ママへ。

おたんじょうびおめでとう。

おたんじょうびって、うまれたひのことをいうんだよね? でもママのおたんじょうびは、ママがはじめてパパにあったひなんだよって、パパがいってました。

どうしてってきいたら、パパは、ママはじぶんのおたんじょうびをしらないんだよっていいました。

またどうしてってきいたら、パパはなんだかこまったみたいなかおをして、もうすこしおおきくなったらじぶんでママにきいてごらんっていいました。

ママ、あとどのくらいおおきくなったらクリスにどうしてママがおたんじょうびをしらないのか、おしえてくれますか?





お母さんへ。

お誕生日おめでとう。

お母さんに直接手紙を渡せなくなって、どれだけの時間が経ったのでしょう。
お母さんの居場所がわからなくなってどれだけの年月が流れたのでしょう。
とうに数えることをやめたので、正確な年月はわからなくなってしまいました。

それでも毎年、昔から変わらず、お母さんの誕生日の前日にこうして手紙をしたためています。

もしかすると、これが最後になるかもしれません。私も、お父さんの元へ旅立つ日が近づいているのを感じます。姉さんや兄さんのように。

ねえ、お母さん。
昔、私がお母さんに尋ねたことを覚えていますか?
どうしてお母さんの誕生日は生まれた日ではないの、どうして生まれた日を知らないの、と。

あのときはお母さんのくれた答えが理解できなかったけれど。今ならわかります。
お母さんは、お父さんと出会った日、本当の意味で「お母さん」という人になったのですね。言葉通りの「お母さん」ではなく、一人の個である人間として。
だからその日がお母さんの誕生日。……間違ってなんかいませんよね?

ねえ、お母さん。
今はどこの空の下にいますか?

お父さんの願いは、共にありますか?
姉さんの想いは、届きましたか?
兄さんの志は、これからもあの場所に残り続けますよ。

ねえ、お母さん。
寂しくはありませんか? 孤独ではないですか?

私たちはこの命が燃え尽きても、永遠に。お母さんと共に在り続けます。






時間軸:インクと紙面が朽ちない限り、永遠。
手渡せた手紙と、届かない手紙。