 気難しい魔女を思わせる雰囲気からほど遠い――むしろ穏やかな、椅子に揺られてまどろむ夢見心地の老人然とした呟きだった。

 あれは王立学院の入学願書記入をしていたときだ。
 横からのぞき込んできたあの人が、あって邪魔にはならないからと広い記入欄に寂しく『ラト』だけだった場所に勝手に書き加えたヴァロアの文字。おれはそんな素っ気ないきっかけで『ラト・ヴァロア』になった。
 入学後、やたらと長い家名やミドルネームまで持つ魔術部の貴族連中の中で、姓を足してもなお短いおれの名前は字面だけでもひどく目立った。なるほど邪魔にはならないとはこういうことかと納得した。

 おれにとってそれ以上の意味はない。
 あの人もなにも言わなかった。
 べつに、その出来事をもって家族だと認めてくれて嬉しいなんてこれっぽっちも思わなかったし。比較の対象がいなかったからじゃないかと思う。あの人にはおれより前から血縁関係のない同居人が二人いたけど、二人とも一度もヴァロアを名乗らなかった。それはそれで今考えるとおかしいような話だが、ラムロットの村で家名が必要になる用事なんてなかったから、別段おかしくはないのかもしれない。

 毒気を抜かれた気分で「いちおう、貰った」と応えると、ばあさんはさっきまでイムザが座っていた椅子にどかりと腰を下ろした。そしてテーブルの隅に追いやられた調合途中の乳鉢を一瞥すると、無言でじろりと弟子を睨んだ。実に不自然な笑顔でそろそろと乳鉢を回収していったイムザの背中に「ついでに茶でも煎れてきな」と言いつけて、テーブルに残された水分の抜けた草のひとつを手にとり、皺の刻まれた指で感触を確かめる。不機嫌の中にまんざらでもなさそうな色がのぞいた。イムザはどうやら確実に薬師としてのキャリアを積んでいるらしいことが窺えた。

「どうだい、あそこでの生活は。あの人と四六時中顔をつきあわせるのは疲れるだろう?」
「……はぁ、まあ」

 あの人、人のこと言えたもんじゃないばあさんにまでそんな評価されてるのか……。
 ばあさんはおれの返事をそれ以上求めることなく、ただ突っ立ってたままのおれに有無を言わさぬ口調で「そこに座りな」と命令した。大人しく座る。それを見届け、ばあさんはこれまた魔女という言葉の似合う嫌みったらしい顔で、薬草を弄びながら口を開いた。

「あの人だけじゃない、あとの二人も大概だからね。鬱陶しいのとだんまりと。三人とも文句のつけようがないのは見目の良さだけ、ってね」

 黄ばんだ歯をのぞかせてひっひっと笑うさまは実に陰険極まりない。悪の魔女だ。それはともかく、この様子だとばあさん、あの人が行方不明ってこと知らない……?
 それとももしかするとあんまり普通にあの人が顔出して帰ってったから行方不明中だなんて認識がないのかもしれない。それに期待して、訊ねてみる。

「ばあさん、あの人と最後に会ったのっていつ?」
「口の利き方がなってないね。……まあ、あの人たちにそういう躾を求めるあたしが間違ってるのかねぇ……ふん。あんたを拾ってったあの時から、とんと顔を出しちゃいないよ。それがどうしたね」

 ダメもとではあったけど期待外れにテンションが下がる。元々低いけどさ。ついため息をつくおれの様子にばあさんが片眉を上げた。

「なんか、行方不明中らしいんだけど。たぶん二人も一緒に」
「またかい。引きこもりのくせに突発放浪癖だなんて厄介な性質してるからねぇ。あの二人も止めるのは最初だけでたいして役に立ちゃしないんだから」

 軽い調子で「また」って……え、これそんな頻繁にあること? あの人とばあさんのつき合いがどんだけなのかは知らないけど、どう高く見ても二十代にしか見えないおれの養い親と、そんな長いつき合いってわけはないはずだ。その中で頻繁って、あの人はどんだけのばあさん曰くの突発放浪を重ねてきたんだと不思議になる。

「それにしてもやけに他人事じゃあないか」
「おれ四年前にラムロット出たから。行方不明、最近知って」

 イムザの煎れてきた澄んだ黄緑色の液体を一口含み……想像以上の味に顔をしかめてカップを置いた。口に入れた分は根性で飲み下した。水。水欲しい!
 渋いなんて言葉じゃ言い表せない。青臭さとも違うえぐみのあとから遅れてやってくるハッカみたいな清涼感が、こう、逆に胸のあたりをむかつかせて……。やばい、油断すると食ったもの出そう。
 そんなシロモノをイムザは「慣れれば意外とクセになるぜ?」なんて言って平然と飲み下してる。これはあれか。この、茶とは呼べない危険な液体を常用できるようになるのが薬師になるための第一歩とかそういうのなのか。
 ばあさんもこの液体をなんでもない顔で啜り飲み、かちゃりと音を立てて空になったカップを下ろした。

「心配かい」
「いや全然」

 おれの即答にばあさんが声を上げて笑う。引き気味に空のカップを回収するお茶くみ弟子が奥から戻ってくるまでばあさんは笑い続けた。

「その通りだ。心配なんてするだけ無駄だね。ほっときゃそのうちふらっと帰ってるだろうさ。気長に待つんだね」
「……あの人の謎が深まったんだけど。主に年齢」

 また、ばあさんが高笑う。
 今度の笑いはそこまでの長さじゃない。ただ、笑いの尾が消えたばあさんはさっき初めて顔を合わせたとき以上におれを値踏みしてきた。小さい瞳に宿るおれの深層まで探ろうとする強い光は、ひどく居心地悪かった。

「師匠ー。結局、あの姉ちゃんとどういう関係なんすか。あの姉ちゃんの師匠です?」

 空いている椅子がなかったらしくジェフリーが座っていた出窓に行儀悪く腰掛け、イムザが声を張る。こいつ、師匠が怖いのか怖くないんだかよくわからない。

 てことはもしかしなくても俺、姉弟弟子? へらっと相好を崩したイムザを鼻で笑い、ばあさんは瞳を閉ざした。

 このばあさんがあの人の師匠。
 おれは、それはないと思った。ばあさんの言葉の端々からあの人に向かう感情は、自分が育てたものに対するそれじゃない。対等か、それ以上かで、目下ではあり得ない。第一、弟子を指して「あの人」なんて言い方はしないだろう。

 小さな瞳を窪んだ瞼の下に隠したばあさんは、にぃっと薄い唇に弧を描き、ゆっくりと目を開けた。

「ああそうだ。姉弟弟子だね。ただし、あたしと、あんたが」

 あんた。
 そう言っておれに、節くれ立った人差し指の爪を向けて。

「――はい?」

 目を見開いた間抜け面で、かつ、その顔にふさわしい素っ頓狂な声を上げたのは当人のおれじゃなくてイムザだ。もちろんおれもそれなりの間抜けた顔をしてるんだろうけど……むしろおれは意味がわからなすぎて声が出なかった。

「あの人からいろいろ教わっただろう?」
「……いや、うん。教わった、けど。魔術とか、戦い方、とか」
「あんたはそっち方面か。あたしも最初、少しだけ魔術の手ほどきを受けたが才能がなくてねぇ。そのあとはきっちり薬学を仕込まれて、今じゃこの通りさね。どうだね。畑違いでもあたしとあんた、立派な姉弟弟子じゃないかい?」
「定義としては合ってるみたい、だけど…………えええぇ……えぇ?!」

 それ以外がいろいろ合ってないと思う!

 いや、だって普通におかしい。
 おかしいだろ。こんな七十とか八十とかいってそうなベテラン薬師のばあさんが。こんな、意地の塊みたいなばあさんが。自分の半分も生きてない、ばあさんにしてみりゃ小娘みたいなあの人を、師にした??

 確かに。うん、確かにな、あの人は敏腕だったと思う。

 あの人と過ごしたラムロットの地はイヴァンの南東部に位置する小さな農村だ。南部には広葉樹の森が広がっていて、その森の中、村のほど近くにぽつんと一つの隠者の住処よろしく、養い親は居を構えてた。

 ラムロットには辺境の村にはめちゃくちゃ珍しく医者の一族がいるんだけど、そのお医者先生に聞かれたことに本気で迷ったり言い淀む様子は一度もなかったし、逆にどうするのがいいかなんてこっそり意見を求められてたし。お医者先生は村で一番の博識者だったから、その人に認められてる薬師ってことで、若いくせに普段森に引っ込んで顔を見せない変人でも、村の人たちから許容されてた。たまに村に行くと、収穫したばっかの野菜や猟ってきた鳥、小麦とか砂糖なんかをよくもらってたしな。なんにもないときはあんま人近寄ってこなかったんだけどさ。

 とにかく、若い頃に王都の施療院で修行を積んだなんていう、なにげにエリート街道に足突っ込んだことのあるお医者先生が「ここまで質のいい薬は王都でも滅多に出回らない」って絶賛する薬を、あの人は作り出してた。……その作成過程は、とても人には言えたもんじゃないひどい方法だったけどね……それは、この際置いておくことにするとして、だ。

「いやいや師匠! おかしい。言ってることおかしいですって!」
「あぁん? 取り柄は若さくらいだってのに、あたしに先駆けて難聴かい。難儀なこった」
「いやいやいやなに言ってんすか。あの姉ちゃん、どう高く見積もっても俺が見たとき二十代以上にゃ見えませんでしたって。今三十代だとしてもどう考えても計算が合わないですって」

 イムザのもっともな正しい計算を、今日何回目だろうか鼻で笑い、ばあさんはとんでもない爆弾を投下する。


「あの人が、あたしが十の小娘だった頃からこれっぽっちも姿形が変わっちゃいないとしても?」


「「……はあぁ?」」


 今度こそ、おれとイムザの間抜けた声は、完全に重なった。