人質のやる気のなさをよそに一斉に気色ばむ軍人たちと周囲の傍観者。その中でただ一人、兵士の中で一番のデカブツ――おれの元同寮生アイザックだけが哀れみに満ちた目をおれの背後に向けていた。なにその捕食される側の動物が間違って肉食獣に挑発しちゃったのを可哀想がる、みたいな目は。今まさに人質強要罪してる現行犯にそんな同情してんじゃねぇよ、おい。

「こっ、このガキの喉かっ捌かれるのが、そんなに見たいかぁ?! あ?!」

 いや見たくないから。んなこと披露しようなんて考えないで。でもなぁ……おっさんの、この、ぶるぶる震えてナイフの柄に全部の力を込めてる手。とてもじゃないけどそんな解体ショーできる度胸ないって。
 兵士たちも窃盗犯から昇格した罪状得た男の素人具合くらいわかってるんだろうけど、追いつめられた人間は本領以上の力を発揮できるもんだし、一般人、おれの身の安全をひとまず確保したいがために機をうかがってる、そんな感じ。
 わかってる。おれ、普通の十五、六才……下手すりゃそれ以下の一般人にしか見えないよな。だったらなおさらだろ。助けろよ早く。おれは無力な人質なんだから、あんたら、特にお前アイザック。さっさとこれなんとかしてよ。仕事しろよ。
 おれの投げやりな視線が駄目押しになったのか、とうとうアイザックの外面が決壊した。

「あーもう無理! 笑える!」

 一人だけ勝手に武装解除してたばかりじゃなく、とうとう腹を抱えてけたけた笑いだしたアイザックに、同僚兵士に限らず場全員の非難の目が集中した。まったくだよ。失礼なやつだ。そんなのずっと前から知ってたけどな!

「はっは! あいつらに見せてやりたい! オースティなんて手ぇ叩いて喜ぶぞこれ見たら」

 言って自分で叩いてれば世話ないな。白い目を向けたら「じゃあ是非とも自己解決して汚名返上するとこ見せてくれよ」ってにやりとされた。確信犯か。

「ヤだ。だるい」
「ヤだっつってもそのままの方がよっぽど面倒だろ」
「……これ、正当防衛でさっさと解放してもらえんの?」
「当然。全員証人だろ。まあさすがに事情聴取は免除できんけどさ」
「おれ腹減ってんの。さっさと終わらせて夕飯おごれ」
「わかったわかった。小食のくせに」
「量はいらなくても腹は減る。あと貸してた金返せ」
「あー……そーれはちょっと給料日まで待ってほし……って、おっまえ俺より高給取りになったくせにケチくさいわ! だいたいおまえは年上に対する」
「あああ”ーっ!」

 うお。耳キーンってなった。至近距離ででかい声上げないで。

「おまえらなあにを仲良さそうに会話してんだああっ! 無視するな! 刃物持ってんだぞ?! 人質だぞ?! 死にたいのか?!」

 腕で首を絞めあげられて、まあそれなりには苦しいんだけど……加減がへたくそなせいで、ちょっと首の向きを動かせば呼吸に苦労はしないんだよね。おっさん、悪いけどおれ、あんたに殺される気、これっぽっちもしないわ。
 ……あとさっきからずっとだけどさ、マジで息が酒臭い!
 おれアルコールの中でエール酒の匂いだけはホント嫌いなのに。人が空きっ腹抱えてるってのに至近距離でぷんぷんさせやがって……!
 イライラする。人を盾にしてくれてるこのおっさんにも、機を窺うばっかで動けない兵士どもにも、なによりおれに丸投げする気満々のアイザックにも!

「人質は人質らしくおとなしく――」
「……うるせぇんだよ、アル中野郎……!」

 がしっと「拘束犯」の手首をつかむ。
 これ以上の茶番はこりごりだ。空腹は人間の心を狭くする。
 男は「え?」なんて間抜け声を出すだけで払いのけようともしてこない。ちっと思わずの舌打ちにすかさず、体を低くして身をひるがえす。つかんだままの手首と一緒に。おおっていう観衆のどよめきの中になっさけない悲鳴があがった。手からナイフがぱたりとこぼれた。
 ……これだけ関節技が簡単に決まるのも珍しい。あんまりにも大げさに声をはり上げて痛がるもんだから、手を離してしまった。
 それがよくなかった。男は予想以上の速度でおれから距離をとり、転がるように逃げていく。
 おれが反撃に出たと同時に捕縛態勢に入ってた兵士たち――変わり身の早いことにアイザックも――、窃盗被害者の女も即座に反応して後を追うけど……おっさんのスタート時の瞬発力がおかしい。なんであいつ酒が入ってるくせにあんな早く動けんだ。さっきは角曲がったときずっこけてたくせに。

「逃がさねぇし」

 鼻を鳴らして狐男の背を半眼で見据え、術式を組み上げる。
 構築速度ほぼゼロの即時展開。狙いはそうそう外さない。

「あぇっ? げふごぉっ!」

 窃盗犯改め人質強要犯は、おれの魔力と命令術式によって地面を割って腕を伸ばした蔓に足をとられて、べしゃっと顔面から地面にダイブした。あ、あれもしかしたら鼻の骨折れたかもってくらい盛大に。それを容赦なく確保してるのはアイザック。人を煽っといて、いいところはしっかり取ってくのな。あいつらしいったらない。
 鼻血で顔面血塗れになったおっさんは、またしても情に訴える作戦に出たらしい。詰まった鼻声で大げさに嘆いているのを、これまた女に威勢よく「うるさい!」なんて怒鳴られてた。
 つーかさ……あの状況から人質とって逃げられると考えられたことが、逆にすごい。無理だよな? どんだけおめでたい思考回路してるんだ。酒飲みの心理はわからない。
 成り行きを見守ってた傍観者たちの拍手喝采を受けるっていう非常に居心地悪い思いから逃れるため、同行承諾をとられる前に、おれは実のない口論のさなかに足を向けた。










 王都警備兵の詰め所は王都の正門付近にある。王都内の治安維持や問題解決に加え、王都周辺の街道や農地の哨戒も任務に含まれるからそっちに都合を合わせたんだろう。あとは有事の際の第一の壁。これが一番の理由だろうな。

 ほとんどが貴族のお坊っちゃん、おっさんで占められてるっていう騎士サマ連中とは違って、下級兵士は「いくらでも替えのきく捨て駒」――学院の同級生、もちろん魔術部の誰かがそんなことを言ってたのを思い出す。確かウェインの腰巾着だったやつだ。人間閻魔帳の異名を持つオースティから、騎士を排出するそれなりの名門貴族の四男で、士官学校の入学規定をクリアできずにコネで王立学院に入学してきたとか聞いた気がする。総合成績いつも底辺をさまよってたやつって認識で、なんとなく覚えてた。それでも魔力はおれより多く持ってたみたいだけどな。ちくしょう。

 裏口入学のお坊っちゃんの戯れ言は置いておくにして、騎士と一般兵の違いはなにかっていうと、命令する側とされる側っていう立場の違い。ハラルドがそう言ってた。ざっくりすぎる。
 けど、それ以上に「あ、あぁ」って納得できる視覚要因を不意に認識してしまって……なんだろう、その言葉を連想した人たちを直視するのが申し訳なくなった。
 男のおれが言うのもなんだけども。言えることでもないけども。
 それにあくまで、祭典のときとかで遠目に見る騎士連中と、今目の前にいる一般兵、この前エルシダで見た警備兵を比較しての話だ。全部が全部そうって言いたいわけじゃない。……ああ、そういえば侯爵子息サマとジョエルとハラルドも騎士分類なんだっけ。それを加味するとさらに、だ。

 すごい言葉だよな。……顔面偏差値って。
 これ以上はもうなにも言わない。自分の首絞めたくない。





 とばっちりで被害者になったおれと、元々の被害者だった女も交えた事情聴取ののち、狐顔のおっさんは窃盗罪に人質強要罪、公務執行妨害その他もろもろなんだかよくわからない聞き慣れない罪状を貼られ、とりあえず地下の留置部屋送りになった。
 聴取の途中から酒が抜けてきたらしく、青い顔でひたすら「すんません、出来心でしたすんません」と下を向いてたのがなんとなく可哀想な気もしなくなかったけど、おれのその気もホントに欠片だけだったからきっぱり無視した。言い訳にしてた十人のなんたらっていうのもでまかせで、家族のいない流れの日雇い労働者だって話だし。せいぜいお勤めに励めばいいと思う。

 おれはアイザックの証明だけじゃ不十分だったんだか、身分証明提示を求められたから魔術師協会員証の方だけ見せておいた。そしたら超驚かれて、簡単に信用された。窃盗犯だと最初に疑われたことへの謝罪も即座にきっちり受けた。協会員証の社会的信用力すげえ。これでエルディアード家の記章の方を見せてたらと思うと怖くなる。やっぱりあれは、おれには分不相応だ。
 約束通り奢りの夕飯を手にするべく上官の小言食らってるアイザックを急かして「もーちょっとで終わるから待ってろ!」って言をとったおれは、詰め所の入り口付近で、特になにも考えることなく空を見上げていた。

 王都の大通りともなれば、昼間ほどではないけど夜でも人の往来が絶えない。定期的に魔力を与えられる、術式の込められたクリーム色した街灯は目に優しいほんのりした明るさではあるけど、地上から見える星をだいぶ少なくしていた。目を凝らしてみても、ラムロットで晴れた夜に見えてたような流れる川みたいに広い流線を成す細かい星の帯はどこにも見つけられず、諦めて目頭を揉む。少し前にエルシダでうっすらと見ることができた星の帯を懐かしく思いながら、無意識に、もはや空きすぎて訴えすらしてこなくなった腹を軽くさすった。

 詰め所の入り口から出てくる人の気配に首を巡らせる。仏頂面のその人は、おれがさっきから待ちぼうけてる級友……じゃなくて、おれをこの馬鹿馬鹿しい騒動に巻き込んでくれたほぼ張本人と、もう一人。
 肩を下ろして苛立たしそうな白い息をひとつついた女が、おれに気づいてばつの悪そうな顔になる。ワンテンポ遅れて、後ろから続いてきたもう一人もまったく同じ奥歯にものが詰まったみたいに微妙な顔をした。

 この、どっちも二十歳を少し越えたくらいのよく似た顔を見事に同じ表情にしてる二人、姉弟なんだそうだ。
 おっさんを連行しようとしたときになって現れた弟の剣幕は、そりゃあもうすごかった。姉とは反対方向に。

『すみません、本っ当にうちの姉が! 騒ぎを起こしてすみません!』

 姉に負けずとも劣らないでかい声で謝り倒しながら、いろんなところにぎゅんぎゅん頭を下げてた弟の、応対のこなれてる感は半端なかった。
 騒動は弟と離れて別行動してた最中の出来事だったらしく……遠くで聞き覚えのある雄叫びに嫌な予感を覚え、もしかしてと来てみたら、案の定姉がその中心にいたんだと。案の定、って言葉がさも当然ばりに枕詞に使われてたところでもまた、弟の苦労が忍ばれる。

「少年、巻き込んですまなかった」

 肩に届かないくらいに切り揃えられた硬そうなあかがね色の髪と同じ硬質な口調で、女が話しかけてきた。
 正直もう本当、関わりたくない。こういう面倒事を自分から呼びよせて突っ走ってくタイプの人間は苦手だ。
 だから努めて通常運転より五割増しに無愛想に「べつに」の一言だけ発し、機嫌の悪さを全面に押し出してそっぽを向いた。たいていの他人はこれで引く。引かないとしたら、それは。

「とんでもない迷惑かけたね……ちょっと、もっとちゃんと謝りなよね」

 弟、そのフォロー、違う。おれにはむしろ追加ダメージの呼び水になるからそれ。出してたよな、おれ、もう関わらないでオーラ。それ感じ取ってちょっと頭下げて姉連れて退散してほしかったんだよおれは。

「今謝罪しただろう」
「だからもっとしっかり謝った方がいいよねって俺は言いたいわけなんですが」
「これ以上の謝罪? 地に額をつけて靴でも舐めてやれとでも?」
「うん俺もそこまでは求めてないししろって言ってもやらないよねメルは」
「当たり前だ」

 ……こいつら、あれだ。空気読めないやつらだ。わざと読まない行動する系とは違う。読めない、やつら。
 破天荒な姉を持つ苦労人だからそのへんは得意だろと思って甘く見た。マジこの姉弟、セットで絡みたくねぇ!

「よし、じゃあこうしよう。少年、礼と言ってはなんだが……これから私たちと食事でもどうだ? もちろん代金はこちらが持つ。いいだろう?」

 なにが、じゃあこうしよう、だ。なんだその提案。おれが散々「腹が減った」発言してたせいか。ていうかあんたらにされなくてもこっちはアイザックに奢らせる気満々だったんだよ。
 いい。いらない。おれに構わないで。頼むから。あんたらに絡まれるくらいなら、おれ、侯爵子息サマとかお嬢サマの相手してた方がいい。気分的にまし。あっちはまだ本人に節度ありそうだし、多少はっちゃけても権力っていう受け皿あるから。あんたら、そういうの、なさそう。ていうかない。絶対。

「いや……いいんで。そういうの」

 一歩、二歩、三歩。足が自然に後ずさった。両手を顔の前で開いて首をふるふる横に振る。逃げたい。エルシダで兄貴と対峙したとき以上に、逃げたい。なんだろうこの感覚。命の危機以上のなにかって、なに。
 自分でもわからない警告が頭の中を染めあげて、もう奢りの夕飯なんて放り出して全速力で逃げてしまった方が――さっきみたく大声あげながら追っかけてきそうで怖いけど、このままなし崩しに連行されるよりは、なんて完全に犯人視点で逃走ルートを組み上げていたときだった。後ろから、肩をぽすりと叩かれたのは。
 ぎょっとして振り返ると、想定した高さに顔がない。最初に目に飛び込んできた、見覚えのあるくたびれ気味の私服から首の角度と一緒に視線を上げると、少し眠そうにまぶたを落としたアイザックと目が合った。

「わり。思ったより遅くなった。あの隊長の説教長いったらもー」

 オフ姿になった兵士の登場で姉弟は再び、迷惑かけたから食事でも、のくだりをなぞる。当然、アイザックは二つ返事であっさり了承しやがった。まあそうだよな。おれに奢るはずだった分が浮くもんな。夕飯浮いてラッキー、なんてちゃっかり自分まで相伴に預かる満々になってるし。調子いいやつ。

 もうここまで来るといろいろどうでもよくなった。よくわからない警告も、飯の話で返り咲いた空腹やなにやらにかき消されて。この姉弟がいくら面倒を呼ぶったって、命の危機よりやばいことなんてそもそもあるわけない。
 安くていい店あるからそこでいいだろって懐っこい大型犬みたくアイザックがにかりと笑って提案すると、姉と弟は「是非そこで」なんて揃って頷いた。アイザックにがしりと肩をつかまれ引きずられ、この時点でおれの退路は塞がれた。

 諦めよう。
 人生、諦めが肝心なときもある。ていうかおれもこれ以上拒否するのはいいかげん疲れる。

 疲れを自覚して、大あくびに襲われる。そういえば昼も、自分の勉強とはいえお嬢サマの相手で慣れない気をつかってたことを思い出す。そうだ。おれは疲れてんだ。警告は、この姉弟の相手するのが疲れるってことを言いたかったんだ。そう納得することにした。そうしよう。自分に言い聞かせると、途端にどうでもよさが増した。

「……でもさあ、メル。帰りが遅くなったら怪しまれるんじゃない? またなにかやらかしたって。王都でまで騒ぎ起こしたらこれ以上一緒に行くの考えるって言われたの、忘れてないよね?」
「もう遅い。猫に見られていた」
「え。…………あぁ……そう、なんだ……へぇ……そう」
「だから私はなるべく戻るのを遅くしたい」
「それただの逃避です。ただの問題の先送りです。わかるかなメルさん? 俺はできれば早く帰って謝るって選択をしてほしかったなあ。知らないからねもう一人でどうにかして! 俺、怒ったあの人こわい!」

 本人たち的には小声なのかもしれないけど普通に丸聞こえの会話が伝えてきたのは、当然みたいに傍若無人な姉と、それに振り回される弟。

 ある意味平和な、信頼関係があってこその姉弟の姿。
 ただそれだけだった。